本稿で紹介した日本の地域アーツカウンシルは、いずれも国のアーツカウンシルからは独立した存在であるが、地域アーツカウンシルのあるべき姿を考える際に、もうひとつ検討しておきたいのが、国との関係である。諸外国と日本では文化政策や行政の仕組みが大きく異なるため単純な比較は難しいが、ここでは参考までに二つの海外事例の概要を紹介しておきたい。ひとつは、国のアーツカウンシルの一組織として地域(アーツ)カウンシルが設置されている英国、もうひとつは州政府ごとに国から独立したアーツカウンシルが設けられている米国である。
1|英国アーツカウンシルの地域カウンシルと地域事務所
1945年に設立され、70年の歴史を有する英国アーツカウンシルは、その間の組織改編にともなって、地域事務所、地域カウンシルの体制や位置づけ、役割が大きく変化してきた
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まず、グレート・ブリテン・アーツカウンシル(Arts Council of Great Britain, ACGB)として発足した当初は、前身の音楽・芸術評議会(CEMA)が設置したスコットランド、ウエールズ、イングランドの内の12の地域事務所を引き継ぎ、地域事務所は全国組織の一部であった。その後、1948年の地方自治法の改正で、地方自治体による芸術への助成が可能になったことなども背景に、ACGBは中央集権的な体制を整え、地域事務所の数は49年には9箇所に、52年には6箇所に統合された。
1955年にACGBは地域事務所を廃止。その一方で、地方の文化施設や芸術団体との連絡、地方の情報収集を行うため、音楽と美術の専門家を3人ずつ任命した。しかし、地域事務所の廃止を受け、イングランドのサウス・ウエスト地方では地域の団体が自主的に集まって、1956年に地域芸術協会(Regional Arts Association, RAA)が結成された。このRAAは地方自治体からの支援で運営され、ACGBからも助成を受けて、巡回展や巡回公演の企画、コーディネートを行っていた。その後、RAA設立の動きはノース・イースト地方やミッドランド地方へと広がり、10年後には全国的なネットワークが形成された。政府が65年に発表した文化政策に基づいて、RAAの全国的なネットワーク化はさらに進み、地方自治体とRAAとの連携が強化された。
その後、1970年代の保守政権のもとで地方分権の動きが加速し、ACGBの中に地方振興課、地方課などが設けられた。80年代半ば、ACGBはRAAから「助成の大半がロンドンに偏っている」という批判を受け、調査を実施。その中で、RAAは地域芸術評議会(Regional Arts Board、RAB)として公的資金の支出に責任を持つべき、という報告がまとめられた。それを受け、1990年には12あったRAAはすべて廃止され、10地域にRABが設立された。
RAAは地域の団体を会員とする協会組織(Association)として運営されており、様々な意見が錯綜して意志決定が容易にできなかったのに対し、RABでは専門家による理事会(Board)が設けられ、意志決定の仕組みが確立され、全国で統一された。RABは地方自治体の出資で運営され、ACGBから独立した組織だったが、ACGBから資金提供を受けており、意志決定の仕組みが明確になったことでACGBとの連携がスムーズになったと推察される。
その後1994年に、ACGBはイングランド、スコットランド、ウエールズの3地域のアーツカウンシルに分割された。最大規模のアーツカウンシル・イングランド(Arts Council England, ACE)は、イングランド内の各地のRABと連携して仕事を進めるようになったが、2002年には10箇所のRABを吸収し、1945年以来約50年ぶりに、9地域に直轄の地域事務所(Regional Office)を置く組織改革を行った。そのことで、地域の独自性が失われるという反論も多かったが、地域事務所にはRABの理事会を継承して地域カウンシルが設置され、各地域が主体的に意志決定できる仕組みも整えられた。また、地域カウンシルの長は全国カウンシルのメンバーとなり地域の意向が全国組織の意志決定に反映される形となった。
その後、政権交代と大幅な予算削減などに伴い、組織のダウンサイズが求められ、地域事務所では大幅な人員削減が行われた。2010年には9つの地域事務所と地域カウンシルが存続したまま、人員減を補い、業務を効率化するため、9つの地域事務所は4つのエリアにグループ分けされ、エリア事務所が設けられた。さらに2013年には、9つの地域事務所はそのままに、意志決定を効率化するため9つの地域カウンシルは5つのエリアカウンシルに再編され、現在に至っている。