生命保険、特に死亡保険の前史または発生史を語るとき、英国ははずすことができない国である。
産業革命の進行にともない、工場労働者が大量に現れ、都市への人口集中と核家族化が進行する英国では、自己責任による生活防衛の必要性が感じられるようになっていた。
そうした17世紀中頃、英国に登場した友愛組合は、職業、宗教に関係なく死亡や葬儀の際の金銭的給付を行った。始まりは、教会やパブに集まる人たちが、仲間内で死亡者が出た時に、残された遺族の生活費を工面しようと帽子を回し、お金を集めたことと言われる。友愛組合は、全員が一律の掛金を負担する方式を採用していたため、構成員が高齢化するに伴い経営が不安定になった。
17世紀末に登場した世界最初の生命保険企業マーサーズカンパニーは、教会の牧師達が万一のことがあった場合に妻子を助けあうために設立した組合が原型であったが、やはり計算根拠が不十分で、ほどなく消滅してしまった。
それに対し、1762年にロンドンに設立されたエクイタブルソサエティは、数学者に計算を依頼、生命表等の計算基礎を作成し、年齢別の平準保険料を策定した。また、新たな死亡保険種類として長期の契約ができる終身保険を開発し、解約返戻金と契約者配当を支払い、保険数理の専門家であるアクチュアリーを任命した。こうして保険料と保険金の間の合理性、加入者間の公平(equitable)性を確保したエクイタブルの経営は、その後の近代生保経営の基本となった。
100年あまり経って、わが国で近代生保事業を開始した明治生命(1881年創業)と帝国生命(1888年創業)は、創業時、事業の根拠とする生命表として、1843年に英国で作成された英国17社表を使用していた。わが国独自の生命表は、日本生命が創業時(1889年)に数学者藤澤利喜太郎氏に依頼して作成した藤沢氏表を最初とする。
このように、英国は科学的根拠を有する死亡保険事業の発祥の地である。
しかし、今日の英国生保市場では、死亡保険の影は薄い。英国生保市場は、投資と貯蓄の事業ウエイトを高めた生保市場となっている。
本稿では、普及度では我が国を凌ぐほどに発展しながら、わが国とは全く異なる道を進む英国生保市場の動向を見て、生命保険市場の発展のあり方について、考えてみたい。
1――英国は世界第三位の生保市場 普及度では日米を凌駕する側面も