1|秋田県のプレコン冊子
秋田県では、プレコンセプションケアの一環として、県内の高校2年生を対象に「将来ママにパパになりたいあなたへ~妊娠~・出産のリミット」という冊子を令和5年度に配布したが、その内容について物議を醸した
4,5。
この冊子の最初のページには、「女性のライフサイクルと妊娠・出産について」と題し、20歳時点にいるキャラクター「バリバリのキャリアウーマンよ」と言っており、35歳頃では、シワが深く刻まれた女性の顔と若い男性のキャラクターが、「まだいけるかしら?」「熟女キラーです!」という会話が記載され、50歳頃には、女性の閉経を表現して「閉店」と書かれた建物と、若い男性のキャラクターが「え!もう会えないの!?」と驚いている構図になっている。
また、冊子では、「高齢出産の危険性」についても強調され、「奇形および染色体異常の頻度が上昇する」ことや、「遅くとも初産を35歳までに」、「妊娠・出産にはタイムリミットがあるのです!」と記載されている。最後のページには、「脱!草食化!女性だけではない妊娠・出産について」と題し、「脱草食化!脱セックスレス!」という言葉も並んでいる。
この冊子の問題点は、(1)卵子の劣化を通し、女性の妊孕性の限界だけに言及していること、(2)女性の妊孕性の限界について、「危険性」という言葉を用いて、若い年齢で産むことを推奨する表現となっていること、(3)多様性が尊重される現代において、男性の草食化を揶揄し、肉食化を促していることである。
基本的に、生物学的な妊孕性の限界が生じるのは科学的エビデンスに基づいた既知の事実ではあるが、卵子の劣化だけに言及する必要はなく、近年では、男性の加齢による精液量の減少や男性不妊症のリスクも顕在化している
6。女性の妊孕性の限界も年齢で一律に区切れるものではなく、卵胞の数が元々少ない方や別の疾患で外科的侵襲を受けて妊孕性が低下している10歳代、20歳代の方も存在し、50歳を超過しても閉経しない方もいるなど、個人によって妊孕性の限界は異なる。
この冊子では、一般的なデータを示す意味合いもあったかと考えられるが、伝えるべきメッセージは、「その情報を通して、自分自身がどのような健康状態にあるか、生殖能力を有するのかということを知ることが将来の選択肢の幅を広げる上で重要である」という点であると筆者は考える。医学的な既知の事実と現在の個人の健康状態とは区別して考える必要があろう。
また、「高齢出産の危険性」という表現も適切ではない。生物学的に高齢になるほど、周産期リスクや子どもの染色体リスクが高まるのは事実ではあるが、妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病などのリスクを予防するための事前の健康づくりがプレコンセプションケア啓発の本質であり、怖がらせて早く産むことを推奨するためのものではない。女性の高学歴化や社会進出が進む中で、多様なキャリア形成とともに、子どもを考えるタイミングが先送りになる社会構造を考慮すると、望んだ方が望むタイミングで安全に産めるように事前に健康づくりをしてきましょうと伝えることが適切である。
さらに、男性の肉食化を促す表現には、性と生殖に関する健康の権利(Sexual Reproductive Health and Rights : SRHR)
7の視点が欠けている。これは、1994年に開かれた国際人口開発会議(ICPD)でリプロダクティブ・ヘルス&ライツが提唱され、2002年にWHOがセクシャルという概念を追加したもので、「自分の身体や自分の人生は自分のもので、誰かに強制されるものではないこと、誰かのために捧げるものではない」という当たり前のことを保証する理念であり、「どんな人を好きになるか、子どもを持つか持たないか、どの様な人生を歩むか」を自由に決定することができる権利であるとされている。国際的には基本的人権のひとつとして考えられる非常に重要な権利であるが、この冊子の男性の肉食化推奨表現は、相手の性的同意や子どもを持つ持たない権利を無視した表現に当たると考えられる。少子化対策としての側面を合わせもつことからも、産む方向に誘導したい気持ちも分からなくはないが、若い年齢から妊娠出産を勧める「推奨モデル」を強要することは避け、現代の人権保障を考慮した内容構成が必要であろう。