では、今般の三中全会の決定から、2029年までの社会保障制度の改革の要点を探ってみたい。
上述のとおり、現在の社会保障制度は社会主義市場経済への移行にともなって、つまり経済成長を促進するために大きな改革が進められた経緯がある。一方、今般の決定を概観すると、これまでの経済成長のための社会保障から、社会の安定・統治のための社会保障へとその重点が大きく移された点が見受けられる。決定の内容を見ると、従前からの年金や医療制度の改革、少子高齢化にともなう介護・少子化対策などが挙げられているが、社会を揺るがすような大きな改革は避ける傾向が見られるのだ。
例えば、定年退職年齢の引き上げがその好例であろう。中国では法定の定年退職年齢が年金受給開始年齢となっている。年金制度を主管する人力資源社会保障部は、当初、急速な高齢化を受けて、第14次5ヵ年計画の最終年である2025年までに定年退職年齢の引き上げを実施するとしていた
4。しかし、今般の決定の中で取り上げられたことによって、むしろその実施期間は2029年までに先延ばしされた感がある(図表2)。定年退職年齢(年金の受給開始年齢)の引き上げは反対意見が根強く、センシティブマターでもあるからだ。なお、今般の決定発表の翌日の7月22日には定年退職年齢の引き上げに関するワードがSNSの微博で検索3位となるなど、再び注目が集まった
5。
また、社会保険に加入ができていない非正規労働者や出稼労働者、ギグワーカーなど新たな就業形態の労働者を包摂する取組みに力が入っているのも特徴だ。2023年10月に開催された中央金融工作会議においても、金融を通じて支援に力を入れる5つの重点分野の1つに金融包摂が取り上げられており、民間保険による高齢者、障がい者、既往症・慢性疾患の患者、ギグワーカー向けの保険商品(インクルーシブ・インシュアランス)の開発が推奨されている。決定においても社会保険や民間保険による生活や保障のボトムアップに重点が置かれ、共同富裕を念頭に、金融弱者・社会的弱者の引き上げに力を入れようとしている姿がみえてくる。
一方、今般の決定において、社会保険関連の用語の掲載回数を数えてみると、年金(「養老保険」)が14回、医療が14回、労災、失業、介護(「護理」)が1回であった。年金や医療が政策の重点となっているが、介護についても老後保障政策(「養老」)として言及内容が多かった。特に公的介護保険制度の全国導入の加速化、現在試行中の地域から見えてきた介護サービスや人材の最適化は大きな課題となっている。中国では多くの地域が公的介護保険制度の運営を民間保険会社に委託しており、介護関連施設、介護サービスの提供を含め、市場化が強力に推し進められているからだ。ただし、公的サービスにおいて、行き過ぎた市場化が「市場の失敗」を招かないか、については今後留意が必要となる。
中国は介護保険制度など老後保障に関する政策と同時に、少子化対策にも力を入れる必要があるが、現時点では介護保険制度により重点が置かれている状況だ。子育て支援などの少子化対策については、出産・育児・教育にかかるコストの軽減、産休・育休制度の整備、託児施設の拡充などが提起されている。中国が第三子の出産を容認し、事実上の出産奨励に舵を切ったのはわずか3年前であり、子育て支援などは動き出したばかりだ。いずれの政策も地方政府や企業努力にその多くが委ねられている状況で、決定においても国による大型の財政投入や中央政府による関与は見えてこない。今後、急速な高齢化とともに、年金や医療など社会保障に関する再分配の多くは高齢者の所得改善に向かうことになる。世代間のバランスをとる上でも現役世代や子育て世代をサポートする政策の拡充が重要となってくる。