そもそも投資家に企業を的確に理解してもらうためには何が必要か、を考えてみたときに、一方では、必要なのは客観的で正確なデータだ、という考え方がある。
極端になると、経営側のいろんな評価や見通しが入りこんだ決算の数字はもういいから、できるだけ生データへのアクセスを開いてもらって、それを企業外のデータと組み合わせてAIに分析させて、将来キャッシュフローの予測力の一番高いデータの使い方を投資家側で選べばいい、といった意見すら聞いたことがある。
他方、企業が社会の中でどう価値を創造しているかの全体像がカギになる、という考え方もある。例えば、IIRCの統合報告フレームワークは、統合報告書の主たる目的は、組織がどのように価値を生み出し、保ち、損なっていくのかを説明することだ、としている。
実際には、客観的で正確なデータと価値創造の全体像は両方必要であって、両者をうまく結び付けていくことが大切だ、ということになるだろう。
周知の通り、米国の企業開示には従来から「経営者による議論と分析(MD&A)」という項目がある。
米証券取引委員会(SEC)がMD&Aを独立した開示項目にしたのは1980年だ。
更に、1989年には解釈リリースが出され、M、経営者、については、投資家が経営陣の目線で会社を見られるようにすべきこと、D、議論、については、事業の動的な状況を議論すべきこと、A、分析、については、財務状況を分析すべきことなどが示された。
この解釈リリースには、財務諸表の「ナラティブ」による説明、という表現もあるが、同時に、テキストによる開示、という言い方もなされており、この時点での「ナラティブ」は、「記述情報」、すなわち、数字とその脚注ではなく文章で、という意味にとどまっていたように思われる。
しかし、2001年のエンロン事件、決算不正を繰り返した挙句に突発破綻したエンロン社の事件を受けて、SECは2003年にMD&Aの解釈ガイダンスを公表しており、ここで「ナラティブ」の意味が明確化された。
このガイダンスは、まず、MD&Aの第一目的が、「投資家が経営者の眼を通して企業を見られるよう、財務諸表のナラティブによる説明を行うこと」だ、としたうえで、いろいろな説明を加えている。
すなわち、「経営陣には経営陣にしか示せない事業に関する視点がある」、「財務諸表をナラティブ形式に書き直すだけではダメだ」、「規定された開示項目を技術的に満たすだけでもダメだ」、と述べ、そして「各社ともこの機会に新たに考え直してくれ」と訴えている。
実態としては、現在でも米企業のMD&Aにも「財務諸表を記述様式に書き直しただけ」みたいなものは沢山あるわけだが、制度的な期待としては、ナラティブが単に「記述」という意味だけではなく、言葉本来の「物語」という意味も有していることがこの解釈ガイダンスではっきりした、といえるのではないか。
エンロン事件への対応としては、SOX法により内部統制報告の制度が導入され、その他にも、監査法人の監督を行う当局であるPCAOBの新設、権限の強い監査委員会の設置義務付け、取締役会の過半数を独立取締役とすることの義務化、などの改革も行われた。
これらに比べると、「ナラティブによる説明」の意味を明確化する、というのは迂遠なことのようにも見えるが、かならずしもそうとは思わない。
データのチェックだけでは組織的な不正はなかなかつかめない。しかし、企業の価値創造についての物語と財務諸表のデータとを対照し検証することで、実態に迫っていけば、矛盾や破綻は見えやすくなる。普通に成長している生き物と、粉飾して作られた怪物の違いは、生き物としての物語が個別のデータと整合する形で成り立っているかどうかで見えてくる。
MD&Aの日本での訳は以前は単に「分析」、Aだけで、MもDも入っていなかった。しかし、2019年の開示府令改正以降は「経営者による分析」とされ、Mが入った。依然「議論」、Dは入っていないが、記載上の注意の中で、分析と並んで「検討内容」の開示が求められている。
さらに、2019年の「記述情報の開示に関する原則」では、投資家が経営者の目線で企業を理解することが可能となるように、取締役会や経営会議における議論を適切に反映することが求められている。また、既に2017年には、「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」も独立の開示項目として設けられているので、それとの合わせ技で考えると、日本の開示府令上の規定ぶりも、日本なりの仕方で充実した内容になった、と言えるだろう。
ただ、今のところ、さすがに「物語」という言葉までは出てこない。おそらく「記述情報」という時の「記述」がナラティブの訳なのだろうが、エンロン後のガイダンスで示されているナラティブという言葉のニュアンスは、「記述情報」という言葉よりは少し広いのではないか。
英国のFRCが出している「戦略報告書に関するガイダンス」では、当該ガイダンスの目的を「企業をして自らのストーリーを語らしめること」だと述べている。単に記述情報といっていては、この「企業自らのストーリー」という要素が抜け落ちてしまうように思う。
「分析」と「情報」は担当者にでも書けるが、「議論」と「物語」は経営者にしか語れない。だから、分析とか情報と言っていた方がボトムアップのプロセスにはなじみやすいのだろう。
ただ、金融庁が毎年公表している「記述情報の開示の好事例集」にもみられるように、議論と物語の開示を充実させている日本企業は増えているようだ。
競争相手に手の内をどこまで晒すのか、とか、難しい問題もあるが、いろいろ工夫の仕方もあるようで、特に、「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」の項目の記載については、ここ数年で随分充実した、という受け止め方が多い。
経営者自身の言葉で語っている印象のものも出てきており、これはそうした企業の経営のあり方がトップダウン方向に変化していることを反映するのかもしれない。
当局が何を要求するかにかかわらず、いずれにせよ世間は世界を物語で理解する。レッテルが一旦貼られると、それに沿わない報道はなかなか出ないし、出てもなかなか読まれない。
企業の真実の姿について的確な理解を求めようとすれば、ファクトとデータに裏付けられた、説得力のあるナラティブが必要になるというのが現実だろう。
データを出しておけばAIがちゃんと分析して適正な株価で評価してくれる、という世界にはまだまだ距離があるし、逆にSNSの影響力の拡大により、物語の暴威がますます高まっているとすらいえる。
2――メガバンクの肖像画