不確実性という概念が定義されたのは、スペイン風邪が流行した100年ほど前である。米経済学者のフランク・ナイトが1921年の著書『Risk, Uncertainty and Profit』(リスク、不確実性および利潤)
6において、リスクと不確実性について明確に区別した。双方とも不確かな状況を指す概念ではあるが、リスクは先験的または統計的に計量可能であるのに対し、不確実性は計量できない。換言すれば、リスクについてはその確率分布を求めることができ、将来の発生確率や期待リターンなどを求めることができる。例えば、多くのギャンブルはリスクとして扱うことができ、計量可能である。偏りのないサイコロを投げたときに、任意の目が出る確率は、6分の1である(先験的確率)。また、人の寿命もリスクとして扱うことができる。生命保険料の計算に利用される生命表の平均余命や死亡率は、大量のデータから統計的に計算されたものである(経験的確率)。一方、不確実性については、確率分布がわからず、計測や数量化が困難である。感染症のパンデミックや戦争勃発については、確率分布を求めることができない。経済学や金融において一般に不確実性という場合は、このフランク・ナイト提唱の「ナイトの不確実性」を指す場合が多く、本稿でもそれに倣う。
なお、不確実性については、その発生確率を計算することはできないが、蓋然性を推測できるものがある。蓋然性とは、その発生する可能性が絶対水準として高いか低いかや、他の事象と比較して発生する可能性が相対的に高いか低いかを、確率のような数値ではなく、大小やレンジといった、ややぼやけた形で示すことができることを指す。たとえば、安全保障条約を締結している日米間で戦争が勃発するよりは、貿易摩擦などで緊張感が高まっている米中間で戦争が勃発する蓋然性が高いなどである
7。
金融危機は不確実性の一つとされるが、2007年からの世界金融危機(リーマン・ショック)で注目を集めた概念が、ナシーム・ニコラス・タレブが2007年の著書
8で提示したブラック・スワン(黒い白鳥)だ。ブラック・スワンとは、「予測ができない」(不可知かつ計量不能)、「めったに起こらず」(蓋然性が極めて低い)、「起これば大きな影響を及ぼす」事象である。またタレブ氏は、ブラック・スワンと同様に、めったに起こらず、起これば大きな影響を及ぼすが、「いくらか予測ができる」(予測可能だが、正確な計量は不能)事象をグレー・スワン(マンデルプロの灰色の白鳥)として提示している。ブラック・スワンという名前は、オーストラリアで黒い白鳥が発見されたことで、白鳥は白いものという、それまで長い間信じられてきた常識が覆された話に由来する。想定外の発見が、すべての白鳥が白い旧世界と、黒い白鳥が存在する新世界を隔ててしまい、それまでの考えが通用しなくなるということだ。
経済を想定外かつ未曾有の危機に陥れた今回のパンデミックは、ブラック・スワンだったと言えそうだ。今回のコロナ危機についても、ビフォーコロナvs. ウィズ/アフター/ポストコロナの世界が議論されるなど、感染が収束したとしても、完全に元の世界に戻ることはなく、新しいスタンダード(ニューノーマル)が確立されていくとする見方が多い。
一方で、今回の危機は、グレー・リノ(灰色のサイ)だとする見方もある。グレー・リノは、ミシェル・ウッカーが2013年1月の世界経済フォーラム
9で提起した概念で、高い蓋然性で起きることが予測され、大きな影響を及ぼす事象である。グレー・リノという比喩は、サイは普段おとなしいものの、いったん暴走し始めると誰も手を付けられなくなることに由来する。サイの体は大きいため、遠目でも発見することが可能だが、普段は遠くにいて小さく見えるせいで、その脅威を軽視しがちである。近くに来たときには手遅れだ。グレー・リノのブラック・スワンとの相違点は、予測可能であること、また、その蓋然性が高いことだ。それにも関わらず、グレー・リノは軽視されてしまいがちなため、ブラック・スワンと同様に悲惨な結果をもたらしてきた
10。
今回のパンデミックが、グレー・リノだったとの主張は、主に感染症の拡大は脅威として認識されていたにも関わらず、軽視されていたというものだ。2018年のジョンズ・ホプキンス大学の報告書
11で、新型コロナウイルスと同様の特徴を持つウイルスの危険性について、警鐘を鳴らしていた
12。また、経済や金融市場の一部で歪みが生じており、近々、踊り場を迎えるといった予想も少なくなかった。確かに今回の危機を構成するパーツの存在のいくつかを事前に認識していたのは確かだ。ただし、数十年また100年来の感染症のパンデミックを蓋然性の高い事象だとするのは、やや言い過ぎの感もあろう。ウッカー氏が著書で「多くのブラック・スワンは、複数のグレー・リノの組み合わせであった」
13と述べているように、危機は、様々な不確実性やリスクが重なりあうことで、予測不能な複合的な結果となることが少なくない。今回の危機の一面を見れば確かにグレー・リノまたはグレー・スワンだったが、それら複数が組み合わさったことで、結果としては想定外のブラック・スワンだったと言えるのではないだろうか(図表 2)。
タレブ氏がその著書で、「異常であるにもかかわらず、私たち人間は、生まれついての性質で、それが起こってから適当な説明をでっち上げて筋道をつけたり、予測が可能だったことにしてしまったりする」
14と述べているように、事後の分析により、危機があたかも当然発生したように説明され、またパターンや周期を見出されることが多い。しかし、そもそも不確実性の本質とは、偶然の出来事や正確に事前には予測することができないものである。数量化もできないので、リスクリターンやコストを計算できるものでもない。そのため、不確実性に対処するための第一の解決策は、レジリエントな構造(健全なファンダメンタルズや強固な財務基盤、柔軟な体制など)を築いていくことだが、その際には信念やアニマル・スピリット
15を求められることになる。