ユニクロの事例を、「経営課題との紐付け」から出発し、「健康経営アウトカム(成果)」に至る全体像として示したのが図表1である。同社の直接対話は、店長の退職抑制(図表1右端)を狙うものだが、最終的には200人の経営陣創出という主要な経営目標(同左端)を支える健康経営上の施策とみることができる。
直接対話は、店長一人ひとりに向き合う「ラインケア」である。「ラインケア」とは、健康管理の視点から、部下が元気を失くしたり悩んでいることに気づけば、管理監督者が何らかの必要な対応を取ることをいう。「ラインケア」は厚労省「労働者の心の健康の保持増進ための指針」
6に定められている4つのケアの一つであり、ユニクロの経営トップによる直接対話は店長のメンタル面の健康経営施策として、社内で最もランクの高い「ラインケア」となる。店長は経営トップの薫陶を受け、モチベーションを最高に高めて店舗に戻っていくという効果が期待されるだろう。
大企業では経営トップと従業員の距離が遠いため、社長と従業員の直接対話を設けている企業も少なくないと思われる。果たしてその中に「感激のあまり泣き出す者が何人もいる」ような対話がどれほどあるだろうか。柳井社長は経営者として、思い切って仕事を人に任せ、その「期待」を相手に届ける力が、他の経営者と比べ群を抜いていると評される
7。このことが、「ラインケア」においても大きな効果につながっていると考えられる。
健康経営は経営課題を解決する事業活動であるから、経営目標とつながっている。そうでなければ、経営とは無関係のレクリエーション活動の一つになりかねない。経営課題の解決に向けた意味ある活動であるからこそ、経営トップの関与や経営資源の投入が行われ、現場でも実態の伴った活動となるのである。
ユニクロの経営目標は200人の経営人材を輩出することである。そのためには、経営者の予備軍であり、また選抜プログラムの候補人材ともなる店長が、人材プールとして形成され、しっかり確保される必要がある。逆に、店長の離職によって経営者候補の人材プールが崩れると、百人単位の経営者育成はその準備段階で覚束なくなってしまう。そこで、経営トップによる店長の士気高揚とともに、親身な傾聴と助言による全人格に及ぶケアを企図した直接対話が設けられていると考えられる。つまりこの取組みは、経営者候補の人材プールを確保するという点で、経営目標に紐付いている。
健康経営は、経営資源を投入して経営上の成果を追求する活動であるから、どういう姿が達成できれば自社の経営上の成果であるかを明確にして、達成を評価する指標とその目標水準を設定する。これにより達成状況に応じて取組みを改善することもできる。健康経営も事業活動であるから、企業における他の事業活動と立案・管理の手法は変わらない。
ユニクロの事例で目指す姿とは、店長が選抜プログラムの候補となっていくよう士気高く働き続けてもらうことで、経営者候補の人材プールを確保することであろう。重要な評価指標は退職率である。目指す水準は通常の経営でも段階的な目標を置くのが通常であるから、まず少なくとも現状水準からの改善を目指すことになるだろう。尚、店長からアンケートで取得したメンタルやストレスのデータを分析し、仮説を立てて介入し、結果を検証しながら取組みの改善を図っていくのがオーソドックスな健康経営だが、いずれにしてもユニクロの直接対話は短期間に大きな改善効果を得ている。
一方、ユニクロが直接対話に取り組んだ結果、退職が激減したということは、裏を返せば従前には一定の水準にあったことを意味している。急激な事業拡大が現場に歪みをもたらすのは常であり、その歪みは店舗経営者である店長に集約されてくる。さらにアパレル世界一を目指してインディテックス(ZARA)とH&Mを猛追する中にあって、店長はそれぞれ常に高い目標を負っているだろう。実際、ユニクロの店長が生易しい職務でないことは一般にも知られている
8。また、ユニクロの店舗戦略は、展開する地域に合った「個店経営」の追求であるから、やはり店長が事業の要となる。従って、ユニクロでは店長の士気高揚と退職抑制それ自体が重要な経営課題でもある。柳井社長による直接対話は、経営者候補の確保にとどまらず、この重要な経営課題を経営トップ自らが解決しようとする健康経営であると見立てることができる。
健康経営の浸透とともに得られつつある知見がある。それは「経営トップが本当に従業員の健康を心配してくれていることが伝わると会社の景色が変わる」というものである。これは経営トップと従業員の距離が近い中小企業で起こっている。逆に、経営トップと従業員の距離が遠く、その意思が伝わるまでいくつも階層を経る大企業では一般にユニクロのような形で健康経営を実践することは難しい。ユニクロの事例は、巨大企業の健康経営であっても経営者次第で「会社の景色は変わる」のだという教訓を与えてくれる。尚、ユニクロの経営目標である経営人材育成の進展を見ると、現時点で経営人材の中核である執行役員だけでも50名を超える規模となっており、かつその大半は選抜プログラムの成果ともいえる30代、40代の若き経営者で構成されているようだ。
6 セルフケア、ラインによるケア、事業場内産業スタッフ等によるケア、事業場外資源によるケアの4つで構成される。
7 河合太介「解説 柳井正(2015)『経営者になるためのノート』PHP研究所」。柳井社長は「『無茶苦茶な所もあって大変だけれど、なんとかして柳井さんの志をかなえてあげたい、一緒にかなえたい』と人に思わせてしまう力がある」という。
8 横田増生(2011)「ユニクロ帝国の光と影」文芸春秋社などを参照。
4――健康経営とは経営である