近年、病理医を巡って、いくつかの動きがあった。それらをみていこう。
1|「病理診断科」は2008年度から標榜できるようになった
日本では、病理業務の歴史は古い。1877年に東京大学が設立され、医学部が発足して、大学での医学教育がスタートした
28。当時すでに病理学の講義が行われており、病理解剖も始まっていたとされる。20世紀に入ると、主にアメリカで生検組織を診断する外科病理学が発達し、これが日本にも導入された。病理業務は、医療検査の一部として重要な位置づけとされた。
しかし、その後長らく病理業務は、医療検査の一部との位置づけとされたままであった。法令上、病理診断は国家資格を持つ医師にしかできない。しかし、そのベースとなる病理業務は、臨床検査技師法の中に病理検査として規定されているのみで、医療法には規定されていなかった。
病理診断が医行為として規定されたのは、2008年4月の医療法改正によってである。2008年度から、病院で「病理診断科」の診療科名の標榜が可能となった
29。
28 東京開成学校と東京医学校が統合されて、東京大学が設立された。、東京医学校が母体となって医学部が発足した。
29 各病院が保健所に2年ごとに提出する医師届けにも、診療科を選ぶ欄に「病理診断科」の名称が加わった。
2|「ひとり病理医」のままでは病理診断に支障が出る
病理医は、人間の疾病全般を対象とする広い守備範囲と、さまざまな診断方法や治療方法に対する深い専門性をもとに、病理診断を行っている。
(1) 最終診断としての病理診断
病理診断は、最終診断といわれる。これは、病理医が診断した内容は絶対的で、それ以後の治療方針は、病理診断の結果をもとに組み立てられるということを言い表している。
このため、病理医は、少しでも診断内容に自信が持てないときは、内容の確認をする必要がある。医学書をはじめ、各種の医療関係ジャーナル、症例報告に関する論文、医学関連のインターネット情報の検索や、同僚や先輩の医師への相談などを通じて、診断内容の確認を進めることが求められる。
(2) 「ひとり病理医」の制約
ただし、日本では、近年、病院内に病理医が1人しかいない「ひとり病理医」の病院が、中規模・小規模の病院では一般的となっている。その場合、病理診断内容について相談すべき同僚医師がおらず、確認に支障が出る懸念がある
30。ひとり病理医の場合、病理医同士のダブルチェックも難しい(後述)。また、1人の病理医に病理診断が集中して臨床医療が逼迫する、といった問題も生じかねない。
30 また、近年の動向としてAI(人工知能)を活用した診断の拡大がある。診断結果の説明責任が病理医にあることを踏まえれば、AIを盲信して診療を進めることは難しいものと考えられる。(AIの活用については、第7章を参照いただきたい。)
(3) 常勤病理医の不在
また、大病院であっても、常勤の病理医がいない場合がある。2017年10月時点で、全国に400あまりあるがん診療連携拠点病院で、常勤の病理専門医がいない病院は50程度ある
31。このような常勤の病理医がいない病院では、術中迅速診断を行うことは困難である。また、病理医と臨床医が緊密に話し合うことも難しい。これは、臨床医からもたらされる患者情報(生活環境、遺伝関連情報など)を踏まえて、病理医が診断内容を検討するといった調整が困難となることを意味する
32。
31 国立がん研究センター がん情報サービスホームページの「病院を探す」の検索結果より。
32 たとえば、患者が妊娠中であったり、出産後授乳中であるといった基礎的な情報が臨床医から診断医に伝えられないと、妊娠・出産に伴う正常な乳腺のしこりを、病理医が病変と誤診してしまう恐れがある。
3|病理診断の精度管理には、新たな医療技術の活用が有効
病理医がくだす病理診断は最終診断とされる。そこで、当然、診断精度の管理が重視される。
(1) ダブルチェック
精度管理のためには、ダブルチェックが有効となる。複数の病理医が同じプレパラートを観察することで、誤診を減らすことができる。一方で、ダブルチェックにはつぎの点を踏まえる必要もある。
1) 複数の病理医の確保
ダブルチェックに必要な複数の病理医をどのように確保するか。現状の国内の病理医の規模からみて、ただちにすべての医療施設に複数の病理医を置くことは現実的ではない。
そこで、後述するバーチャル顕微鏡などの医療技術を活用することが考えられる。遠隔地にいる病理医からダブルチェックの支援を受ける体制をつくることが、補完策として有効と考えられる。
2) ダブルチェックを行う病理医の心理
あわせて、病理医の心理も踏まえる必要がある。ダブルチェックで、後の診断を担当する病理医は、先に診断した病理医の診断内容に異を唱えにくい。特に、キャリアの少ない若手の病理医の場合は尚更となろう。そこで、後の病理医には、先にくだされた診断結果を知らせずに診断してもらい、2つの診断結果を比較する等、チェックの実効性を高めるための方策も考える必要があるかもしれない
33。
33 医薬品等の臨床試験で行われる「マスク化」と同様の方法。
(2) コンサルテーションシステム
日本病理学会は、病理標本について、病理医向けに「コンサルテーションシステム」を提供している。相談を希望する病理医は、学会事務局に申し込む。事務局は、コンサルタントとなる病理医を紹介する
34。そして、依頼者の病理医が、コンサルタントに病理診断報告書の写しやプレパラートなどを送付して、相談に乗ってもらう。このシステムを活用することで、病理医間の連携を促進して、診断の精度を高めることが期待されている。
34 2016年度には、128名の医師がコンサルタント名簿に掲載されている。(一般社団法人 日本病理学会ホームページより)
4|症例報告を通じて、医療関係者間の議論が促進される
病理医は、個別の患者の病理診断とともに、病理学そのものの発展にも寄与することが期待されている。病理診断で扱った検体の研究を通じて、さまざまな疾患の病態や診断法・治療法の理解を深め、医療関係者間で広く共有する。このことにより、病理学や臨床医療全体の質を高めることができる。
(1) 臨床病理検討会
病院では、臨床医や病理医等が共同して、討論形式の「臨床病理検討会(Clinico- Pathological Conference, CPC)」を開催することが一般的となっている。CPCには、病院の医師だけではなく、近隣の医療機関の医師(開業医等)にも参加を促す。臨床医療の経験を広く共有することで、地域医療に貢献するものとなっている。CPCでは、剖検や生検を行った具体症例を取り上げる。
一般的なCPCの流れとして、まず患者の主治医が、病状や治療経過などを説明する。つづいて、診断について、参加者間で意見交換や議論を行う。その後、病理医が病理診断の結果を説明する。最後に、診断の過程や治療の妥当性など診療全体について議論を行い、得られた知見を集約・共有する。
(2) 症例報告における患者情報保護
CPCで検討される症例は、実際に剖検や生検を行った中から「症例報告」される。症例報告を行う際は、患者個人の特定ができないよう検体に処置が施される。日本病理学会は、症例報告における患者情報保護に関する指針を公表している。通常、この指針に基づいて患者情報の保護が行われる
35。
また、遺伝子・ゲノム研究では、政府から倫理指針
36が示されており、指針に基づいた厳格な審査基準が設けられている。患者の個人情報は匿名化された上で、患者の同意のもとで研究に利用される。