2|日本では救急医学の重要性が、近年、徐々に認識されてきた
日本では、救急医療体制は、民間の医療機関が中心となって構築されてきた。日本の近代医学・医療は、戦前にドイツから導入されたもので、研究中心の医学・医療をベースとしている。医学は、主に臓器別に専門化され、臨床よりも研究に、重きを置かれる傾向が強かった。このため、救急医学や、救急診療は、全体の医学や診療の中では、あまり重視されてこなかった。このことが、大学病院や国公立病院が、救急診療に消極的であったことの背景にある、と言われてきた。
しかし、近年、この傾向は大きく変化しつつある。臨床医学の重要性が認識され、医学は単なる学問ではなく、患者を診療してこそ、人間社会に役立つとの考え方が、医療関係者の間で広がっている。これは、臨床医学を重視するアメリカ型の医療に、変化しつつあることを意味する。1977年には、大学で、初めて救急医学講座が開講された
11。以来、救急医療の重要性が、徐々に浸透してきた。
2004年には、専門医制度の1つとして、救急科専門医が設けられた。2016年1月現在、4,302人の救急科専門医がいる
12。救急医は、全ての患者を対象に、あらゆる領域の医療を手がけていくという点で、総合診療医と類似している。救急医、総合診療医とも、求められるものは、特定の臓器や疾病にとどまらない、多臓器・多疾患に対して、全人的な医療を提供することである。そのためには、患者との円滑なコミュニケーション力、幅広い診察力、様々な病態や医療資源等の状況に応じた臨機応変な判断力、などが求められることとなる
13。
11 岡山県の川崎医科大学で開講された。同大学は、24時間体制のERと救命救急センターを同時に開設し、これらの施設で救急診療を行う中で、医学部生や研修医等の卒前・卒後教育や研修を行ってきた。
12 日本救急医学会ホームページの名簿・施設一覧による。
13 2014年に、「国民及び社会に信頼され、医療の基盤となる専門医制度」の確立を目指して、一般社団法人 日本専門医機構が設立された。同機構は、2017年4月から各学会に代わり、専門医研修を実施・運営する予定だった。しかし、医師偏在問題等に関する医学界内部の問題提起と議論の拡がりを受け、同機構は2017年4月からの専門医研修を断念し、同年度は各学会に委ねる方針を明らかにした。これを受けて日本救急医学会は、これまでに同機構による1次審査で承認されていた研修プログラムを「日本救急医学会承認・救急科専門医研修プログラム」として承認し、2017 年4月からは、これをもとに、専門医を育成することを表明した。(「救急科専門医育成への取組みについて」、同「:その2」、同「:その3」(日本救急医学会, 平成28年6月23日、6月30日、7月21日)より)
3|日本ではERの体制整備が遅れている
救急医療システムは、集中治療型、ER型、各科相乗り型の3種類に分けられる。それぞれの比較をしながら、内容を見ていこう。
(1)集中治療型
集中治療型は、日本で一般に行われているシステムである。これは、三次救急医療機関のICUで、重症の救急患者に対して行われる集中治療が主体となる。集中治療には、全救急患者の5%以下が該当すると言われている。このシステムの問題は、集中治療を要する救急患者が、スムーズに三次救急医療機関での治療を受けられない点とされる。その実例として、1つは、初期もしくは二次救急医療機関に搬送された患者が、重症患者であると診断されず、三次へ転送されないこと。もう1つは、重症患者と確定されていない患者が三次救急医療機関を訪れても、必ずしも引き受けてもらえないこと、が挙げられる。即ち、初期、二次、三次の救急医療体制は、救急患者の重症度の選別や、転送がうまくなされず、機能が不十分となる懸念がある。
(2)ER型
ERは、Emergency Room(救急室)の略語である。救急患者は、まず病院の入口にあるERで、ER専門医(救急医)やトリアージ・ナース(患者を緊急度や重症度に応じて各科に選別する看護師)の診察を受けて、初期診断や初期治療を施された後、病状に応じて、各科に送られる。ERは、365日24時間体制で運営される。医療スタッフは、3交代制で勤務することが一般的である。
患者はERに、救急搬送される場合もあれば、徒歩やマイカーなどで外来診療を受けに来る場合もある。救急搬送された患者は、ER専門医が診察して、重症度を判定する。その結果、ICUや重症病棟への入院、一般病棟への入院、帰宅して外来で受療、といった判断が行われる。徒歩やマイカーなどで外来診療を受けに来た患者には、まずトリアージナースが対応し、緊急性の有無を判断する。緊急性がある場合は、ER専門医の診察に回付される。なお、ER専門医は、原則として、初期診療のみに従事する。初期診療後の入院患者や、その手術には、基本的には関与しない。
ERは、北米で進んでいる仕組みで、日本では一部の病院に導入されている。患者を区別せず、まずERに全ての救急患者を受け入れ、その上で最善策を講じる。それがER型システムの原点である。
ERには2つの課題がある。1つは、混雑である。ERには、多数の患者が集中する。このため、混雑することが稀ではない。アメリカの救急医療でも、ERの混雑は課題となっており、その解決に向けて、科学的アプローチが研究されている。もう1つは、救急車等の搬送の受入れが困難な場合があることだ。ERが混雑している時は、搬送受入れも難しくなる。
(3)各科相乗り型
各科相乗り型は、日本の病院で、多く見られるシステムである。あらかじめ、各科で救急担当医を決めておく。救急患者は、振り分けナースによって、各科に振り分けられる。振り分けられた患者は、その科の救急担当医が診察、治療を行う。ER型とは異なり、救急患者に対する横断的な初期診療は行われない。
このシステムでは、ER型の場合のER専門医がおらず、振り分けナースの各科への振り分けが、鍵となる。現状では、その振り分けは、経験的に行われており、担当の看護師の力量に負うところが大きい。そのため、あまり経験のない看護師が担当する場合、複数の患者間の治療の優先順位や、振り分けるべき診療科を誤ることがある。このことが、各科相乗り型の限界とされている。
日本では、ER型のシステムについて、明確な定義はない。このため、様々な形で、ERを標榜する医療施設が存在している。しかし、北米で行われているような、先進的なER型システムの導入は、あまり進んでいない
14。ERを運営するための、ER指導医やER専門医の育成も、遅れている。
今後、総合診療専門医と同様に、救急医療においても、臨床に根ざした全人的な医療を行う医師を育成していくことが、医療の充実のための大きなテーマと言える。臨床研修の場においては、ER専門医等、救急医療人材の育成を加速させる動きが求められよう。
14 日本で最初にER体制を導入した病院は、沖縄県立中部病院とされる。沖縄では、戦後のアメリカ統治下(1945~72年)において、アメリカの医療体制をもとに、病院が整備された。そのため、24時間、365日受診できて、重症度に関わらず対応可能な、ERを基本とした病院の体制が、早期に導入された。