日本では、医薬分業が医療制度の前提となっている。簡単に、その内容を見ていくこととしたい。
1|医薬分業の経緯
日本では1974年に、中央社会保険医療協議会(中医協)が、診療報酬のうち処方箋料を引き上げる
52答申を政府に対して行い、これにより医薬分業が動き出した。法令上は、1874年に明治政府が「医制」(医療法や医師法の原型と言われる。) を制定した際に、医薬分業の考え方が盛り込まれていた。その後1889年には「薬品営業並薬品取扱規則」が公布された。しかし、医師からの反対の結果、同規則の附則で医師の自己調剤が認められたことから、実質的に医薬分業は行われてこなかった。
2|医薬分業の目的と、その進捗
医薬分業には、次に示すようないくつかの目的がある。
医師の出す処方箋の数は年々増加し、2014年には7.8億枚となっている。外来で処方箋を受け取った患者のうち院外の保険薬局で調剤を受けた割合を表す、医薬分業率
53も徐々に上昇して68.7%となっている。医薬分業は、40年以上をかけてかなり浸透してきたと言える。
しかし、保険薬局を立地別に見てみると、7割以上が病院・診療所の門前にある。これらは「門前薬局」と呼ばれている。その中には、特定の医療機関から発行される処方箋を集中的に取り扱う「マンツーマン薬局」が多いものと考えられる。一方で、地域に根ざした薬局は、25%程度にとどまっている。医薬分業は、処方箋の数など形の上では進んできた。しかし、保険薬局の立地など、実質的には、進捗は道半ばの状態にあると見ることができよう。
医薬分業において、保険薬局には、複数の病院から処方された患者の薬をまとめて管理する機能が求められている。これに応じて、調剤報酬において、特定の医療機関からの処方箋による調剤の割合が一定率以上に集中している場合に、調剤基本料が削減される、との特例措置が設けられている
54。
今後、地域包括ケアシステムの構築により在宅医療が進む中で、薬局についても地域医療に即した形への役割の変化が求められるものと考えられる。現在の門前薬局やマンツーマン薬局を、どのように地域医療に組み込んでいくかが、大きな検討要素となろう。
52 従来の10点を50点に引き上げた。1点は10円に換算されるため、従来の100円から500円に引き上げられたことになる。
53 処方箋枚数を投薬対象数で除して計算される率を指す。ここで、投薬対象数は、医科診療(入院外)と歯科診療の診療実日数に、実績投薬率を乗じて算出する。
54 調剤報酬のうちの、基準調剤加算についても、特定の医療機関からの処方箋による調剤の割合が一定率以上に集中している場合、加算が制限される取扱いとなっている。