4.2. 公正な移行のためのポリシー・エンゲージメント
昨年のPRI in Personバルセロナ大会から、ポリシー・エンゲージメントの重要性が指摘されるようになったが、今年は、「一にも二にもポリシー(エンゲージメント)」と話す投資家をさらに多く見かけるようになった。
長期的にみると、投資先企業から得られるリターンは、社会システムや環境システムの安定性に大きく左右される。しかし、SDGsの達成進捗が遅れる中(前掲図1)、機関投資家のポートフォリオは、様々なシステムレベル・リスクに晒されている。そうした状況を改善するために、投資家は、実社会へのインパクト創出やサステナビリティ・アウトカムの形成に向けて協働エンゲージメントを行うわけだが、それだけでは十分ではない。社会システムや環境システムを改善するには、政策当局に対しても直接働きかけていくことが重要になる。すなわち、政府のエネルギー政策や規制の動向が、投資先企業の活動へ影響を与え、投資家のリターンにも影響を与えるならば、投資家は、企業に対してエンゲージメントを行うだけではなく、政府・政策当局にもエンゲージメントを行うことが受託者責任に含まれるという考え方である。
投資家によるポリシー・エンゲージメントに関しては、ネットゼロに向けた野心的な目標を立てるよう政策当局に対して注文を付けることだけが目的ではない。「公正な移行」に対する包括的な政策パッケージに対する働きかけも重要な目的になる。野心的なネットゼロ計画は、地域コミュニティや労働者にマイナスの影響を及ぼす可能性があり、それではSDGs達成のモメンタムが社会全体で高まらない。PRIのNathan Fabian氏は、「米国以外の国や地域でも、ネットゼロ社会への移行が難しいことが見えてくれば、反対勢力が台頭し、反ESGのような政治的圧力が生まれ得る」と指摘した。したがって、「社会全体の様々なステークホルダーに及ぼす影響」と「エネルギー構造や産業構造などの地域性」を考慮した政策パッケージが必要になる。
例えば、日本は、他の先進国に比べると、再エネ比率が低いため、ネットゼロに向けたより野心的なエネルギー政策の必要性がしばしば指摘される。一方、日本は、製造業セクターのシェアが他の先進国に比べ高く、かつ、産業構造に占める中小企業の割合が企業数・従業員数とも高い。このため、製造大企業のサプライチェーン上の中小企業が、野心的な脱炭素計画にどれだけ追随できるのか ―― 例えば、大規模な雇用調整圧力にどう対処するのか ―― に関して不確実性は大きい。
ネットゼロ移行に伴う雇用不安の問題は、海外では既に現実のものとなっている。9月に始まった、全米自動車労働組合(UAW)のストライキには、ガソリン車からEV(電気自動車)へのシフトが雇用縮小に繋がることへの不安が背景にあった。また、脱炭素化と石炭火力発電廃止に向けて邁進してきたEUでは、9月に、ブルガリア政府が石炭火力発電の段階的廃止の計画を撤回し、運転延長を決めたが、これには、石炭火力の廃止で失業する労働者の反発が背景にある。
こうした状況のもとで、社会全体のサステナビリティの向上に寄与する、ネットゼロ経済への公正な移行に向けて、ポリシー・エンゲージメントを強化しようという考え方がPRIやグローバル投資家の間で高まっている
7。「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを原則とするSDGsの達成には、野心的な脱炭素化計画と公正な移行の両立が求められる。この両立を実現するには、政府全体として包括的な政策パッケージ(whole-of-government policy reform)が必要になる。投資家の最大の関心は、そうした政策パッケージに関する信頼性と透明性である。グローバル投資家は、この点に関する政府との対話を強く望んでいる。
PRI in Personでは、ソブリン・エンゲージメント(投資家が協働で政府と対話を行うイニシアティブ)をテーマとした分科会も開催された。投資家による協働エンゲージメントの対象が、(株や社債を発行する)企業だけではなく、(国債を発行する)政府にも着実に拡がっている様子が伺われた。ソブリン・エンゲージメントを通して、各国の気候変動対策やエネルギー政策に対する情報の非対称性が解消すれば、発行体である政府にとっても、資金調達コストの削減が期待できるようになる。投資家によるエンゲージメントの対象になった(森林伐採リスクの高い)ブラジルは、当初グリーンファイナンスの取組みに消極的であったが、年内に初のサステナブル・ボンドを発行するなど、エンゲージメントの成果例が報告された。
また、PRI in Personの開催期間中、そして開催前後の日程で、様々なサイドイベントが開催されたが、中でも、日本のGX政策に関する関係諸官庁とグローバル投資家のラウンドテーブル(単発のソブリン・エンゲージメントの機会)は注目を集めていた。
今後、ESG投資・責任投資に関する国際的な資金フローの流れは、各国政府が、信頼性と透明性のある包括的な政策パッケージを打ち出していくことができるかどうかに左右されてこよう。その点では、政府間競争が働いていくものと考えられる。
7 PRI, "Investing for the economic transition: the case for whole-of-government policy reform", 2023年10月
5―― Anti-ESG