5――憲法と中央銀行10
公的な組織の多くがそうであるように、「国のかたち」を表す憲法は、社会のなかでの中央銀行の果たすべき役割、あり方を考えるうえで原点ともいうべきものである。憲法は中央銀行という存在を理解するうえで多くの示唆を与えてくれる
11。
中央銀行が必ずしも民主主義と親和的でない面を持つのでれば、憲法とも相いれないのであろうか。現代の民主主義国家において憲法の原理には民主主義と並んで、権力の分立で象徴される立憲主義がある。中央銀行の独立性は、実はこの立憲主義と親和的である。中央銀行が立憲的な存在であることが理解されれば、社会の中央銀行の理解も深まることになる。しかしそのためには中央銀行が立憲的な役割を積極的に果たすことも必要となる。
立憲主義は、その根源は、基本的人権の尊重のためにある。窮極的には民主主義による多数決によっても基本的人権は侵害されないこと、これが立憲主義の主目的である。立憲主義による権力分立の典型が裁判所である。Goodhart等(2002)は、それぞれの国において中央銀行の独立性は最高裁判所の独立性と相似していること、しかし国際比較すれば、最高裁判所の独立性が各国で異なるように、中央銀行の独立性も各国で異なることを論じている
12。
それでは立憲制の下で、中央銀行の独立性はいかにあるべきであろうか。
立憲主義が示す権力間のかたちは、権力分立(separation of powers)である。その関係はチェック&バランスとして表現されている。すなわち相互に牽制(チェック)して均衡(バランス)が保たれるという力学的な関係が示されている。
しかしこうした理想に反して、中央銀行は、多くの国で政府との対立を避ける傾向にある。立憲制の下でも、政府は民主的なコントロールとして、中央銀行の役員の任命権を持つ
13。また議会は中央銀行法を変える権限を持つ。こうした状況では、中央銀行は、政府や議会との対立を極力避けたいと思うのは自然である
14。
こうした状況でも、チェック・アンド・バランス(checks and balances)の立場からは中央銀行がより積極的に独立性を発揮し、政府とは異なる非政治的な立場、中長期的な視点から財政政策をはじめ経済政策に積極的に発言していくことが望まれる
15(「積極的な独立性」の発揮
16)。これはまた、前川総裁が示した「奴雁」の姿勢を具現化するものでもあろう。積極的な行動は批判にもさらされようが、批判にも積極的に対峙していくことこそが、立憲制のなかでの中央銀行という存在が社会に理解される途でもあろう。
英国では、金融政策について、財務大臣と中央銀行総裁の間で公開書簡を送る制度がある
17が、現在のゼロ金利制約のもとでは、財政政策と金融政策が協調する必要があるという現実を踏まえて、財政政策について、中央銀行側から財務大臣に公開書簡を送る提案がされている
18。これにより、財務省と中央銀行は相互に牽制することになる。
もっとも強い政治的なプレッシャーのもとでは、人事、法律の改正などで中央銀行に民主的コントロールの手段を持つ政府に対して牽制を行うことは難しい。こうした状況を打開するためには、社会全体でチェック・アンド・バランスという立憲的な枠組みの重要性が認識され、政府も中央銀行の独立性を尊重するようになることが望ましい。
政府からのコントロールが強い旧日銀法の時代においても、前川総裁時代に日銀は、国会審議中に予算書の書き換えを嫌う大蔵省の反対に抗して公定歩合の引き上げに踏み切った(1980年2月)。これには前川総裁が大平首相を訪ね、大平首相が日銀の決定を尊重し、公定歩合変更を了解したとの事情がある。
10 本節は多くを佐藤(2002)に負っている。髙橋(2013b)は、中央銀行の独立性の観点から憲法に考察を加えている。また髙橋(2020)は、中央銀行の役割の増大など最近の環境変化を踏まえて、立憲的なチェック・アンド・バランスの視点から、中央銀行の独立性の役割を論じている。
11 日本銀行法の改正は憲法上の問題とされるが、議論は憲法第65条(「行政権は、内閣に属する」)のなかで中央銀行に独立性が与えうるのかという点に集中しがちである。しかし憲法の原理である権力分立、チェック・アンド・バランスを踏まえることが、独立した中央銀行のあり方を考えるうえで重要である。
12 Goodhart and Meade (2002)
13 1997年の日銀法改正の議論では、日銀の独立性を公正取引員会のなどの独立行政員会での議論に準えて、人事任命権を合憲性の要件とした。しかし憲法上想定されているのは人格上の理由等一定の場合に限定された解任権であって、政府による任命権の掌握を合憲性確保の条件にしないとの見解もある(日本銀行金融研究所(2001))。
14 わが国において、全般的に立憲的な枠組みが活かされてこなくなっている現状については樋口(2019)など参照。
15 日銀はかつて、デフレの背景としては日本経済の成長力(潜在成長力)の低下が重要であることを主張したが、この指摘は政府との間でももっと真剣に議論されるべきであった。日銀の指摘は、当時金融緩和に積極的でないことの自己弁護と受け取られたともいわれているが、後述の第三者検証等ではこうした点も検討の対象とされることが望まれる。
16 髙橋(2020)は、独立性の保持のために政府との摩擦を避ける独立性の運用を「消極的な独立性」と呼び、これと対比して、中央銀行がチェック・アンド・バランスを発揮し。政府を牽制する「積極的な独立性」を発揮することが望ましいと論じている。
17 イングランド銀行総裁と英財務大臣との公開書簡は、金融政策についてはインフレ目標を未達成の時に、総裁から大臣に公開書簡が送付され、返信される(Exchange of letters)。一方、財務大臣は金融政策運営や金融安定化政策についても定期的にイングランド銀行向けに、公開書簡として付託事項(remit)を送り、イングランド銀行が返信している。最近(2021年3月)では、金融政策及び金融安定化政策の双方に気候変動対策を政策の使命とすることを要望し合意している。
18 これは、労働党Blair政権のなかで、1998年のイングランド銀行の独立性を起案したEd Ballsなどのよって提案されている(Balls, Howat and Stansbury (2018))。
6――説明責任