日本では、近年3年連続して年3%を越える最低賃金の引き上げが実施されてきた(図表6)。過去15年間の平均上昇率が年1.9%であることや物価上昇率が1%程度に留まることなどを踏まえると、国内的には高い水準にあると言える。
足元の日本経済をマクロな視点で見ると、雇用環境は完全雇用に近い状態にあり、2019年4月の有効求人倍率は1.63倍であり、新規求人倍率も2.48倍と人手不足が深刻化している
3。また、企業の利益は過去最高を更新し、2018年度の経常利益
4>は86.4兆円と10年前の2.5倍に拡大している。労働需給が引き締まり、企業が利益を稼ぎ出す中、雇用者への還元は遅れ気味だ。
このような状況のもとで、すべての企業に賃上げを義務付ける最低賃金の引き上げは、雇用者への還元を強化する格好の機会となり得る。とりわけ、最低賃金近傍で働く労働者は生産性の低い企業に多く、そのような企業を中心として、組織改革や先端技術の導入、統廃合の動きが活発化すれば、日本全体の産業競争力が中長期的に強化され得る。
他方で、このチャンスにはリスクもある。韓国の事例が示すように、経済実勢に見合わないペースで引き上げが実施されれば、企業が雇用調整や投資抑制など防衛的な姿勢を強めて、経済にマイナスの影響が及びかねない。中には美容室のように、資本や技術の導入では、対応していくことが難しい企業も存在する。産業別や地域別など、キメ細かな対応をしていくことも必要だろう。
最低賃金の引き上げを加速するためには、3つのことに留意していくことが必要だと考える。3つとは、すなわち「経済実勢に見合わない引き上げをしないこと」「企業に生産性の向上を迫ること」「雇用の安全網を整備すること」である。
足元の経済実勢を反映しない早さでの引き上げは、社会に大きな歪を生みかねない。それは失業率の上昇として現れる場合もあれば、産業の空洞化などに現れる場合もあるだろう。企業が順応できない程のスピードで事業環境を激変させてしまうのは、明らかにやりすぎである。
また、経済実勢に配慮したものであっても、企業にとって雇用コストが増える点に変わりはなく、それを補う生産性向上とは不可分だ。最低賃金の引き上げを経済の好循環につなげるためには、企業の生産性向上を促すポリシーミックスが必要である。具体的には、研究開発減税の拡大、多方面での規制緩和、積極的な外資誘致政策などの政策が有効だろう。また同時に、非効率が改善されない企業に対しては、経営統合や廃業などを促し、産業の新陳代謝を高めていく仕組みも必要である。
さらに、雇用が不安定化した場合に備えて、労働市場に安全網を整備しておくことも必要だ。最低限度の生活を保障するセーフティーネットの充実や、労働の質を高め雇用のミスマッチを小さくする教育訓練プログラムの導入、労働のインセンティブを高める税制改革など、労働市場を補完するための政策は必須である。
最低賃金の引き上げ加速は、有効なポリシーミックスをどれだけのスピードで整備して行けるか、に掛かっているとも言える。
3 厚生労働省「一般職業紹介状況」
4 財務省「法人企業統計調査」(数値は、金融保険業を除く全産業・全規模の経常利益)