このような形になった理由を考えると、翻案小説としての本作の性質と当時の西洋と日本における生命保険の浸透ぶりの違いに行き着くこととなる。
おそらく原作には、保険にまつわる犯罪を取り扱った経済小説としての色合いもあったのではなかろうか。いかんせん日本では、『生命保険』が発表されたのは、最初の生保会社、明治生命の開業からわずか9年しか経っていない時期である。
1890年当時のわが国の生保会社数は4社、数値をとれる現存会社3社の業績を足しあわせた1890年度末の契約件数は2.19万件にすぎない。
わが国の生命保険業は1890年代を迎えてから大きな伸びを見せる。
翻案小説『生命保険』が発表されたのは、ちょうど、こうしたわが国生命保険業が今まさに飛躍しようとしていた時期に当たる。
さすがにこのような時期であれば、涙香の優れた情報収集力と分析力および翻案力をもってしても、保険にまつわる犯罪の何たるかを理解し小説として構成することは困難であったのだろう。
涙香の敏感なアンテナがキャッチするのが早すぎた、大衆向けの読み物とするにはいまだ日本の状況が熟していなかった時代に、投じられた意欲作ということだろう。もし10年後に涙香が翻案していたら、本作はまた違った輝きを放つことになっただろうと思われる。
それにしても、インターネットもテレビもラジオもない時代に、弱冠20代の若者が、西欧の新聞小説から時代の動きを読み取り、日本人に伝えようとした中に、生命保険という当時の最先端事業があったこと、その情報収集能力の卓越さには恐れ入るのみである。
また大衆紙の連載小説欄に『生命保険』の表題が載ったことは、事業開始間がない生保会社にとっては、大きな宣伝効果を持つ支援となったのではなかろうかとも思うのである。
名前を読み上げてみれば「黒い悪い子」となるなんて、黒岩涙香、実にしゃれた人である。