契約者貸付利率、保険料自動振替貸付利率については、戦後ともに6%、1955年11月から契約者貸付利率は8%、保険料自動振替貸付利率は6%となり、1985年4月からともに8%、1989年7月にはともに7%となった(なお、約款で別途利率の規定がある保険種類については約款に従う)。
こうした貸付利率の設定は、契約者への還元利回りである配当基準利回り(予定利率+利差配当率、ⅰ+Δⅰ)とのバランスをとったものである(配当基準利回りは最高で8.2%に達した)。
1991年4月には、貸付利率の設定方式について、配当基準利回りと市中金利(長期プライムレート)の双方を反映する方式とする会社が現れ(その時点では7%に据え置き)
9、各社も追随した。
これは、米国で発生したディスインターミディエーション(市中金利より契約者貸付利率が低かった時代に、保険契約から資金が流失、他の金融資産へ移転)に対応し、NAIC(全米保険監督官協会)が定めた契約者貸付利率モデル法案(契約者に付利する金利+1%または社債金利のいずれか高い金利を貸付利率とする方式)
10を参考としたものである。
さらに、市中金利の低下は続き、契約者貸付利率、保険料自動振替貸付利率は、1992年4月には6.5%に、1992年10月には6.25%に、1994年10月には5.75%に引き下げられた
11。
一方、予定利率についても、5%(1976年3月~)、5.5%(1985年4月~)、4.75%(1993年4月~)、3.75%(1994年4月~)などと変遷し、1996年4月、標準責任準備金制度が導入され、標準利率などにもとづいて生保各社が独自に予定利率を設定することとなったが
12、当時は標準利率と同水準の2.75%に予定利率を引き下げる会社がほとんどであった。
貸付利率について、当該契約の予定利率によらず全契約一律に設定する場合には、当時の保有契約の大半を占める予定利率5.5%以上に設定しないと、予定利率以上の運用が不可能となる。
一方、予定利率が3.75%や2.75%の契約について、貸付利率を従来と同水準の5.75%とすると、当時の市中金利に比べ相対的に高くなり、顧客に不利益となる。
そこで、1996年4月の保険料率の改定(予定利率の2.75%への引き下げなど)と同時に、全契約一律ではなく、契約年度別の貸付利率設定(予定利率の高い契約については貸付利率を高く、予定利率の低い契約については貸付利率を低く設定することとほぼ同義)が実施された。
具体的には、1994年4月1日以前の契約は従来と同水準の5.75%、1994年4月2日以降の契約は4.75%、1996年4月2日以降の契約は3.75%とした
13。
以降、このように保険契約ごとの予定利率を加味して契約年度別に貸付利率を設定する生保会社が多く、現在に至っている。
9 乙幡亨「契約者貸付利率の見直しについて」『生命保険協会会報』第72巻第1号、1991年9月。
10 ブラック、スキッパー『生命保険 第12版』177~178ページ、1996年5月。
11 藤中章三「米英の契約者貸付利率の推移と日本への示唆」『生命保険経営』第62巻第6号、1994年11月。
12 猪ノ口勝徳「民間生保会社の予定利率の変遷と生保商品動向」『共済総研レポート』No.125、2013年12月。
13 「日生 4月から保険料率を改定 契約貸付等諸利率も引下げ実施」『インシュアランス』第3696号、1996年3月28日。
4――各生保会社の契約者貸付利率、保険料自動振替貸付利率の開示の状況