小林 雅史()
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とあり、インシュアランスが中国で保険または担保と訳されていた当時の状況を伝えている。「災難請合英語これをインシュレンスといふ 支那に訳して保険または担保と称するもの是なり 此請合を別ちて英語フハヤ、ライフ、マリィンといふ則ち火災生活海上の三ッなり 支那に宅担保、命担保、船担保或は火燭保険、海上保険と名つく」7(原文のまま。ただしフハヤのハは小文字表記。変体仮名はひらがなに改めた)
とされている8。「つぎに『保険』ということばだが、これは英語のインシュアランスの訳語である。日本では、福沢の『西洋事情』にも出てくるように、『災難請合』、『生涯請合』、『火災請合』、『海上請合』のように、請合という字を当てていたが、明治5、6年頃から保険賃の沸騰などといういいかたが、文書に見えるようになった。これは、『英華字典』(明治元年=1868年)などにすでに使われていた「保険」という用語を借用して使ったものらしい。・・・
明治18年と20年の英和辞典には二つとも『保険』、『保険料』、『保険会社』、『火災保険』などの訳語をつけているが、保険という字にはみんな『うけあひ』というふり仮名をつけている。請合といっていた頃のなごりであって、『ほけん』と音読みするようになったのは明治20年以後らしい」
4――おわりに
と紹介されているとおりであり、それまでわが国において概念のなかったinsuranceを見事に保険という用語として定着させたのは明治人の苦心の賜物である。「現代において、わたくしたちは、ほとんどあらゆる分野の学問を、わたくしたちが平生使う日本語を通じてほぼ自由に研究することができ、また、それほど無理をしないで自国語で高等教育を受けることができるが、明治開国の当初にはそうはゆかなかった。今日の日本は、世界でも指折りの高学歴社会となっているが、このようなことが実現したのは、明治の先人がたいへん苦労して、高等教育に耐えうる日本語を形づくったからだと考えられる」10
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