コラム

無借金経営は、フィデューシャリー・デューティーに反すか

2016年11月25日

(德島 勝幸) 公的年金

ようやく企業による9月末決算の発表が終わった。各企業の経営計画・見通しを聞いていると、先行きの見通しが決して明るくなく聞こえる企業も少なくない。その一方で、強気の成長見通しを基に、積極的な経営に取組んでいる企業も見られる。後者のタイプの企業は、債務の取入れ等によって果敢に事業拡大等へ打って出ようとしている。一方、前者のタイプの企業は、人口減少のはじまった停滞経済において現状を維持し、アルマジロのように身を固めて生き延びようとしている。しかし、それではデフレ経済のスパイラルと同じで、皆が縮小均衡に陥ってしまう結果として、人口減少のはじまっている経済の成長は期待し難くなる。日本経済の成長は政府が策定する成長戦略のみによるものではなく、むしろ私たち民間セクターが取組むべきものもあるのではないか。その一つとして、事なかれ主義の企業経営哲学を打破することが重要であると考えられる。その代表的な例として、巷間良く企業経営者が胸を張って言う無借金経営が、必ずしも経営方針として適切ではない可能性があるということを指摘してみたい。
 
日本の多くの大企業には、昔から借金を悪いものとみなす経営哲学が染み付いているように思える。確かに、リーマンショック直後に見られた資本市場の混乱とそれによる機能不全とを考えると、安易に金融機関から融資を受けることを避けつつ、その一方で、十分な手元流動性を確保しておきたいと考えるのは、経営者の判断として無理がないように考えられる。もちろん金融機関等の他社から借入れを受けず、返済の必要な外部資金を一切取り入れることがなければ、月末の手形取引が決済できないなど資金繰りを原因とするもの以外に、企業が倒産に陥る可能性はほぼないだろう。しかし、コーポレート・ファイナンスの理論から考えると、株主から企業の経営を託されエージェンシーとしてフィデューシャリー・デューティー(受託者責任)を負う経営者が無借金経営を選択することは、株主に対して必ずしも十分な誠実義務を果たしていない可能性があると考える余地が存在する。
 
まず、議論の前提として、企業は金融機関からの借入れもしくは資本市場における有価証券の発行によって、資金を調達することが容易であることが必要である。リーマンショックを受けた日本の金融市場では、金融機関も証券会社もリスクを負うことを避け、数ヶ月間にわたって金融市場の機能麻痺が顕在化したのである。その結果、同期間において、社債やCDSの信用スプレッドが大きく拡大してしまっている。しかし、現状のように、日銀による長短金利操作付き量的・質的金融緩和で、マイナス金利を含め強力に金融市場に対する緩和効果が発揮されている中では、一般的な大企業は金融機関からも資本市場からも資金調達が容易であろう。このような限界に近いまでの強力な金融緩和下で必要な資金調達ができない大企業には、残念ながら、退場して頂くしかない。
 
次に、企業は株主に対して投資に見合った収益の還元を行うため、利益を挙げることが求められている。営利法人である以上当然の責務であり、これは株主に対する受託者責任と言って良い。株主への還元原資となる利益について、ROE水準を8%以上確保することが資本市場から求められているといったレポートも見られるが、業種や個々企業の置かれている状況によって、必ずしも一律ではないはずだ。レポートでは、ROEの8%が最低ラインとされているものの、企業によっては、その事業内容からより高い水準の実現が求められる場合もあろう。適正な利益還元を株主にもたらさない企業についても、また、資本市場経済から撤退して頂くしかないだろう。非営利法人の場合には、公益のため、公共の福祉のため等の理由で存在を続ける意義があるかもしれない。しかし、株式会社はあくまでも営利法人であって、ESGの観点から高水準の利益のみを追求することは否定されるが、ある程度の利益を創出し、株主を含むステークホルダーに還元することは、経営を受託したエーゲンシーである経営者の義務なのである。
 
株主に対する利益の還元が、配当といった直接の形に限られていないことは言うまでもない。市場から自社株式をバイバックして株価を引き上げるとともに、配当対象となる株数を減らすことで、一株当り配当金額を増加させるのも、一つの方策である。しかし、単純な自社株買いによる株価の上昇のみを持って株主への還元を実施しているという説明は、必ずしも適切ではないだろう。その場合、株主は利益を手にするために、保有株式の売却を迫られる。短期の値上がり益を狙う投資家ならいざ知らず、長期的な視点から企業価値を評価し投資対象としている投資家は、株式保有を長期投資のスタンスで行っており、保有株式を売却することは、当該企業の将来性や成長性に限界を感じた場合のみに限られるだろう。株価を上昇させることは、経営者が大切にすべき長期保有の投資家から期待されているものの、必ずしも株式の売却を求める必要はない。長期保有の投資家を大切にするのであれば、配当といった形での株主還元を怠ってはならないのである。
 
一方で、企業経営者は適正な利益を挙げるために、投資を行うことが求められている。何も新規の設備投資やM&Aには限られない。既存の設備の収益性を維持するための更新投資も含まれる。投資を絶えず継続し利益を追求することが、経営者が負った株主に対する責務である。また、株主側も積極的に株主への利益還元を投資先である企業に求めるべきである。特に株主が機関投資家である場合には、その機関投資家の株式を保有する株主に対して利益還元の努力を行う必要がある。物言わぬ株主は、企業が適切に委託された職務を遂行している場合にのみ経営方針等に賛成して物を言わないことが肯定されるが、長期的に株主の利益にならないような実態であれば、明白にNOと主張しなければならない。現代の資本市場において、物言わぬ株主は必ずしも美徳でないし、フィデューシャリー・デューティーの観点から、問題のある行動と指弾される可能性すらあるだろう。

金融研究部   取締役 研究理事 兼 年金総合リサーチセンター長 兼 ESG推進室長

德島 勝幸(とくしま かつゆき)

研究領域:年金

研究・専門分野
債券・クレジット・ALM

経歴

【職歴】
 ・1986年 日本生命保険相互会社入社
 ・1991年 ペンシルバニア大学ウォートンスクールMBA
 ・2004年 ニッセイアセットマネジメント株式会社に出向
 ・2008年 ニッセイ基礎研究所へ
 ・2021年より現職

【加入団体等】
 ・日本証券アナリスト協会検定会員
 ・日本ファイナンス学会
 ・証券経済学会
 ・日本金融学会
 ・日本経営財務研究学会

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