以降、外国会社は1920年には3,738件(うちサンライフ1,100件、マニュファクチュラーズ1,049件、ニューヨーク988件、チャイナミューチュアル601件)を販売している。
同年の販売保険種類としては、利益配当付養老保険が3,163件と全体の約85%を占め、内国保険会社と同様、利益配当付養老保険が主力商品となっていた
5。
1925年の販売件数は3,430件(うちサンライフ1,862件、マニュファクチュラーズ1,566件、ニューヨーク2件)
6、さらに1930年の販売件数は6,606件(うちサンライフ5,124件、マニュファクチュラーズ1,482件)
7と、過去最高となったが、金融恐慌による減配の影響もあり
8、以降販売件数は漸減した。
4 『保険年鑑』各年度版、農商務省商務局(商工省保険部)編纂、生命保険会社協会。
5 『大正9年度 保険年鑑 乙、外国会社』、農商務省商務局編纂、生命保険会社協会、1922年5月。
6 『大正14年度 保険年鑑 乙、外国会社』、商工省保険部編纂、生命保険会社協会、1927年6月。
7 『昭和5年度 保険年鑑 乙、外国会社』、商工省保険部編纂、生命保険会社協会、1932年2月。
8 「加奈陀サン生命契約者配当激減、日本引上説」、「マニュ生命も契約者配当の大減配」、『昭和生命保険資料』第2巻初期(2) 621~622ページ、生命保険協会、1971年3月。
4――太平洋戦争による外国生保会社の消滅