3月31日、横浜からBankART StudioNYKの灯が消えた。横浜ばかりか日本の創造都市の原点、象徴とも言える存在だった。
運営母体のBankART 1929の設立は2004年3月。横浜市の創造都市政策として歴史的建築物等の活用実験事業に応募した民間団体が、1929年に建造された旧第一銀行と旧富士銀行の二つをアートセンターとしてスタートさせた。
以降、彼らはNPOならではの斬新な発想に基づき、創造的な事業を次々と展開していった。当時は、創造都市という概念が日本に導入されて間もない頃で、具体的なイメージを掴むのに誰もが苦慮していた。二つのアートセンターは、その考え方に一つの解を示すものとなった。
その後、横浜市は創造界隈の形成を掲げ、ZAIMや急な坂スタジオ、創造空間9001、黄金スタジオ・日ノ出スタジオ、象の鼻テラスなど、創造都市の拠点を拡充していったが、BankART 1929の成果は海外にも波及した。ソウル市は彼らの活動に触発されて、ソウル市創作空間という政策を立ち上げ、工場や倉庫をアーティストの活動拠点として改修、今ではその数は7箇所に及ぶ。
旧日本郵船倉庫(1953年築)を改修してBankART Studio NYKがオープンしたのは2005年1月だ。以来13年間にわたって実に多様かつ膨大な数の事業が行われてきた。柳幸典「ワンダリング・ポジション」や川俣正「Expand BankART」(2013)など、元倉庫の空間特性を最大限に活用した大規模な個展に加え、「食と現代美術」のような街中への展開、舞台芸術の大野一雄フェスティバル、Under35に代表される新人へのサポート、BankART Lifeのような総合的イベントなどを実施してきた。
江戸幕府が朝鮮半島から使節団を受け入れていた「朝鮮通信使」を、今日の日韓の新たな交流プロジェクトとして展開した「続・朝鮮通信使」は特筆に値する。防災とアートをテーマにした「地震EXPO」(2007)も時代を先取りした企画だった。
芸術を取り巻く幅広いテーマを扱う少人数制のBankART School、国内外のアーティストに創作スペースを提供するArtistin Residence、年中無休で夜11時まで営業するPub & Caféなどは2004年以来継続されてきた。独自に発行した書籍、カタログ、DVDなどは優に100点を超える。
何よりも彼らの活動を象徴するのが、街中を侵食するように広がった創造拠点である。北仲Brick & White、本町ビルシゴカイ、宇徳ビルヨンカイなど民間ビルとの協働だけではなく、横浜トリエンナーレ2011では新港ピア(4,400㎡)を全面活用、2012年4月から2年間ハンマーヘッドスタジオ「新・港区」として運営した。
それらに呼応するように、今では周辺地域にアーティストやクリエイターの拠点や事務所の集積が進む。違法特殊飲食店(売買春宿)が軒を連ねる黄金町エリアに最初の創造拠点「BankART 桜荘」を開設し、後のまちづくりにつなげたのも彼らだった。