110年の歴史を振り返ると、第二次世界大戦で活動が凍結された不幸な時期があったが、戦後、ジャパン・ソサエティーの財政基盤を立て直し、現在まで続く運営方針を確立させたのが、1952年に理事長に選任されたジョン・D・ロックフェラー三世である。現在でも彼の孫に当たるジャスティン・ロックフェラー氏が理事を務めており、レセプションでは興味深いエピソードを紹介してくれた。
戦後間もない1950年代初頭、短期滞在の予定で来日したロックフェラー三世は、日本の素晴らしさに魅せられ、以降、数年間にわたって日本を訪れるようになったというのだ。今では、ジャパンソサイエティーの運営財源は、日米の企業や財団、個人などによって幅広く支えられているが、ロックフェラー三世が戦後直ぐに、運営を立て直さなければ、その後の活動は停滞していたかもしれない。
ご存じのようにロックフェラー家は19世紀末から20世紀にかけて石油業で財をなし、フィランソロピーの精神に基づいて、ロックフェラー財団(1913年設立)などを通じ、数々の社会貢献活動を展開してきた。ロックフェラー家の中でも芸術文化を通じた国際相互理解の促進に力を注いだのがロックフェラー三世である。彼は、1956年にはアジア・ソサエティも創設している。ジャパン・ソサエティーと同様、芸術文化、教育、政治経済などの領域で、アジアと米国の相互理解を促進することを目的にした民間非営利団体だ。ニューヨークの他、香港、ヒューストンに拠点を構え、事務所は東京、ソウル、上海、マニラ、ムンバイ、シドニーなどアジア各国にも設置されている。
さらに、美術と舞台芸術の分野で米国とアジアの国際文化交流を支援するアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)も、ロックフェラー三世基金のアジア文化交流プログラムを起源としている。ACCは日本を含むアジア各国のアーティストに対して、米国に一定期間滞在し、研修や創作、作品発表の機会を提供してきた。
1983年には堤清二の尽力によってACCの東京オフィスと日米芸術交流プログラムが設立されている。これまでACCの招きで米国に滞在した日本のアーティストは、1963年から2017年までに341名にのぼり、中村紘子、武満徹、横尾忠則、寺山修司、唐十郎、隈研吾、川俣正、村上隆、蔡國強、会田誠、名和晃平など、日本を代表する国際的なアーティストの名前が並ぶ。
実は、日本で民間非営利の立場から、文化交流や知的協力をとおして、国際相互理解を推進している国際文化会館の設立(1952年)にも、ロックフェラー三世は多大な貢献を行っている。
このように考えると、ロックフェラーが日米の民間文化交流に果たしてきた役割は、極めて大きい。重要なのは、民間、非営利の立場から、政治や経済ではなく、文化を主軸とした相互理解の促進を図ろうとしている点である。両国が政治的、あるいは経済的に緊張関係にあったとしても、民間文化交流を通じて相互理解を図ることは可能であり、その継続と蓄積が政治的な対立や経済摩擦を超えて両国の友好関係に寄与すると思うからである。
自国の利益を優先し、各国との経済摩擦をも辞さないトランプ政権。彼も不動産で莫大な冨を築いた資産家であることを考えると、ロックフェラーの思想や志との違いに愕然とする。だとすれば、政治や経済の枠組みとは別次元で、文化を介した日米関係を継続、発展させることがますます重要になるのではないか。ジャパン・ソサエティーの創立110周年は、そのことに気づかせてくれる貴重な機会であった。
ジャスティン・ロックフェラー氏は、挨拶の最後を、これから90年間ジャパン・ソサエティーによって日米の友好関係が継続し、200周年を迎えたいと締めくくった。
※本稿の執筆に際しては、それぞれの団体の以下のHPに掲載された情報を参照した。
https://www.japansociety.org/
https://asiasociety.org/
http://www.asianculturalcouncil.org/japan/
https://www.i-house.or.jp/index.html
1 この基金の一部は、企業メセナ協議会の「東日本大震災 芸術・文化による復興支援ファンド(GBFund)」を通じて、被災地の伝統芸能の復興やアーティストの活動に助成された。2016年4月には熊本地震も支援の対象に加えられ、寄付件数は約25,000件、寄付総額は約1,440万ドル(約160億円)に達している(2017年6月末)。