芸術を取り巻く幅広いテーマを扱う少人数制のBankART School、国内外のアーティストに創作スペースを提供するArtist in Residence、外部からの提案を受けて協働で行うコーディネート事業などは、2004年以来継続されてきた。年中無休で夜11時まで営業するPub & Café、美術・建築・パフォーマンス等の書籍・DVDを扱うShopもBankARTならではのものだった。これまでBankART出版のレーベルで、独自に発行した書籍、カタログ、DVDなどは100点を優に超えるだろう。
そして何よりも彼らの活動を象徴するのが、街中を侵食するように広がった創造拠点である。北仲Brick & White、本町ビル45(シゴカイ)、野毛マリヤビルホワイト、宇徳ビルヨンカイなど民間ビルとの協働によるものだけではなく、横浜トリエンナーレ2011では新港埠頭の新港ピア(4,400㎡)を全面活用、2012年4月から2年間ハンマーヘッドスタジオ「新・港区」として運営した。それらに呼応するように、今では空きオフィスなどを活用し、周辺地域にアーティストやクリエイターの活動拠点や事務所の集積が進むまでになった。そう言えば、違法特殊飲食店(売買春宿)が軒を連ねる黄金町エリアに、最初の創造拠点「BankART 桜荘」を開設し、その後のまちづくりにつなげたのも彼らだった。
これまで何人のアーティストやクリエイターが彼らにチャンスをもらっただろう。どれだけ多くのクリエイティブな活動や創造的な空間が、彼らに触発され、勇気をもらい、生まれてきただろう。もちろんそれらの成果はBankART 1929のみによって達成されたものではない。何より、民間の可能性を信頼し、運営や事業を委ねた横浜市の英断と理解、支援があってのことであり、パートナーとして運営や事業に携わった数多くの組織や個人の協力なしには成しえなかったことは間違いない。
それにしても、である。BankART 1929というアートNPOが、「都市に棲むこと」を理念に掲げ、これまでに残してきた足跡はあまりにも大きい。そこには常に創造活動への深い理解と都市へのまなざしがあった。芸術やクリエイティブな活動を生み出し、それらを都市空間の中に移植、培養させることで、地域に新たな活力をもたらしていく。まさしく「創造都市」の根源的な取組であり、これまでの実績には敬意を払うのみである。
今回のBankART Studio NYKの終了は、横浜市が施設を所有する日本郵船との賃貸借契約を更新できなかったことが原因だという。その建物は、隣接する万国橋SOKO(横浜市の支援で民間オーナーが倉庫を改修し、クリエイターやアートスクール等が入居)とあわせ、都心部に残る数少ない歴史的建造物だ。周辺では大規模なマンション開発が進むが、今後、再開発によってこの建物が消失すれば、港湾都市横浜にとって大きな損失となるだろう。
経済優先の都市開発と、文化を基軸にしたまちづくりは常に拮抗する。前者は容赦なく街の風景を変えていくが、一旦失われた歴史的な資産は二度と取り戻せない。旧日本郵船倉庫のもう一つの隣接地には、神奈川県警の無骨なビルがそびえている。そこにもかつては港湾都市を象徴するような三菱倉庫(1931年築)の建物があった。行政だけで文化を基軸にしたまちづくりを実現することは不可能だ。民間企業の理解と協働が不可欠である。
最近では、グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補を送り込んだり、ニューヨークやロンドンの知的専門職が早朝のギャラリートークに参加したりするなど、世界中のビジネスエリートが美意識を鍛えているという。これまでのような分析的・論理的な意思決定では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできないからだ
1。国連が提唱するSDGs、あるいはESG投資の考え方などを見ても、社会との向き合い方が企業の価値を左右する時代であることは間違いない。BankART 1929が退去した後、この建物がどうなるか動向を注視したい。
ともあれ、BankART Studio NYKは創造都市横浜の旗艦、フラッグシップのような存在だった。市の政策に多少の変化があったとしても、旗艦さえしっかりしていれば創造都市横浜にゆるぎはなかった。しかし彼らはその錨を上げざるをえなくなった。BankART 1929が3月末に発したリリースのタイトルは「BankART is moving」。閉館ではなく引っ越し、いやこれからも動き続ける、活動を継続するという宣言である。
これまでも何度となく移転や一時的な明け渡し経験しながら、その都度、しなやかに、そして強靱に活動を再開してきた。彼らが、旧日本郵船倉庫から錨をあげてどこに向かうのか、その先でどんな事業を展開するのか、これからが楽しみである。
1 山口周、世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?―経営における「アート」と「サイエンス」、光文社新書(2017)