2011年10月5日、アップル社の共同設立者の一人であるスティーブ・ジョブズ氏が逝去したとの報道が世界を駆け巡った。
連日の報道でジョブズ氏とアップルについての歴史を目にする機会も増えた。それらを見るにつけ、イノベーションによって成長を実現してきた象徴だとつくづく思う。オバマ大統領は追悼声明の中で彼を「米国の最も偉大なイノベーターのひとりだった」と述べている。
特に、携帯電話のiPhoneを発表してからアップルは、イノベーターとして目立つようになった。
これは、かなり売れた。
携帯音楽プレイヤーや携帯電話という機能的に同じモノが浸透していた先進国でも、売れた。
ジョブズ氏はiPhoneを初めて紹介する際に「電話を再発明する(reinvent the phone)」と述べたが、実際、ケータイとは違うモノを発明したかのように、新しい需要を喚起した。
イノベーションは、先進国が成長するのに欠かせない原動力だ。
新興国は、労働賃金の安さを武器にして、様々なモノを低コストで生産し、売ることで成長が見込める。対して先進国では所得に見合うような価値あるモノを生産しないと、コストが高すぎて売れない。
では、アップルの付加価値はどこから生まれたのだろうか。
なぜiPhoneを皆が欲しがるようになったのだろうか。ケータイとどこが違ったのだろうか。
iPhoneに使われている精密な部品は、日本製だったり韓国製だったりする。こうした部品自体、生産に高度な技術を要するので付加価値は高い。しかし、iPhoneの本質的な価値を高めているのは、こうした精密な部品から何をつくるか、という「設計(デザイン)」ではないだろうか。
筆者の保有しているiPhone 3GSの背面には「Designed by Apple in California」「Assembled in China」と書かれている。
アップルでは部品を生産していないし、組立もしていないけれど、アップルでないとiPhoneは設計できないのだ。さらに、iPhoneによって生活習慣が変わったという点では、アップルは製品だけでなく、ライフスタイルも設計したといえる。
こうしたアップル製品は、ジョブズ氏の価値観や思想をiPhoneなどの製品を通じて鑑賞者(ユーザー)に伝えようとしていることから、しばしば芸術作品のように評されることもある。
ただし、芸術作品としての情報端末を「設計」するには、当然ながらその素材である情報機器についての専門的な知識(技術力)が求められる。加えて、それらの素材を作品(やライフスタイル)として表現する力も必要となる。
技術力のある専門家も偉大な芸術家もどちらも簡単には生まれないが、アップルの場合、ジョブズ氏自身が技術者であり、かつ表現者として卓越していた。だからこそ、iPhoneのような製品が設計できたと言えるだろう。
日本でも、技術力に加えて、表現力を持つ企業や人材が成長の鍵になるのだと思う。
技術力については、技術立国として成長し先進国としての地位を築いた日本にはアドバンテージがあるように思う。日本の新しい「機能」を開発する力はすばらしい。国際特許の出願件数で言えば、日本は米国に次いで2位である。出願者ベースではパナソニックが世界1位だ
1(※)。
ただ、日本の表現力については、弱いように感じる。自分から表現する必要はなく、言われたことをやれば良い、という風潮が広がったのかもしれない。結果として妥協の産物が生まれやすくなっているようにも思う。
しかし、前述したように、日本が成長を続けようと思うのなら、新たな付加価値を持つモノ、それこそ芸術作品を設計することが必要ではないだろうか。
少なくとも、かつて、ウォークマンが、ファミコンが日本で設計されたように、表現力が欠落しているのではなく、今は、表現できる環境が少ないだけだと思う。何か挑戦したい時に、抵抗なく挑戦できるような環境が整っていけば、新しいモノが生み出されるチャンスも膨らむのではないだろうか。
機能だけに留まらない、芸術的に優れた作品は、失敗の積み重ねの上に生まれ、簡単に設計できるものではないだろうが、様々な新しいモノが、カリフォルニアだけではなく、日本で設計され、そして、世界で使われるようになって欲しいと思う。
1 WIPO(世界知的所有権機関)のPCT出願ランキング(2010年)