石川 達哉()
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1. 目を向けるべき「見掛け上の所得格差縮小」の可能性
他の年齢階層と比べて元来の所得格差が大きい高齢者世帯の割合が高まれば、統計上の所得格差が拡大することは、今や多くの人が知るところとなりつつある。所得格差を巡る議論では調査・統計に基づく分析が重要な役割を果たしており、高い頻度で引用される資料としては、厚生労働省の「所得再分配調査」が挙げられる。同調査の報告書においては、格差の代表的な指標であるジニ係数が計測され、その変化に関する要因分析を通じて、高齢化に伴う「見掛け上の所得格差拡大」が平明な形で示されている。
このような公表資料の存在もあって、「見掛け上の所得格差拡大」が論じられることは非常に多いが、それとは逆の「見掛け上の所得格差縮小」や「見掛け上の所得再分配効果」について論じられることはほとんどない。税制や社会保障制度の重要な機能には従前の所得格差を縮小させる効果、すなわち所得再分配効果があるが、効果の大きさを指標の形で計測した場合に、見掛け上の効果が含まれてしまう可能性はないのであろうか。格差の実態を正しく理解するためには、こうした可能性についても目を向けるべきであろう。
前述の「所得再分配調査」は税制や社会保障制度による再分配の実態を明らかにする目的で実施されており、社会保障給付や社会保険料を種類毎に分類して、収入・所得と拠出・負担の内訳を正確に把握するための調査として、定評の高いものである。
その集計に際しては、退職一時金、企業年金、生命保険金も賃金などと同様に「当初所得」に含める一方、公的年金などの社会保障給付は「当初所得」からは除外して「再分配所得」のみに計上するなど、他の統計にはない「所得再分配調査」固有の分類がなされている。こうした取り扱いもあって、例えば、年間所得50万円未満の世帯は、「再分配所得」に関しては全世帯の0.9%に過ぎないにもかかわらず、「当初所得」に関しては18.7%も占めている。このような所得分布の集計結果は、他の公表統計からは得られない貴重なものである。
そして、全般的な所得再分配効果を測る指標としては、「再分配所得のジニ係数」が「当初所得のジニ係数」と比べて何パーセント縮小しているかを表す「ジニ係数の改善度」が採用されている。ジニ係数の変化に基づいて所得再分配効果を測ろうとする考え方は分析手法として普遍性の高いものである。
しかし、この「ジニ係数の改善度」こそ、見掛け上の効果を含む可能性が高いのである。
2. 社会保障制度の再分配効果を一時点のデータで測ることの困難
生涯賃金がどんなに高い人でも、引退する際に企業からの退職後給付を一時金形態で受け取ってしまえば、新たな職に就かない限りは、収入の大部分を公的年金に依存することになるであろう。その場合の「当初所得」はゼロに近いはずである。現役世代であれば、失業者を除けば、ほとんどの世帯主が働いており、働いている限りは「当初所得」はゼロにはならない。つまり、「当初所得」がゼロに近い世帯の大半は無職高齢者世帯である可能性が高い。
これに対して、「再分配所得」には基礎年金や厚生年金も計上されるため、無職高齢者世帯であっても、基本的には所得ゼロとはならないはずである。特に、現役時代の生涯賃金が高かった人には厚い報酬比例給付がなされるため、社会保険料が控除された現役世代の「再分配所得」との差は非常に小さなものとなるか、場合によっては逆転するであろう。
3. 重要な年齢階層別の指標
一時点のデータに基づいて、しかも異なった世代を一括りにして、社会保障制度の所得再分配効果を測るのは難しい。給付と負担の関係が世代によって異なるのに、主として負担を行うのみの世代の負担額と、主として給付を受けるのみの世代の給付額とを比較しても、本当の意味での比較にはならないからである。
しかし、世代別に見るのであれば、事情は少し変わってくる。生涯の効果を論ずることはできないが、同じルールが適用される世代の内部であれば、負担期における負担の大きさの違いが手取り所得の格差にどのような影響を与えるか、受給期における給付の大きさの違いが手取り所得の格差にどのような影響を与えるか(注)、という観点からの有効な比較となるからである。負担と受給のタイミングが異なる世代間の所得再分配効果は生涯での比較に拠らなければならないが、世代内ならば、生涯の所得再分配効果だけではなく、各時点における所得再分配効果も概念的に成り立つから、と言えるかもしれない。
(注)高齢者世帯の場合、公的年金の水準によって就業するかどうかの選択や就業に伴う所得水準が影響を受ける可能性があり、その場合に「当初所得」を起点にして「再分配所得」への変化を見ることは、因果関係を逆に読むことになる。
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