山口 典昭()
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■見出し
・台湾人の生活意識と生活保障制度の問題点
・今後の台湾の社会保障制度
■プロローグ
キキーッ!! 台北市深夜0時、地下鉄工事で見通しの悪い交差点で、けたたましい車のブレーキ音が鳴り響いた。夜学から帰宅途中の張志盛は、中古で買ったばかりの50ccのバイクから跳ね飛ばされ、歩道まで転がり込んだ。ぶつかってきた車は大型のトラックで、運転席から誰も降りてくる気配はない。夜の街台北とはいえども夜半を過ぎれば、昼間の渋滞が嘘のように車の往来は少なくなり、弱々しく手を挙げて助けを求める張志盛に、救いの手を差し延べる者はいなかった。
―――台湾省台北市の街中は今、国家6ヵ年計画(1991~1996年)による高速道路、地下鉄建設工事のために所々道路が狭まり、それでなくても車が多く(車、オートバイ台数は1992年に1,387万台)渋滞が起きやすい交通の不便さを益々悪化されている。これが外貨準備高世界第2位(1993年8月で約830億米ドル)を誇る台湾かと疑われる程、インフラ整備はたち遅れている。台北市内では交通手段は自分で車を持っていなければ、公共バスかタクシーしかない。それさえも雨が降る日はバススは混み、タクシーはなかなか拾えない。渋滞の多い市内では、車の間をすり抜けることのできるパイクに乗る人間が多いのも頷ける。交通事故発生率(交通事故死亡者は1992年で2,717人、人口の約0.013%)、損害保険で言う傷害率も非常に高い(1年に8人に1人が接触等何らかの事故に遭遇しているとか)といわれている―――
張志盛のバイクを跳ね飛ばした大型トラックは、暫くは辺りの様子を伺っているようだったが、突然ふと思いついたかのように濛々とたちこめる排気ガスだけを残して走り去ってしまった。張志盛は右太ももに鈍い痛みを感じながら、仰向けになったまま体を動かそうにも動かせず、次第に意識が遠ざかっていく自分をどうすることもできなかった・・・・・。
張志盛の姉、淑玲は弟の事故を聞きつけ、すぐに病院へむかった。
5人家族の張家であったが、両親は体を悪くして働くことができず、生活費は生活扶助と長女淑玲の収入にしか頼るところがなかった。淑玲には台湾大学の夜学に通い始めたばかりの弟と、高校3年生の妹があり、ともにアルバイトにより学費を稼いでいた。淑玲自身は民間の生命保険会社に勤める普通のOLだったが、台湾でも男女の賃金格差があるため金融機関で比較的高い給与とはいえ、月給約3万元(約12万円)と家族5人が生活していくには苦しいくらいである。幸いなことに住む家だけは代々引き継いできた持ち家であった(ちなみに台湾の持ち家率は79.1%と1992年時点で世界一である)。
「先生、弟の容体は?」すがりつくように聞きよる淑玲に、医師のかわりに看護婦が答えた。「全身打撲に右足大腿骨骨折です。命には別状ありません。」命に別状なしと聞きほっとする淑玲に看護婦が続けた。「大腿骨の治療には手術が必要です。手術後は10日程度の入院も必要ですから、手術代と入院費を前払いでお願いします。台北ではどの病院でもそうですが、この費用を先にいただかないと手術、入院は出来ませんので。」病院側は患者が手術後、費用を払わずに逃げ去ってしまうのを恐れているのだという。"前払い"の言葉に驚くのも束の問、金額を聞いて淑玲は更に目を丸くした。「しめて10万元(約40万円)です。」
不運なことに淑玲自身は入社して間もないために民間生命保険には加入しておらず、社会保険で労働者を対象とした労工保険は、家族についてはカバーされない。淑玲は事の重大さに愕然としてしまった。
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