2025年12月03日

人手不足と物価高~「需給ギャップ」について改めて考える

上智大学 経済学部 中里 透

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日本銀行が目標としている「2%」を上回る物価上昇が、3年半にわたり続いている。今年の春闘の賃上げ率が34年ぶりの高水準となるなど、大幅な賃上げも実現した。物価は上がらない、賃金も上がらないとされてきた日本経済に30年単位での大きな変化が生じているようだ。だが、こうした中にあっても日銀から公表されている需給ギャップはまだマイナスで、依然として需要不足の状況にあるとされる。もっとも、最近の人手不足の状況などを踏まえ、実際の需給ギャップはすでにプラスに転じているのではないかとの指摘もみられるようになった。このことについてはどのように考えたらよいのだろうか。
 
まず需給ギャップ(GDPギャップ)とはどのようなものかを改めて確認しておくと、それぞれの時点で利用可能な資本(機械設備など)と労働力を利用することで実現できる平均的な産出量の水準(潜在GDP)と、実際のGDPの水準の間の乖離の程度を表す指標が需給ギャップということになる。需給ギャップがプラス、すなわち需要が供給を上回る「需要超過」の場合には物価や賃金が上がりやすく、需給ギャップがマイナス、すなわち需要が供給を下回る「需要不足」の場合には物価や賃金が下がりやすくなるとされる。
 
この20年ほどの推移をみると、リーマンショックの前とコロナ禍の前の時期にプラス幅の拡大がみられたものの、総じてみると需給ギャップはマイナスの領域で推移してきた。内訳をみると、労働投入ギャップは2023年以降プラス(人手不足)に転じた一方、資本投入ギャップは依然としてマイナス(設備過剰)で推移している。

日銀からは別途、短観加重平均DIというデータも公表されている。これは日銀短観の生産・営業用設備判断DIと雇用人員判断DIを利用して作成された、いわば日銀短観版の需給ギャップである。この指標は設備や人員の過剰感が強い場合にプラス、不足感が強い場合にマイナスの値をとるため、符号を反転させてその推移をみると、足元では人手不足の強まりを反映して大幅な「不足」超となっている(図表参照)。需給ギャップがすでにプラスに転じているのではないかとの指摘は、需給ギャップの推計値と短観加重平均DIの推移の状況の乖離、あるいはその背景にある大幅な人手不足を踏まえてのものだ。
図表:需給ギャップと短観加重平均DIの推移
もっとも、ここで留意が必要なのは、直近における短観加重平均DIの水準は2018年から19年にかけての水準をやや上回る程度にとどまっているということだ。コロナ禍を挟んだために忘れられがちだが、当時も人手不足の深刻化が大きな懸念材料となっていた。だが、そうした中にあっても物価は思うように上がらず、人手不足なのに賃金が上がらないのはなぜなのかということが大きな話題となっていた。となると、人手不足と賃金・物価の関係は「人手不足だから賃金が上がる」というほど単純ではなく、需給ギャップと人手不足の関係についても、そのことを踏まえて相当に注意してみる必要があるということになる。
 
人手不足が制約となって設備が十分に利用できず、そのことが資本投入ギャップのマイナス幅の拡大をもたらして、需給ギャップをマイナスの方向に押し下げているという見方もある。確かに宿泊業や建設業など一部の業種では、人手不足が隘路となって施設や機材が十分に活用できない様子が見受けられる。だが、そのことが全体の状況にどこまで当てはまるのかということにも留意する必要がある。コロナ前の局面との対比でみると、設備の過剰感の拡大は製造業の影響によるところが大きい。需給ギャップとの関係では短観加重平均DIが注目されることが多いが、日銀短観には「製商品・サービス需給」という判断項目もある。このデータからは、足元の経済が依然として需要不足(供給超過)の状態にあることが示唆される。
 
これらのことを併せてみると、(1)大幅な人手不足が生じており、一部の業種ではそのことが足かせとなって設備の利用や工事の進捗に影響が出ているものの、総じてみると財・サービスの需要には依然として弱さが残り、需要面から物価や賃金を押し上げる力は十分とはいえない、(2)そうしたもとで生じている最近の物価高は、資源価格の高騰と円安を起点とするコストプッシュの物価上昇の結果という側面が強い、(3)「34年ぶり」の賃上げも物価上昇には追いつかず、実質賃金が大幅に低下してしまったことを踏まえると、労働需給の引き締まりの状況についても過大視せず、やや割り引いてみる必要がある、ということになる。
 
これらのことを踏まえて改めて需給ギャップについてみると、物価との関係においてはコロナ前の局面との対比がやはり有益である。仮に日銀から公表されている需給ギャップの数値が実勢より下振れて推移しているとしても、そのことを強調しすぎると今度は別のノイズが生じてしまうおそれがある。需給ギャップはあくまで推計値であり、一定の幅をもってみる必要があるから、数値が0近辺で推移している場合には、プラスかマイナスかという符号そのものにはあまりこだわらないほうがよいということも、ここで改めて確認しておきたい。

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(2025年12月03日「ニッセイ年金ストラテジー」)

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