2021年07月21日

加速する欧州グリーン・ディール-気候中立目標達成への包括的取り組み

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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加速するEUの脱炭素社会への基盤作り

19年12月に公表したEUの新たな成長戦略「欧州グリーン・ディール」の取り組みが、ここにきて加速している(表紙図表参照)。

6月下旬には、2050年までの気候中立化、2030年の中間目標の55%削減を法的拘束力のある目標とする「欧州気候法(The European Climate Law)」が欧州議会とEU理事会で採択された。

サステナブル・ファイナンスの領域では、7月6日に欧州委員会が新戦略を公表、20年7月に発効したEUタクソノミー(分類基準)規則に準拠するEU環境債(EUGB)の発行基準の規則案を公表、企業への情報開示内容を明確化した委任細則を採択した。復興基金のためのEU債の発行は6月に始まったが、うち3割をグリーン債として発行を予定する。EUGBの規則に適合する形で、21年内に発行を開始する方針だ。

欧州中央銀行(ECB)も、7月8日、金融政策の新戦略の公表と合わせて、金融政策への気候変動要素取り入れの行動計画1を公表した。ECBの気候変動に関わる行動計画は、EUタクソノミー規則を起点とするサステナブル・ファイナンスの基準整備への適合を進めるものと位置づけられる点が特徴である。

さらに、7月14日には、欧州委員会が、2030年の温室効果ガス削減目標達成のための政策パッケージを公表した。政策パッケージに関わる欧州委員会の政策指針提言文書(コミュニケーション)のタイトル「Fit for 55」は、欧州気候法が定める2050年の気候中立化に向けた2030年の中間目標1990年比55%削減に法規制や税制等を適合させることを意味する。
 
1 European Commission “'Fit for 55': delivering the EU's 2030 Climate Target on the way to climate neutrality” 14.7.2021, COM(2021) 550 final P.3
 

価格設定、規制、目標

価格設定、規制、目標、支援措置からなるFit for 55

政策パッケージは、8つの既存の法律の強化と5つの新たな取り組みからなる。欧州委員会の文書では、政策パッケージを「価格付けの活用」、「目標引き上げ」、「規制強化」、「支援措置」の4つに区分け2している。価格メカニズムのみを用いることによる市場の失敗や、規制のみに頼ることによる過剰な経済的な負担を防ぐべく、政策の相乗効果とバランスに配慮したものであり、政策パッケージとして一括して進めることの重要性を強調している(図表)。以下で、4つに区分けに従って、簡単に概要を確認する。
(1) 価格付けの活用(図表-緑の枠で囲った措置)
排出量取引制度(ETS)の見直し、道路輸送・建築物を対象とするETS制度の新設(26年から)、エネルギー課税に関するEU共通の枠組みであるエネルギー課税指令(ETD)の改定、さらに国境炭素調整メカニズム(CBAM)が価格付けを活用する政策に分類される。

[ETSの見直し]
EUのETSは、2005年に導入された排出枠を購入または受領、必要に応じて相互に取引する制度である。電力とエネルギー多消費型の産業(鉄生産・加工、アルミ製造、非鉄金属、化学製品製造、ガラス・セメント・セラミクス、紙・パルプ)、航空部門、二酸化炭素回収・貯留(CCS)(回収・輸送・地下貯留)の大規模施設・設備を対象とし、EU全体の排出量の41%をカバーする。電力部門の排出量削減に効果を挙げてきた。

ETS制度に関する提案では、2030年の排出量の削減を2005年比43%から61%まで引き上げる。排出上限の削減ペースの加速、2023年から2025年にかけての段階的な海上輸送への拡大、炭素リーケージのリスクに対応するために設けられてきた無料排出枠の段階的削減、2035年に完全撤廃する。航空部門の無料排出枠も段階的に撤廃、2027年までに全量オークション制に移行する。加盟国によるETS収入の気候関連・エネルギー関連での活用を求める。
 
図表 2030年の脱炭素化目標達成のための政策パッケージの概要
[道路輸送・建築物を対象とするETSの新設]
道路輸送・建築は、ETSの対象となってきたエネルギーや産業に比べて、排出量の削減が遅れてきたが、2026年から新たに独立型のETSを導入する。

対象は、道路輸送・建築への燃料供給者だが、事業者が燃料価格、暖房費の値上げを通じて家計に転嫁する可能性がある。

このため、新ETSの財源を活用する支援メカニズム「社会的気候基金」も合わせて創設する(本項の(4)の支援措置を参照)。

[エネルギー課税指令(ETD)の改定]
2003年に発効したエネルギー課税指令(ETD)は、自動車、暖房燃料、電力として使用されるエネルギー製品への課税と最低物品税率を規定している。最低税率の設定が脱炭素化の方向性と整合的でなく、国ごとの適用除外措置によるばらつきも問題視されてきた。

改定案では、エネルギー製品と電気を、エネルギー含有量や燃料・電力の環境性能により種類ごとにランク付け3し、そのランクに基づく最低税率の新しい体系を各国国内でも再現すること、各国が個別に実施してきた適用除外などの措置も撤廃を求める。航空機の燃料のケロシンと海上輸送で用いられる重油は、EU域内のエネルギー課税免除の対象外とし、10年間を移行期でケロシン、重油の最低税率を徐々に引き上げる一方、持続可能な燃料には、普及促進のため、免税を適用する。

ETSとETDは、相互補完関係にあり、ETSはCO2排出に対する価格付けで排出を抑制し、ETDは燃料消費に対する課税を通じて効率的な利用とエネルギー転換を促す。

ETDの改定は、ETSの拡張・強化とともに、消費者への負担増となるリスクがあるため、加盟国によるエネルギー効率の高い商品購入へのインセンティブの供与、「社会的気候基金」の活用による緩和措置を推奨している。
 
3 提案では、ランクは4区分とされており、最も高い最低税率が適用される第1区分は、軽油、ガソリン、持続不可能なバイオ燃料、第2区分は天然ガス、LPG、非生物期限の非再生可能燃料、第3区分は持続可能だが先進的なバイオ燃料ではないもの、最も低い最低税率を適用する第4区分は先進的で持続可能なバイオ燃料、バイオガス、再生可能水素など非生物起源の再生可能燃料に適用する。
[国境炭素調整メカニズム(CBAM)]
CBAMは、EUの規制の厳格化が、規制の緩い国・地域への生産移転や輸入品への代替などの炭素リーケージによる効果が損なわれることへの対応として検討してきたものである。CBAMによる収入はEU予算の独自財源にすることが決まっている。

提案では、EUの輸入業者が、EU域内の生産者と同じ炭素価格を支払うことを保証するため、物品の輸入業者が、EUの炭素価格ルールに基づいて製造された場合に支払われたであろう炭素価格に相当する「炭素証明書」を購入することを求める。域外の製造業者が、第3国での炭素価格を支払っていることを証明できれば、EUの輸入業者は対応する金額を控除できる。

CBAMは、当初の段階では、鉄鋼、アルミニウム、セメント、電力、肥料の5部門の、製造過程で排出される直接排出を対象とする。

提案通りに成立した場合、23年からの3年間は、国境調整は行わずに、商品に含まれる炭素排出量の報告を行う移行期間とし、26年から本格導入する。移行期間の終わりまでに、CBAMの機能を検証し、対象とする部門の拡張や、製造過程で使用される電気からの排出量も含めた間接排出とするかなどを評価する。

EUは、CBAMは、ETSの見直しによる炭素リーケージを防ぎ、EU域内外での脱炭素化を促すものと位置付ける。日本を含む域外国では、EUの一方的な決定による不利益を警戒する見方が強いが、政策文書では「国内製品と輸入製品が同一価格を支払うことを保証するものであり、差別的ではなく、WTOルールとEUの他の国際的義務と両立する」4と説明している。
 
4 European Commission・前掲注1)12ページ
(2) 目標引き上げ(表-青の枠で囲った措置)
「再生可能エネルギー指令」、「エネルギー効率性指令」、「土地利用・土地利用変化・林業に関する(LULUCF)規則」、「努力共有規則(ESR)」の改定が分類される。

「再生可能エネルギー指令」の改正では、最終エネルギー消費に占める再生可能エネルギー比率のEU全体の2030年目標を少なくとも32%から40%へ引き上げ、国ごと、部門ごとの目標も設定する。「エネルギー効率性指令」では、エネルギー効率の改善を通じた一次エネルギー消費量の2030年の削減目標を少なくとも32.5%から36%に引き上げる。これらの目標の実現は、(1)の価格付けや(3)の規制強化によっても促される。また、7月13日の財務相理事会では、復興基金の「復興・強靭化ファシリティー(RRF)」のために各国がまとめた計画のうち、第1陣の12カ国が承認されたが、RRFは、最低37%をグリーン化のための改革・投資に配分することを求めるものであることから、目標の実現に重要な役割を果たすことになる。

「LULUCF」は、森林や土壌が大気から除去するCO2の量がEU全体で2013年から18年にかけて約20%減少してきた流れを逆転させ、2030年までに約15%の増加を目指す。2016年から18年の除去と排出の平均水準と利用可能な土地面積に基づく国毎の目標も設定する。2030年以降の目標は、2024年半ばまでに各国がまとめる「国家エネルギー・気候計画」を分析した上で、提案するとしている。

ESRの改定では、EUのETSが対象外としてきた建築物、輸送、農業、廃棄物、小規模製造業の排出量の2030年の削減目標を2005年比29%から少なくとも40%まで引き上げる。各加盟国に年間排出量を設定し、2030年までの段階的な削減を求める。排出量の設定にあたっては、一人あたりGDPの高い国が、より高い削減目標を持つことで、削減目標達成のための努力を分担する。提案では、2005年比での2030年削減目標は、スウェーデン、デンマーク、ドイツなど最も多く負担する5カ国で50%、最も低いブルガリアは10%である。年間割当量は翌年以降への繰り越しや、翌年分からの前借、加盟国間の売買も可能とし、EU全体での目標達成を目指す。
(3) 規制強化(図表-赤の枠で囲った措置)
規制強化は、道路輸送、航空・海運と、エネルギー部門や産業に比べて、排出量の削減が遅れている運輸分野が対象である。排出量等に関する規制と同時に、脱炭素化に不可欠なインフラ整備義務とを組み合わせとなっている。ETSの強化やEDSによる課税の見直しとの相乗効果が期待されている。

道路輸送では、2050年までに車とバンの排出ゼロの目標実現のため、「新車とバンの排出量基準」の改定で、2021年比で、新車で2030年55%削減、35年100%削減、バンは同50%、100%を義務化する。事実上の内燃エンジン車販売禁止につながる。

「代替燃料インフラ整備規則(指令から加盟国に直接影響を及ぼす規則に改定)」では、充電ポイントや、水素充填ステーションの整備の法的拘束力をもたせる。

航空燃料に関する「RefuelEU」では、EU圏内の空港では持続可能な航空燃料(SAF)の利用可能にし、航空会社には、出発時に、SAFを補給する義務を課す。燃料供給業者には、SAFの供給割合の段階的引き上げを求める(2025年までに2%、30年に5%、35年に20%、50年までに63%)。

「Fuel EU Maritime」は、船舶の再生可能かつ低炭素の燃料へのシフトを段階的に促す。
(4) 支援措置(図表-黒の枠で囲った措置)
ETSの拡張や、ETDの見直しが、事業者による価格転嫁を通じて、脆弱な世帯、零細企業、道路輸送機関の利用者に及ぼす影響を緩和するため、「社会的気候基金」を新設する。道路輸送・建築物対象として新設するETSの収入の25%を使用、2025年~2032年の間に722億ユーロ(1ユーロ=130億ユーロ換算で9.4兆円)の資金を提供する。建物の改修や、冷暖房の更新、EVの購入支援などに活用することで負担軽減を図る。

「社会的気候基金」は、既存のEU予算の「結束基金」や、2021~2027年のEU多年次予算(MFF)と復興基金に組み込まれた「公正な移行基金(JTF)」など、既存の枠組みを補完するものと位置付けられる。
 

気候危機への取り組み加速

気候危機への取り組み加速への支持が高いEU市民

日本は、EUと同じ、2050年の気候中立化の目標を掲げるが、規制や税制を包括的に見直し、気候目標に適合させる動きでは、EUに遅れをとっている。

EUの気候変動への意欲的な取り組みは民意に後押しされていると考えられている。実際、気候変動に対する世論調査の最新版は5、政策パッケージの内容は、市民の意向に沿っていると見ることができる。

「世界全体が直面する最も深刻な課題」では、EU27カ国合計(以下同様)で、「気候変動」が18%で「貧困・飢餓・飲料水不足」と「感染症の拡大」の17%を僅かに上回り第1位である。

「気候変動の深刻さ」について10段階で尋ねた質問では、「とても深刻な問題(7~10段階)」という回答が78%を占め、「深刻な問題ではない(1~4段階)」の7%を大きく上回った。「気候変動による損失のコストは、グリーン移行に必要な投資のコストを上回る」にも74%が同意している。

気候変動対策の取り組みについては、「自国政府の気候変動対策」について「不十分」が75%を占める。「再生可能エネルギー目標」について、自国政府による引き上げを88%が、EUによる引き上げを87%が重要と考えている。「(住居の断熱化、太陽光パネル設置、EV車購入の奨励など)2030年に向けたエネルギー効率改善のための支援」についても、自国政府による支援を88%が、EUによる支援を87%が重要と考えている。

2050年の気候中立化について「温暖化ガス排出量を最低限まで減らし、例えば森林面積を増やすなどして、残りの排出量を相殺し、2050年までの気候中立化を目指すべき」という見解に対しては、90%が同意している。
 
5 European Commission “Special Eurobarometer 513 Climate Change” Fieldwork: March - April 202'

国連調査では、日本の危機意識は欧州主要国並み

国連調査では、日本の危機意識は欧州主要国並み、ただ、慎重な取り組みを求める傾向も

日本が、気候中立化に向けた規制や税制等の包括的見直しでEUに遅れをとっているとは言え、気候変動への危機意識が低いということではない。

国連開発計画(UNDP)が実施した世界50カ国の120万人あまりを対象とする過去最大規模の気候変動に関する世論調査6によれば、高所得国の方が、中低所得国よりも危機意識が高く、幅広くかつ迅速に対応すべきと考えている割合が高いことが確認されている。

この調査で、「気候変動は地球規模の緊急事態か」という問いに対して「はい」と答えた割合は、日本は79%で英国(81%)、イタリア(78%)に次ぐ世界第3位、第4位のフランス、ドイツ(ともに77%)を上回っている。

但し、日本は、気候変動に、より慎重な対応を支持する傾向が高いようだ。UNDPの調査で「どう対応すべきか」という設問に対して、「必要なことはすべて、速やかに行う」を選択した割合は、日本では62%で、欧州主要国(イタリア78%、英国77%、スペイン75%、フランス、ドイツ73%)のほか、米国(70%)と比べて低い。
 
6 UNDP “Peoples’ Climate Vote RESULTS” January 2021
 

注目されるEUの政策パッケージの今後の展開

注目されるEUの政策パッケージの今後の展開

「Fit for 55」の政策パッケージは、議論の叩き台という側面がある。提案が法案として成立するためには、加盟国との調整や、欧州議会による審議を経る必要があり、紆余曲折も予想される。自動車業界では、代替燃料へのインフラ整備へのコミットメントの強化を歓迎しつつ、内燃エンジン車という選択肢を手放すことへの波紋が広がる。急激な調整を迫られる業界の抵抗も予想される。EDS改定は、課税措置であるため、全会一致が必要となる。加盟国の選択の幅を狭めることへの反発、課税権の侵害という批判が噴出するおそれがある。グリーン移行のペースに比べて、支援措置が不十分という指摘もあるだろう。CBAMは、WTOルールに適合するというのがEUの主張ではあるものの、域外に影響を及ぼすだけに、国際的な理解を得る努力は欠かせない。

日本企業の欧州でのビジネス展開に留まらず、国際的なルール作りにおいても、EUの影響力は大きいだけに、今後の展開を見極めることは重要だ。

EUの欧州グリーン・ディールの展開は、気候中立化の目標の実現が、極めて幅広い政策の見直し、規制・税制や負担軽減措置などの基盤整備が必要不可欠であることを示している。日本も、国情に合った政策パッケージを構築し、展開するにあたり、先行事例となるEUは示唆と教訓を与えてくれるだろう。
 
 

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

(2021年07月21日「Weekly エコノミスト・レター」)

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