2021年07月08日

不確実性の高まる世界において。デジタル化がオフィス市場にもたらす影響の考察

金融研究部 主任研究員 佐久間 誠

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4――世界金融危機とは異なるコロナ禍の不確実性

新型コロナウイルスによる今回の危機と2007年以降の世界金融危機は、双方とも100年に一度の危機と言われているが、その本質は異なる(図表2)。

前回の世界金融危機(The Global Financial Crisis)は、金融バブルの崩壊により「カネの流れ」が止まったことに起因する。コベナンツ条項抵触などによるデフォルトや貸し渋り・貸し剥し、不動産の投げ売りなどが発生し、不動産投資市場が大きなダメージを被り、その影響は不動産賃貸市場にも波及した20

それに対して今回の危機は、「大封鎖(The Great Lockdown)」と称されるように、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため「ヒトの流れ」が止まったことに起因する21。そして、世界的に広範囲で需要蒸発を引き起こした。ヒトの流れが賃貸収入の源泉となっていたホテルや商業施設は深刻な影響を被る一方、eコマース拡大やテレワークなどデジタル化により恩恵を受ける物流施設やデータセンターへの注目が高まるなど、不動産セクター間の格差が強まっている。このような二極化は、コロナ禍における特徴として、企業業績や経済、金融市場、そして不動産市場など、いたるところで見られ、その形状になぞらえ「K字型」と称される。

また、前回の世界金融危機とは異なり、今回は危機対応のスピード感が早い。前回は、米国のサブプライム住宅ローン問題を発端とし、金融機関の過剰なリスクテイクが原因とされた。米議会の公聴会で大手金融機関のトップが経営責任や高額報酬を問われ、反ウォール街の抗議運動(Occupy Wall Street)が盛り上がりを見せた。そのため、目詰まりを起こしたカネのネットワークである金融市場を修復するために必要な金融機関の救済に対する政治的・社会的な抵抗が強かった。一方、今回はウイルスを原因とした感染症が根本にあるため、政治的反対は少なく、大規模な財政政策と金融政策が迅速に講じられている。その結果、溢れた資金が金融市場に流入し、一部では「コロナバブル」とも言える様相を呈している。このように今回の危機対応に伴う金融市場におけるカネ余りも、「K字型」の回復を一層強めている。
図表2:不動産賃貸市場・投資市場への世界金融危機と大封鎖の影響のイメージ
不動産市場におけるK字型回復は、「K字型1.0(循環要因)」と「K字型2.0(構造要因)」の2つの局面に分類できる(図表3)。J-REIT市場を見ると、まず、「K字型1.0(循環要因)」は2020年3月から8月上旬までの期間で生じた。人出の減少が不動産セクター間のパフォーマンス格差をもたらし、ホテルと商業施設が大幅にアンダーパフォームした。しかし、8月中旬にコロナ感染拡大の第2波がピークを迎えると、いずれ人出は戻るとの楽観的な見方が広まり、「K字型1.0」は収束に向かった。
図表3:J-REIT市場で見る不動産市場の「K字型回復」
一方で、コロナ禍で加速したデジタル化は今後も巻き戻されることはないと予想される。2020年8月以降に生じた「K字型2.0(構造要因)」は、このようなコロナ禍による構造的な影響によるものだ。そのなかで、特に目立ったのが、テレワーク拡大を背景としたオフィスのアンダーパフォームである。今後はオフィスと在宅勤務をハイブリットに使いこなす企業の増加が見込まれている。ニューノーマルと呼ばれる新たな働き方の定着が、オフィス需要をどれほど押し下げるかは現時点では不透明だが、この不確実性がオフィス市場に対する懸念を高めている。
 
20 金(2013)
21 IMF(2020)
 

5――デジタル化によるオフィス市場の創造的破壊?

5――デジタル化によるオフィス市場の創造的破壊?

米マイクロソフトのサティア・ナデラCEOが「2年分のデジタル変革が2カ月で起きた」と述べたように、新型コロナの感染拡大が触媒となり、デジタルシフトが社会全体で加速した22。そして、テレワークの普及が一気に進み、アフターコロナのニューノーマルとして、一部では「オフィス不要論」が注目を集めた。ネットスケープ社を創業したマーク・アンドリーセンは、2011年に“Why Software is Eating The World(ソフトウェアが世界を飲み込む理由)”と題したコラムで、次の10年で既存企業とテクノロジーを活用した新勢力の戦いが熾烈になると予想した23。「オフィス不要論」に代表される、「オフィスvs.テレワーク」の構図は、日本の不動産市場の本丸であるオフィス市場においても、戦いの火ぶたが切られたことを示しているのではないだろうか。

ただし、オフィスにおけるニューノーマルを予想するのは容易なことではない。2001年の米国同時多発テロでは高層オフィスビルの需要減退や飛行機利用の減少、2011年の東日本大震災では東京の湾岸マンションの需要の減少、といったニューノーマルを予想する声が聞かれたものの、実際は予想に反する結果となった。これらの予想が都市化やグローバル化などの長期トレンドに逆らうものであったことも、ニューノーマルとして現実化しなかった一因であろう。一方で、コロナ禍におけるテレワークの拡大がこれまでのデジタル化の長期トレンドの延長線上にあることを考えると、デジタル化によるオフィス市場の不確実性、つまりテクノロジーによる創造的破壊の影響や蓋然性を過小評価すべきではない。

「フィジカル空間」を主戦場とする不動産と「サイバー空間」をつかさどるテクノロジーは、需要を食い合う代替関係に陥りやすい。不動産業において、一足先にテクノロジーによる創造的破壊の脅威に晒されたのが、米国や英国の商業施設である。eコマースが既存の商業店舗の売上を侵食し、多くの小売業や商業施設を廃業や閉鎖に追い込んでおり、Amazon Effectと呼ばれている。そして、不動産投資においては、グローバルに商業施設セクターをアンダーウェイトする潮流が生まれ、その一方で、eコマースの配送インフラとしての物流セクターは投資家に選好されている(図表4)。
図表4:米REIT市場における商業施設と物流施設のトータルリターンの推移
今回のコロナ危機で、商業施設におけるデジタル化による不確実性はさらに高まった。eコマース拡大の加速によりモノ消費に対するデジタル化がさらに進んだ影響もあるが、コト消費にもデジタル化の脅威が及ぶ恐れが高まったためである。新型コロナにより拡大したフードデリバリーや動画配信サービスなどのデジタルサービスは、コト消費のビジネスモデルを揺さぶっている。フードデリバリーは、レストランやホテルとかで外食というコト消費を、弁当や総菜のようにモノ消費化した。そして、ゴーストレストランやクラウドキッチンといったフードデリバリーに特化した新しい業態を生み出した。フードデリバリーは、外食を構成する料理や空間、時間などのレイヤーを分解することで、それぞれの構成要素の費用対効果を明確にしている。従来型の飲食店は、料理以外の付加価値として、どのような空間と時間を提供できるかがより重視されるだろう。さらに、コロナ下においては、映画館や遊園地などに代わって、NetflixやAmazon Prime Videoなどの動画配信サービスや「フォートナイト」や「あつまれ どうぶつの森」といったオンラインゲームなどが、人々に娯楽を提供した。これらのデジタルなエンターテインメントとの比較から、商業施設におけるエンターテイメントはフィジカル空間における素晴らしい体験価値がより一層求められるだろう。

それはさておき、今回の危機において注目されるのは、日本の不動産投資市場において最大のセクターであるオフィス市場で、デジタル化による創造的破壊、つまりMicrosoft EffectやZoom Effectと呼ばれる事態が起こり得るのかということだ。
 
22 日本経済新聞(2020)
23 Andreessen (2011)
 

6――テレワーク拡大により代わる仕事のポータル

6――テレワーク拡大により代わる仕事のポータル

今後、テレワークがある程度定着していくことについては、概ね意見が一致している。一方で、テレワークの拡大がオフィス需要にどれほどのインパクトをもたらすかについては、依然不透明である。一部ではオフィス不要論といった極端な見方がある一方で、オフィスは必要不可欠との主張も根強い。いずれにしても、新型コロナによるテレワークの拡大は、オフィスがこれまで担ってきた「仕事のポータル」としての役割を脅かす可能性を秘めている点で重要である。

ポータルとは大きな建物の玄関を意味し、インターネットブラウザを立ち上げたときに最初に表示するサイトをポータルサイトと呼ぶ。これまでオフィスワーカーは、まずオフィスに行くことを当然のこととしていた(図表5)。そしてオフィスにおいて、パソコンで作業し、電話で取引先と連絡し、会議室で同僚と議論などをしていた。つまり、オフィスが仕事のポータルとして、プラットフォームの役割を担い、パソコンや電話、会議室などがアプリとしてインストールされていたと見ることができる。しかし、テレワークでは、まず向かうのがノートパソコンやタブレット、スマホのため、仕事のポータルはクラウドサービスなどのデジタル・プラットフォームが担うことになる。オフィスは、自宅やフレキシブルオフィスなどのサードプレイスと同様に、ノートパソコンなどに向う場所の選択肢の一つにすぎなくなる。言い換えると、デジタル化が進展するにつれ、仕事のポータルとしての役割がオフィスからデジタル・プラットフォームに代わり、オフィスは一つのアプリにすぎなくなる。その過程では、オフィスとGAFAMなどのITプラットフォーマーとの競争は激しさを増すだろう24。また、仕事のポータルの役割がデジタル・プラットフォームに移れば、在宅勤務がオフィスと住宅の境界を曖昧にしたように、ホテルや商業施設など他のセクターとオフィスの境界線も薄くなる可能性がある。仕事のポータルが本当に移行した場合、また他のセクターとの境界が低くなった場合のオフィス市場への影響は、今後注意深く見極める必要がある。
図表 5:Before vs. Afterコロナにおける仕事のポータル
ただし、デジタル化による不確実性が短期的に顕在化する恐れは今のところ限定的だ。在宅勤務は、通勤などの移動時間を節約できるメリットがある一方、現在の技術水準では、社員間のコミュニケーションや人材育成、エンゲージメント(会社への愛着等)の醸成などに課題があるとされる。また、日本では在宅勤務が馴染みにくいとの見方も根強い。職場と比べて在宅勤務の生産性は、平均▲30%~▲40%低下するとの調査結果もある25。その背景には、雇用制度や商慣習、デジタル化の遅れなど企業側の要因に加えて、住宅が狭い、ネット回線が遅いといった従業員側の事情などが指摘される。従って、在宅勤務は今後定着するものの、オフィスか在宅勤務という極端な二元論によるオフィス不要論は行き過ぎとの認識が広まっている。

オフィスと在宅勤務のいずれか、ということではなく、今後はオフィスと在宅勤務をハイブリットに使いこなす企業が増えることが予想される。在宅勤務拡大によるオフィス市況への影響を見極めるには、アフターコロナの世界において、オフィスとオフィス以外での勤務割合であるオフィス出社率が、どのような水準に落ち着くかが重要となろう。さらに、テレワーク拡大によってオフィス出社率が低下した場合、オフィス需要が実際どれほど減少するか、がオフィス市況の鍵を握る。テレワーク拡大に伴うオフィス再構築の動きは今のところ限定的だが、今後の動向に注目される。
 
24 Google、Amazon、Facebook、Apple、Microsoftの5社。
25 森川 (2020)
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金融研究部   主任研究員

佐久間 誠 (さくま まこと)

研究・専門分野
不動産市場、金融市場、不動産テック

経歴
  • 【職歴】  2006年4月 住友信託銀行(現 三井住友信託銀行)  2013年10月 国際石油開発帝石(現 INPEX)  2015年9月 ニッセイ基礎研究所  2019年1月 ラサール不動産投資顧問  2020年5月 ニッセイ基礎研究所  2022年7月より現職 【加入団体等】  ・一般社団法人不動産証券化協会認定マスター  ・日本証券アナリスト協会検定会員

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