2021年04月09日

炭素国境調整措置の影響-スピード感が重要、受け身では競争力を失う恐れ

総合政策研究部 准主任研究員 鈴木 智也

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1――はじめに

気候変動対策に関する国際的な取組みが加速している。もともと昨年2020年は、パリ協定の実施初年度であり、気候変動対策に対する関心が高まることは予想されていた(「日本の地球温暖化対策-『カーボンプライシング』の可能性を考える」(2019-12-25)より)。しかし、気候変動対策は、既存の産業構造に変革を迫るものであり、その歩みは加速しながらも、ある程度漸進的なものにならざるを得ないとの見方も多かった。実際、地球温暖化に関する世界会議が初めて開催されたのは、1985年のフィラハ会議であり、すべての国が参加する枠組みとしてパリ協定に結実するまでには35年の月日が経過している。

この状況を大きく変えたのは、全世界で猛威を振るっている新型コロナウイルス感染症の拡大だ。感染爆発が起きた当初は、各国政府が新型コロナウイルス対応に追われ、人命を最優先するために気候変動対策への取組みは優先順位を下げざるを得なかったが、感染状況が落ち着きを取り戻し、ワクチン開発に進展が見られると、政策当局の関心は、経済復興に向けた経済対策へと移って行った。その中で、経済復興の推進力として注目されたのが、環境を重視した投資やインフラ整備などによる復興を目指す「グリーン・リカバリー」だ。各国は、持続可能でレリジエント1な社会システムを構築するために様々な政策を打ち出し、環境負荷の小さな社会の実現を目指して急旋回している。今般の取組みにおける大きなポイントは、環境対策だけでなく、産業政策としても位置づけられている点だ。この分野で遅れを取ることは、産業の国際競争面においても不利な立場に置かれることを意味する。

本稿では、年後半に掛けて注目度が高まるだろう「炭素国境調整措置2(炭素規制の緩い地域からの輸入品に対して炭素排出量に応じた追加の負担を課す制度)」に着目し、足元の国際情勢を概観したうえで、その効果や課題、日本企業や産業への影響について考察する。
 
1 レリジエントは、危機時の耐性や回復力を持ち、立ち直ることのできる「しなやかな強さ」を意味する。
2 欧州委員会が、2019年12月に「グリーン・ディール」を公表した当初は「国境炭素税:carbon border tax)」と呼称されていたが、その後「炭素国境調整措置:Carbon Border Adjustment mechanism」に改められた。また、バイデン氏の選挙公約では「炭素調整料金又は割当:carbon adjustment fees or quotas」との記載がある。本稿では、類似の仕組みを「炭素国境調整措置」と表記する。
 

2――「炭素国境調整措置」の導入に向かう世界

2――「炭素国境調整措置」の導入に向かう世界

1|世界の動向~先行する欧米~
炭素国境調整措置は、決して新しい議論ではない。2001年にブッシュ大統領が、京都議定書から脱退を表明した際には、欧州では米国に気候変動対策を促す政策手段として、検討されたことがある。このときは、気候変動対策に積極的なオバマ政権が誕生したことで、制裁的な議論は下火になって行ったが、欧州では炭素国境調整措置に関する提案が、その後幾度か出されてきた。

日本でも、2010年に財務省関税局の環境と関税政策に関する研究会において、議論が行われたことがある。この時期は、オバマ政権のもとで、米国議会が炭素国境調整措置を含む排出量取引法案を審議していた時期であり、第15回気候変動枠組条約締約国会議(COP15)においても、制裁を課す側の先進国とそれを課される側の新興国が鋭く対立する大きな争点となった。

今般の炭素国境調整措置を巡る議論も、欧米先進国が主導する形だ。欧州では、2019年12月に欧州委員会委員長に就任したフォンディアライエン氏が、2050年までに気候中立(温室効果ガス排出実質ゼロ)を実現するとの目標に掲げた「欧州グリーン・ディール」を公表し、その柱の1つに炭素国境調整メカニズムの導入を挙げている。欧州委員会は、2021年12月にコロナ禍からの復興に向けた次期中期予算と復興基金で正式合意し、その3割を気候関連プロジェクトに振り向けることを決めた。その財源として炭素国境調整措置の活用を検討しており、2023年1月1日までの導入を見据えて、2021年6月までに炭素国境調整措置の原案を提示する方針を示している。

2019年に欧州が、炭素国境調整措置の導入方針を掲げた当初、パリ協定から脱退した米国や著しい経済発展を化石燃料に依存する中国などが反発し、欧州が気候変動対策で突出したとの印象があった。しかし、2020年にバイデン氏が米国大統領に就任すると、気候変動対策における欧米の足並みが揃ってきたように感じる。バイデン大統領は、2019年に発表した選挙公約の中で炭素国境調整措置の導入を掲げて当選し、就任後すぐにパリ協定に復帰する大統領令に署名している。2021年4月には、主要排出国の首脳らが参加する気候変動サミットを主催し、取組みを本格化する姿勢を見せている。

今年2021年は、多くの国際会議において、気候変動対策が主要議題になるとみられる。すでにG7サミットとCOP26で議長国を務める英国のジョンソン首相は、炭素国境調整措置を検討課題として取り上げる意向を示しており、COP26を前に主要先進国間で一致点を見出すことができれば、国際的なルール作りに向けた動きが進展する可能性がある。
[図表1]気候変動対策に関する主なスケジュール 《2021年》
2|日本の動向~岐路に立つ日本~
欧米諸国の動きを受けて、日本でもカーボンプライシングの議論が始まっている。2021年2月には、環境省と経済産業省で有識者会議が開催された。年内には、一定の方向性が示される見込みだ。

環境省における会議体は、「カーボンプライシングの活用に関する小委員会」である。2月1日におよそ1年半ぶりに召集された同委員会は、2018年7月から2019年7月までの議論で「カーボンプライシングの活用の可能性に関する議論の中間的な整理」を取りまとめ、「カーボンプライシングについて、国際的な動向や我が国の事情、産業の国際競争力への影響等を踏まえた専門的・技術的な議論をさらに深めていくべき」としている。3月2日には、炭素排出量に応じて課税する「炭素税」と排出削減量をクレジットとして売買する「クレジット取引3」に関する意見交換が行われた。今後、国内外の情勢変化を踏まえたうえで、排出量取引制度や炭素国境調整措置などについて、複数回にわたって議論が行われる予定だ。

経済産業省における会議体は、「世界全体でのカーボンニュートラル実現のための経済的手法等のあり方に関する研究会」である。2月17日に新設された同研究会は、国境調整措置に関する諸外国の状況を整理したうえで、カーボンプライシングに関する議論を幅広く行うとしている。すでに第2回・3回の議論が3月中に開催されており、今年夏頃には「中間整理」を取りまとめ、年内には一定の方向性を示す方針だ。

ただ、国際的な議論が進む中、時間があまり残されていないとの危機感は強い。2月24日に開催された経済財政諮問会議では、民間議員から「国際的な動きも踏まえながら早期に結論が得られるよう、政府一体となって議論を進めるべき」との声が上がっている。政府も、最終的には一体で検討4するとしているが、炭素国境調整措置については、日本の立場を早急に示す必要が生じるかもしれない。
 
3 クレジット取引は、低炭素社会実行計画の目標達成やCSR活動(環境・地域貢献)のために、自主的に責任を果たそうとする取組みである。再生エネルギーなどがもつ価値を売買する非化石価値取引や先進的な対策によって実現した排出削減量を売買するJクレジット、途上国との協力で実現した削減硬貨を2国間で分け合うJCM(二国間クレジット制度)、自動車メーカーに一定比率以上のクレジットの取得を求めるゼロエミッション車クレジット取引などがある。一方、排出量取引は、国家間や国の法制度などで定められた規制のもと、排出量の上限を決めて取引する仕組みであり、明確な履行義務が設けられている。
4 内閣府は「気候変動対策推進のための有識者会議」を創設し、その初会合を2021年3月31日に開催。
 

3――「炭素国境調整措置」の概要

3――「炭素国境調整措置」の概要~期待される効果と課題~

炭素国境調整措置は、国家間の排出規制の強弱によって生じる環境対策コストの差を、炭素税や排出枠購入の義務を課すことで埋める仕組みである。排出規制の緩い域外国からの輸入に対しては、域内国と同じ環境対策コストの負担を求める一方で、排出規制の厳しい域内国からの輸出に際しては、生産時に負担している環境対策コストを還付する。
1期待される効果
炭素国境調整措置の導入については、期待される効果が3つある。

1つ目は、国際的な競争条件を揃えることにより、自国産業を保護することができる点だ。排出規制の厳しい地域では、企業は追加的なコストを負担することになる。実際、欧州では、排出削減目標の引き上げを受けて排出権価格の高騰が続いている[図表2]。

企業は、事前に決められた排出量を超過する排出権を市場で購入する必要があるため、欧州企業の追加的な負担は増している。利益の減少を補うために製品に追加コストを上乗せすれば、競争力を失うことになる。とりわけ、排出規制の緩い域外から安価な輸入品が入って来れば、欧州製品は不利な状況に置かれてしまう。そのため、炭素国境調整措置の導入により、排出規制の強度差を埋め、国際競争上の悪影響(雇用の流出などを含む)を抑制することが期待されている。
[図表2]欧州排出権価格の推移
2つ目は、炭素リーケージを防止する効果が期待できる点だ。炭素リーケージは、排出規制の度合いが地域毎に異なる場合、企業が生産拠点を排出規制の緩い地域へ移管することで、地球全体で見ると、排出量の削減が進んで行かないという問題である。炭素国境調整措置の導入により、このような抜け道を塞ぐことができれば、企業は生産拠点の移管という安易な道を選ぶよりも、環境対策そのものに重点を置くようになると期待される。

3つ目は、環境対策に熱心でない国に対して、対策を促す効果が期待できる点だ。炭素国境調整措置が導入されれば、排出規制の緩い地域からの輸入品は、コストの上昇で競争力を失うことになるため、環境対策に熱心でない国も、自ら環境対策に取り組まざるを得なくなる。炭素国境調整措置によって、環境コスト(炭素排出という外部不経済)を強制的に内部化することで、国際的な取組みが一層強化されることが期待される。
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総合政策研究部   准主任研究員

鈴木 智也 (すずき ともや)

研究・専門分野
日本経済・金融

経歴
  • 【職歴】
     2011年 日本生命保険相互会社入社
     2017年 日本経済研究センター派遣
     2018年 ニッセイ基礎研究所へ
     2021年より現職
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員

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