2020年12月15日

‘市民’向け保険「恵民保」とは?(中国)【アジア・新興国】中国保険市場の最新動向(45)

保険研究部 主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任 片山 ゆき

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1-はじめに

民間保険が普及しつつある中国では、日夜、新たな保険商品が開発されている。その中でも、新型コロナが落ち着いた8月以降、注目が集まっているのが‘市民’を対象とした医療保険商品である。

市民向けとなると、日本の場合は、市民共済などを思い浮かべるかもしれない。営利を目的としない生活協同組合によるもので、火災共済などが代表例であろう。一方、中国の市民向けの医療保険商品は、その市が運営する公的医療保険制度に加入している市民1を対象にし、保険会社が引き受けをし、比較的少額な負担で加入が可能な保険商品となっている。「恵民保」などの通称から、一般市民向けに考えられた低価格の保険とも読めるが、本当にそうであろうか。

以下では、中国において民間医療保障のニーズが高い背景を振り返りながら、市民向け医療保険商品の商品特性や普及の背景を紹介する。
 
1 中国の公的医療保険には強制加入と任意加入が並存している。例えば、都市の就労者を対象とした公的医療保険は強制加入であるが、非就労者(高齢者や主婦、児童、学生など)の公的医療保険は任意加入となっている。
 

2-中国における民間保険の普及状況

2-中国における民間保険の普及状況

中国の公的医療保険制度は、基本的な治療や手術の給付に加えて、長期の入院や高額な治療費の給付に対応した日本の高額療養費制度に相当する制度の整備なども進められている。ただし、日本と異なるのは、「市」単位で制度が分立しており、多くの都市で、給付まで一定額の自己負担を求める免責制度を導入し、給付額そのものにも限度額を設けている点であろう。加えて、病院のランクに応じて自己負担の多寡を設定するなど、最終的に、患者(被保険者)が支払う自己負担額が総じて高い佇まいとなっている。

一方、公的医療保険を支える民間保険については、保険市場において、医療保険商品、疾病保険商品、保険料を抑えたインターネット保険や相互保険などがある。更に、プラットフォーマーがユーザー向けに提供し、欧米のP2P保険に類似する「ネット互助プラン」などもある。
 
しかし、公的医療保険を支える大きな柱として期待される民間保険については、加入がそれほど進んでいないという現状もある。ニッセイ基礎研究所が2020年8月に行った調査2によると、中国において何らかの民間保険に加入しているのは全体の56.1%であった。半数は超えているものの、日本と比べれば民間保険が広く普及しているとは言えない段階にあろう3。また、医療関係の保険をみると、医療保険(実損填補型)の加入は全体の21.2%、疾病保険(重大疾病保険)は25.0%にとどまっている。

一方、何らかの民間保険に加入している者のうち、どのような保険に加入しているかをみると、最も多かったのは重大疾病保険(44.5%)であった(図表1)。次いで、傷害保険(41.9%)で、医療保険(実損填補型)などを加えると、医療関連の保険の加入が多く、その需要が高い点が推察される。
図表1 民間保険加入者の保険種類別の加入状況(複数選択、n=786)
近年、医療保険商品の加入は増加しているものの、保険料の高さや、給付に際しての保険提供側と被保険者との信頼関係構築などの課題もある。また、公的医療保険においては、自己負担が高い上に、抗がん剤など重大疾病の治療薬や先進治療などについては保険適用の範囲が狭いといった課題もある。こういった点からも、民間の医療保障ニーズは高く、新たな仕組みである「恵民保」が登場する土壌が醸成されていたと考えられよう。特に、中国政府は、医療保障体系を維持していく上でも、民間の積極的な活用、新しい医療保険商品の開発や普及を促している。中国では、ニーズや対象者に応じた商品の多様化や細分化が進みやすい土壌があると考えられる。
 
2 本調査の調査対象者は、中国における一線都市から四線都市に居住し、1960年代生まれ~2000年代生まれの各世代(主に10~50代)の男女で、株式会社インテージの提携会社のモニター会員である。性年代別の割付は中国の国勢調査(「人口普査」)に基づいている。調査期間は2020年8月7日~8月20日。有効回答件数は1,400。民間保険への加入状況については、基礎研レポート「中国においてP2P保険が急速に普及する理由」(2020年11月10日発行)参照。
3 生命保険文化センターの令和元年度「生活保障に関する調査」によると、日本において、生命保険に加入している人は、男性では81.1%、女性では82.9%。なお、中国銀行保険監督管理委員会の公表データによると、2020年1-10月までの健康保険(医療、疾病、介護、所得補償保険)の保険料収入は7,162億元となっている。
 

3-‘市民’向けの医療保険商品とは?

3-‘市民’向けの医療保険商品とは?

では、新型コロナ以降、注目を集めるようになった市民向けの医療保険商品-「恵民保」4とはどのようなものなのであろうか。

恵民保は、2015年、深圳市の「深圳市重大疾病・特殊疾病補充医療保険」に端を発している。深圳市の公的医療保険に加入している市民を対象に、高額な治療費や入院費用が必要な重大疾病や長期の治療が必要な特殊疾病などの費用負担の軽減を目的に導入された5

給付内容をみると(2020年版)6、入院費用については、自己負担額1万元(約16万円)以上の部分について70%給付、薬代については総額給付15万元(240万円)を限度に70%を給付としている(いずれも保険適用の範囲内にある医療を対象)。加入対象者は、深圳市の公的医療保険に加入している会社員、その家族、定年退職者である。2019年の加入者数は750万人で、同市の公的医療保険加入者の50.4%を占めている7

また、契約に際して医師の診査や健康状態の告知を必要とせず、保険料は年齢などに関係なく一律30元(480円/2020年)と低額に抑えられている。期間は1年間で、毎年保険料が見直されており、2015年の開始当初は20元であった。運営は、深圳市医療保障局が入札で引き受け会社を決定しており、2015年以降、平安養老保険の深圳支店が引き受けをしている。
 
このように低額の負担で比較的手厚い保障が受けられることから、恵民保は2020年11月末までで、全国およそ60都市で70の商品が誕生し、加入者はおよそ2,600万人、保険料収入は10億元(160億円)以上と推算されている8。引き受け会社も、平安養老、平安健康、中国人寿、中国人保、中国太平洋保険など大手を中心に進んでいる。

当然のことながら、各市の特性を反映した商品設計がされるため、保険料の設定や給付内容は異なる。ただし、多くの市では、年間保険料を概ね50-100元(800-1,600円)に抑え、保険金の総額は100万元(1,600万円)までとなっている。近年、中国の保険市場では、「百万医療保険」と称される高額な給付を目的とした医療保険の加入が増加していた。百万医療保険は、年間数百元の保険料で、例えば、疾病保険の場合は200-300万元(3200-4800万円)、重大疾病保険の場合は600万元(9,600万円)といった高額な給付が得られる保険である。「恵民保」は保険料、給付金も百万医療保険とまではいかないものの、高額な保険料の支払いが困難な所得層や、既往症のある人、高齢者を包摂する商品として位置付けることができよう。

ただし、多くの「恵民保」は給付までの免責額が年間2万元と高く設定されている点に留意が必要であろう。

中国では、そもそも公的医療保険制度において数千元~数万元の免責額が設定されており、それに加えて2万元(32万円)となると、自己負担額は更に重くのしかかることになる9
 
「恵民保」は、市政府、保険会社、更にはヘルスケアや保険に関連するIT企業が連携することで提供されている。市政府は、財政面での補助は行わないものの、入札で引き受け保険会社を決定、市政府のウェブサイトで保険料や給付内容を公表したり、公的医療保険で設置している医療専用口座での保険料支払いを可能にするなど、側面的に支援している。市民に対しては、医療保障制度の拡充を示すことができるし、国が進める金融包摂政策10の一端を担うこともできる。

また、保険会社としては、恵民保の販売による単体での収益は見込んでいないものの、地元政府との関係強化や、新たな顧客の獲得、付帯サービスの展開による全体としての収益化を目指す目論見がある。これまでの高額給付の医療保険に加入していなかった新規顧客層へのアクセス、健康情報の収集・分析が可能となり、テーラーメイド型の新たな商品の開発も可能だ。そして、ヘルスケア系のIT企業にとっては、恵民保を通じて、慢性病の体調管理や検査、オンライン上での問診など付帯サービスの展開も考えられる。
 
4 通称として「恵民保」以外に、「普恵保険」、「普恵性補充医療保険」などがある。監督当局である中国銀行保険監督管理委員会はこのような保険を監督管理上、「城市定制型商業保険」(市がカスタマイズした民間保険)と定めている。
5 深圳市政府発表(2020年4月30日)。http://www.sz.gov.cn/cn/xxgk/zfxxgj/tzgg/content/post_7269410.html、2020年12月10日アクセス。
6 深圳市医療保障局「深圳市重特大疾病補充医療保険弁法的政策解読」(2020年5月7日)、http://www.sz.gov.cn/zfgb/zcjd/content/post_7351075.html、2020年12月10日アクセス。
深圳市医療保障局「深圳市重特大疾病補充医療保険弁法」的通知(2020年5月7日)、http://www.sz.gov.cn/zfgb/2020/gb1149/content/post_7345518.html、2020年12月10日アクセス。
7 深圳市政府発表。http://www.sz.gov.cn/cn/xxgk/zfxxgj/zwdt/content/post_7250347.html
2020年12月11日アクセス。
8 「中国健康保険発展報告(2020)」、中国新聞網「全国範囲内至少60個城市已落地城市定制医療険」(2020年12月2日)、https://tech.sina.com.cn/roll/2020-12-02/doc-iiznctke4330253.shtml、2020年12月11日アクセス。なお、商品については、各都市の恵民保に加えて、全国共通の商品も出現している。
9 2019年、中国における1人あたりの平均入院費は前年比6.0%増の9,848元、1回あたりの平均通院費は前年比6.1%増の291元となっている。出典は「2019年我国衛生健康事業発展統計公報」(2020年6月)。
10 これまで基本的な金融サービスにアクセスできなかった所得層や弱者層に、ITなどの技術を活用することで低価格のサービス提供を目指すもの。金融包摂は、2015年に提唱された国の「インターネットプラス」戦略の重点分野の1つとなっている。
 

4-「恵民保」の導入が増加した政策的な背景

4-「恵民保」の導入が増加した政策的な背景

このような状況の背景には、何があるのであろうか。まず、挙げられるのが政府による民間活用の促進であろう。中国で新型コロナの感染に一定の目途が見られた3月には、国務院が「医療保障制度改革の深化に関する意見」を発出している。そこでは、「2030年までに、公的医療保険を主体とし、医療救助で基層部分を救済し、補充医療保険、民間の健康保険、寄付、医療互助の協働発展によって、医療保障体系を全面的に構築する」と、社会保障体系における民間の活用を更に強化する旨が示された。ここでの補充医療保険の1つに「恵民保」が含まれており、この国務院の意見の発出以降、導入する都市が徐々に増加している。
 
また、保険市場を監督・管理する中国銀行保険監督管理委員会も、2019年末に、保険会社が自社またはヘルスケアを専門とするIT企業と連携して、総合的な健康管理サービスを提供するよう推奨している11。2020年9月には、「保険会社の健康管理サービスの規範に関する通知」を発し、保険会社が提供可能な健康管理サービスについて定めている。例えば、顧客の健康についてのモニタリング、分析・評価、健康の危害を加える要因への対処、疾病発生のコントロール、健康維持などで、それを支えるサービスとして、健康診断や健康コンサル、健康促進、疾病予防、慢性病管理、医療サービス、リハビリなどを含むとしている。その目的は、疾病発生予防、疾病コントロールやリハビリを通じて、疾病発生率を抑制し、健康レベルを引き上げることとした。

国としても、民間事業を積極的に活用することで、社会保障体系の持続可能性を維持していこうとする姿が見えてくる。国民の健康の維持や、リスクシェアは、可能な限り民間事業や当事者間に付け替えるという手法であろう。
 
しかし、「恵民保」のあまりにも急速な広がりに、保険市場を監督する当局自体も警鐘を鳴らし始めている12。上掲のとおり、2015年以降2020年11月までにおよそ70の商品が導入されているが、そのうち50商品は2020年8~11月のわずか3カ月に集中しており、問題も散見され始めているからだ。当局は、都市によっては、複数以上の保険会社によって恵民保が提供され、保険料の価格競争が起きており、価格の適正化をはかる必要がある点、地方政府の承認は得ているものの、それを悪用してはいけない点、得られた個人情報をその他の目的で利用してはいけない点などを指摘している。
 
11 「健康保険管理弁法」(2019年10月)、「関于規範保険公司健康管理服務的通知」(2020年9月)
12 「関于規範保険公司城市定制型商業医療保険業務通知」(意見募集稿)(2020年11月)
 

5-おわりに

5-おわりに

中国で恵民保が急速に導入されている背景には、国の医療保険制度改革の一環として是認している状況もあろうが、新型コロナを経て、国民の医療保険への加入意識が高まった点も推察される。保険会社としても、高額な保険料を支払う医療保険への加入には二の足を踏んでいた所得層を取り込み、保険加入の顧客層の拡充を図ろうとする面も見られる。ただし、「恵民保」といえ、給付に際しての免責額が高い点や、年齢やリスクに応じた保険料を設定していない点から、運営がどこまで持続可能なのかといった課題も見えてくる。これまでも地方政府とその地方に進出した保険会社による制度の運営や商品開発は見られるが、いずれも収支の問題等で最終的には保険会社側がその補填をしているケースが散見される。国、地方政府としても、健全な医療保障体系の構築を目指すのであれば、財政の投入や関わり方の再検討も必要であろう。特に、所得が相対的に低い層の医療保障については、本来であれば政府が支えるべき対象でもあろう。民間活用という美名に隠れて、最終的なツケを民間事業もしくは加入者(被保険者)に押し付けるだけであれば、本末転倒ともなりかねない。
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保険研究部   主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任

片山 ゆき (かたやま ゆき)

研究・専門分野
中国の社会保障制度・民間保険

(2020年12月15日「保険・年金フォーカス」)

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【‘市民’向け保険「恵民保」とは?(中国)【アジア・新興国】中国保険市場の最新動向(45)】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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