2020年11月27日

アント・グループの上場延期と保険事業-P2P保険「相互宝」の切り離しの可能性も

保険研究部 主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任 片山 ゆき

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1――はじめに

11月3日、中国アリババ・グループ傘下のアント・グループの香港・上海株式市場における上場延期が発表された。その原因として、10月下旬の上海における馬雲氏の講演発言や現政権との関係、以前からあった金融当局との鍔迫り合い、ひいてはデジタル人民元など政策面での攻防が取り上げられている。

いずれも大きく影響していると考えられるが、本稿では、政治・政策的な面ではなく、アント・グループを支える金融3事業(融資・運用・保険)のうち、あまり取り上げられていない保険事業に焦点をあて、規制当局との攻防やその影響を紹介する。

アント・グループの目指している動きは、当グループだけにとどまらず、同様の形態をとるプラットフォーマーの追随も考えられる。その意味においても、アント・グループが上場を果たす前に、一定程度の監督管理上の整備が必要であったのであろう。今回の上場延期の最終決定のきっかけは馬氏の発言にあったとしても、数カ月も前からその予兆があった気がしてならない。
 

2――アント・グループ

2――アント・グループ:融資・運用・保険の金融プラットフォーム3事業が営業収入の63.4%を占める。保険はそのうち、8.4%と小さいものの、増加率は他2事業を凌駕。

アント・グループは、株式上場に先立って会社名をそれまでのアント・フィナンシャル(「浙江螞蟻小微金融服務股份公司」)から、「金融」の文字を取り去り、「科技」(IT)に変更している(「螞蟻科技集団股份公司」)。アント・グループによる目論見書でも、金融事業の会社ではなく、IT企業としての位置づけが見て取れる。時期が時期だけに金融当局からの規制との関連などを深読みしてしまうが、2020年1-6月の営業収入のうち、融資、運用、保険の金融プラットフォーム3事業からの収入が63.4%と全体の多くを占めている。一方、デジタル決済・提携先企業へのサービス提供は縮小し、全体の35.9%となっている(図表1)。2017-2019年の動きをみてみると、2019年の時点で、金融プラットフォーム3事業の収入の割合(56.2%)がデジタル決済や提携先企業へのサービス提供(43.8%)を上回り、収入の柱がすでに金融事業に移行していることがわかる。
 
保険プラットフォームの事業は、2020年6月末時点で営業収入の8.4%と、融資(39.4%)、運用(15.6%)と比較しても小さい。しかし、営業収入の増加率は、2018年が前年比86.3%増、2019年が前年比107.4%増と他の2事業を大きく上回っている1

なお、保険プラットフォームの事業規模2は2020年1-6月で518億元と、融資残高2.1兆元(個人向けの消費ローンが1.7兆元、中小規模企業向けの小口融資が0.4兆元)、運用資産規模4.1兆元と比較しても小さい(図表2)。加えて、518億元には、アリババ・グループの会員向けに、主に重大疾病保障を中心に展開する「相互宝」の分担金を含んでいる3。よって、あくまで参考数値であるが、保険事業としては、2020年6月までの民間保険の収入保険料(生損保合計2兆7186億元)の1.9%、インターネット保険(1766億元)4となると、その29.3%を占める規模となっている。
図表1 アント・グループの営業収入推移/図表2 金融プラットフォーム3事業の規模
 
1 保険は2010年、運用(余額宝)は2013年、融資(消費ローン/花唄)は2014年開始。
2 保険プラットフォームを通じてもたらされた生保、損保の保険料収入と、アリババ・グループの会員向けに展開する相互宝(重大疾病保障他)の分担金を含む。なお、融資はおよそ100の銀行など金融関連機関、運用はおよそ170の資産管理会社、保険はおよそ90の保険会社と業務提携している(2020年6月末時点)。
3 「相互宝」は監督管理上、保険に分類されず、中国語では「網絡互助計画」(筆者邦訳:ネット互助プラン)と呼ばれている。仕組みとしては、給付事案が発生後、給付金と管理費(給付総額の8%)をメンバーで割り勘して支払う(分担金の上限は年間188元)。加入者は1億人超と最大規模。相互宝は4種類あるが、加入者が最も多いのは、2018年に導入された重大疾病他100種を給付対象としたものである。対象年齢は0-59歳、給付は39歳までが30万元、40-59歳までが10万元となっている。
4 中国保険業協会『2020年上半期インターネット生命保険市場運行状況分析報告』、『2020年上半期インターネット損害保険市場業務データ通報』
 

3――金融監督当局によるアント・グループ「相互宝」への指摘

3――金融監督当局によるアント・グループ「相互宝」への指摘も、規制発出は慎重な姿勢を維持

8月にアント・グループの上場申請が受理されて以降、翌9月に入ると金融当局の動きが活発になっている。もとより、プラットフォームを活用した新しいデジタル金融は、既存の金融規制に馴染まない。加えて、次々に発表される新しいオンライン上の金融商品や、10億人という顧客5を背景とした急速な拡大を前に、金融当局側の規制の整備、監督・管理が追い付いていない点は拭えない。
 
9月7日、保険事業を監督する中国銀行保険監督管理委員会(銀保監会)の非合法金融活動取締り局が『保険業リスク観察』6に、「非合法の民間保険活動の分析及び対策提案の研究」とした内容の文書を発表した。当局がこのタイミングで、このような文書を掲載する時点で、監督管理上、大きな問題意識を有しているものと考えられる。
 
内容としては、最近の非合法の民間保険活動の特徴として、(1)デジタル化の急速な進展、(2)隠匿性が高く、発見されにくい、(3)社会に甚大な危害を与えるリスクを抱えている、の3点を挙げている。

また、その取締りにおける課題として、(1)中央の監督当局、地方の金融当局、地方政府など地域や組織によって問題への認識や対処が異なること、(2)規制や規定など制度体系が整備されていないこと、(3)調査や証拠の収集が難しく、関係する当局を跨いだ調整が難しいことを挙げている。
 
文書としては、保険事業全体について触れているが、社会に甚大な危害を与える内容として、相互宝、水滴互助の商品実名を挙げて指摘しており、その意図は明白であろう7。指摘内容としては、相互宝、水滴互助とも保険経営の許可を得ていないこと、(水滴互助など)一部は事前に費用を徴収した上でプールしており、その資金が別途利用され、管理を正しくしなければ社会にリスクを与えるとしている。特に、相互宝などのプラットフォームを利用した金融サービスについては、‘4つの無’(監督官庁がない、監督・管理規制がない、業界基準がない、規範化されていない)の状態とした。なお、同一の文書は銀保監会の公式ウェブサイトにも掲載されているが、相互宝、水滴互助の名前は消され、「一部のプラットフォーマー」に変更されている8
 
また、当該文書では、上掲の問題点について、以下、4つの政策提案をしている。(1)地方政府、各担当当局、公安、銀保監会など地域や分野を跨いだ協力と情報の共有化・連絡システムの構築、(2)保険業協会による教育宣伝活動の強化や各当局との連携、保険会社による非合法活動におけるリスクの判別や公安への報告などの協力強化、(3)銀保監会、保険業協会、保険会社間の連携強化、消費者に対する保険の正しい知識の普及、(4)非合法の民間保険活動に関する厳格な取り締まりの実施である。
 
アリババ・グループのエコシステム(経済圏)、アント・グループが持つ金融エコシステムにおけるサービスは多岐にわたり、多くの事業分野を跨いだサービスを提供している。そこには、多くの監督官庁が関わることになるが、既存の縦割りの監督管理体制をどのように調整していくのかが大きな課題であろう。

また、保険事業の許可を得ずに経営を行っていると指摘された「相互宝」は、そもそも加入者が抱えるリスクを加入者間で分担する仕組みをとっている。アント・グループは管理費(給付総額の8%)を徴収するというスキームを採用しており、既存の保険会社に適用する規制には馴染まない。銀保監会は、こういったネット互助プランを「保険ではない」とし、これまでは管轄外とはしたものの、具体的にどこが監督・管理し、どのように規制していくかは宙に浮いた状態が続いている。
 
5 アリペイの利用者で、2020年8月17日までの過去1年間の年間アクティブユーザー数
6 中国保険保障基金有限責任公司(保険会社が破綻に陥った場合の保険契約者等を保護する、日本の保険契約者保護機構に相当)が発行する機関誌
7 新浪财经「银保监会打非局刊文:相互宝等网络互助平台属于非持牌经营」(2020年09月08日)、2020年11月18日アクセス
8 銀保監督会ウェブサイト、https://www.cbirc.gov.cn/cn/view/pages/ItemDetail.html?docId=926652&itemId=969&generaltype=0 2020年11月19日アクセス
 

4――アント・グループ

4――アント・グループ:上場に際して、相互宝が当局の規制を満たせなければ、事業切り離しも辞さない

アント・グループは、相互宝に関する上掲のような監督当局の指摘を受けて、9月22日、目論見書の重大事項の中で言及している。主な内容は以下のとおりであるが、アント・グループは監督管理規制の発出を待っており、規制に沿った運営を行う準備があること、規定・規制の条件をどうしても満たすことができなかった場合は、相互宝の業務を切り離すことも辞さないとしている(図表3)。
図表3 アント・グループ目論見書の重大事項で相互宝に関する内容(一部抜粋)
今後、新たに設けられた金融規制の条件を満たすことを考えた場合、融資、運用、保険の金融事業のうち、今や収入の大きな柱の1つになりつつある融資事業は、いやが応でもすり合わせてグループ内の事業として継続させていく必要があろう。実際、アント・グループの上場準備から上場直前までには、融資や金融グループ会社などに関する規制や規定が立て続けに発出され、少しずつ包囲網が狭められている状況にあった9。アント・グループが目論見書で指摘しているように、新たな規制や規定の条件を満たそうとする場合、業務モデルの大幅な見直しや一時的な停止、引き受け規模を制限する可能性もあるため、今後の業績や収入にも大きな影響を与えることになる。
 
一方、保険事業関連では、9月末に「インターネット保険業務の管理監督弁法」の意見募集稿が公表されている。この意見募集稿は2019年にも発出されていたが、今回は、経営許可の取得をより強調した内容となっている。しかし、インターネットを介した保険業務の定義や範囲、IT企業による許可を得た代理販売などについては定めているものの、免許を持たないプラットフォーマーが提供する商品や保障サービスなどには触れていない状況にある。

いずれにしても、アント・グループの事業全体を考えると、相互宝の規模や影響は小さく、保険当局の指摘を短期間でどうクリアするかを考えると、上場に際しては事業の切り離しはやむを得ないとする判断も理解はできよう。
 
9 例えば、7月には「民間貸付の審査に関する法律適用の若干問題の規定」、8月には「商業銀行のネットローンに関する管理暫定弁法」、9月には「金融グループ会社の参入に関する管理弁法」、「金融グループ会社の監督管理試行弁法、」11月初旬には、「ネット少額ローン業務管理暫定弁法(意見募集稿)」など。ローンや融資などに大きく関わる規定が多い。
 

5――おわりに

5――おわりに

中国では、中間所得層以下の資金調達、資産運用、保険を含む金融商品へのアクセスは、金融排除の状態が長期間続いていた。よって、インターネットを活用した低額から利用可能な資金調達や金融商品への需要は高く、元より成長の可能性があった。政府としても、インターネットを活用した金融包摂として、こういった所得層による金融商品へのアクセスを促進してきた面もある。とはいえ、このまま規制がほぼ敷かれていない状態で、ネット上の金融事業が一部のプラットフォーマーに集中する状況は、最終的に消費者の利益を損ない、金融システムや社会にリスクをもたらす可能性もある。その意味においては、立ち止まって監督管理の整備は必要と言えよう。しかし、上場申請を許可した後の特定分野に関する集中的な規制の発出や牽制は、却って市場に混乱をもたらしかねない懸念も大きい。特に、アント・グループが展開する相互宝は、重大疾病医療保障として、民間保険に加入できない所得層の医療へのアクセスを可能にし、社会保障体系の一翼を担う存在となってきている10。アント・グループが相互宝の業務を切り離すとなると、加入者1億人が医療へのアクセスに不安を感じる事態にもなりかねない点には留意が必要であろう。
 
10 基礎研レポート 「中国「相互宝」の加入者特性、加入理由、加入効果」(2020 年 11 月 12 日発行)
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保険研究部   主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任

片山 ゆき (かたやま ゆき)

研究・専門分野
中国の社会保障制度・民間保険

経歴
  • 【職歴】
     2005年 ニッセイ基礎研究所(2022年7月より現職)
     (2023年 東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程修了) 【社外委員等】
     ・日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
     (2019年度・2020年度・2023年度)
     ・生命保険経営学会 編集委員・海外ニュース委員
     ・千葉大学客員准教授(2023年度~) 【加入団体等】
     日本保険学会、社会政策学会、他
     博士(学術)

(2020年11月27日「基礎研レポート」)

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