2020年10月19日

アジアデジタル共通通貨-わが国の提案で東アジア経済への貢献を

大阪経済大学経済学部教授 ニッセイ基礎研究所 客員研究員 高橋 亘

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1――はじめに1
 
現在Bitcoinなどの民間の暗号資産やFacebookのLibraプランに続いて、世界の中央銀行の中で中央銀行デジタル通貨発行の検討が進んでいる。いくつかの国では実験・試用も始まっている。アジアもその例外ではない。中国の中央銀行である人民銀行は、すでに実証実験を始めており、この分野で世界でも先頭を走っている。また韓国、マレーシア、カンボジアなどでも検討が進んでいる。日本でも日本銀行が、欧州中央銀行と共同研究を進めてきたが、政府からの依頼により専門チームを作り来年度から段階的な実証実験を始める計画を発表した。各国の通貨当局が競ってデジタル通貨の発行を検討している状況をどのようにみるべきであろうか。中央銀行の間の健全な競争は、工夫を生み利便性を高めるため歓迎されるべき面もあろう。だがデジタル通貨のメリットの一つは国境を越えてリアルタイムで安価に取引ができることである。経済のグローバル化に加えてデジタル化が世界的な規模で進展する中で、デジタルなかたちでの国境を跨いだ地域共通通貨、世界共通通貨の実現に向けてより強い関心と検討があってよい。特に東アジアは、現在はCovid19による一時的な停滞はあるが、この半世紀、貿易・産業面で統合が進んできた。一方金融統合は遅れており、国境を越えた金融取引にはいまだ様々な障壁が残っている。このためアジアでの資金を域外の金融子会社に移転し管理している事業会社も存在する。特に通貨面では、東アジア地域で国際的な取引に使用される通貨は、いまだに米ドルのウエイトが大きい。東アジア諸国は1997年のアジア危機以降、外貨準備の蓄積に加えChiang Mai Initiativesによる通貨スワップ網の充実など、通貨危機への耐性を強めてきたものの、潜在的な脆弱性を抱えたままである。特に、域内の基軸通貨が域外通貨の米ドルであることは、危機への耐性に加え、平時でも米国の金融政策の変化の影響を大きく受けるため、通貨のガバナンス体制としては問題だろう。幸いなことに、東アジアでは、アジア危機以降、ASEAN+3のイニシアティブもあって債券市場などローカル通貨建ての金融市場が発展してきた。また、デジタル化も資本市場、決済システムなどで発展し、デジタル面での各国市場の格差も急速に縮小している。こうした状況は、かつてアジア共通通貨構想がとん挫した20年前に比べて、少なくとも技術面では、東アジアでの共通通貨の実現を可能とする環境が整ってきているように思える。共通通貨の実現は、国際的な金融協力体制の確立により、東アジアの抱える国際通貨体制の脆弱性を克服すると同時に、構想が実現できるほど東アジアの金融市場が発展した証左を示すことにもなる。

こうしたなかでデジタル通貨を巡るわが国での論調をみると、海外の進展の紹介や評論に留まるものも多い。しかしわが国の有するデジタル技術なども踏まえれば、技術面も含めたより具体的、実践的な提案がなされてもいい。

わが国は、アジア危機後、国内に銀行危機を抱える中で、国際金融面で新宮沢構想などの政策を打ち出し、東アジアの金融安定にむけて積極的な役割を果たしてきた。ここ20年間、わが国の国際金融面での影響力の相対的な低下は否めないが、デジタル技術等でもわが国がいくばくかの優位性を持つ間に、これまで培ってきた経験も踏まえ、単に評論にとどまらずアジアの域内金湯市場の発展にむけたアクションプランを提示していく意義は大きいように思える。

われわれ(乾・髙橋・石田(2020<#1>))は、アジアデジタル通貨に向けての具体的なアイデアを提示した。本稿では、この提案をもとに、いまアジアデジタル共通通貨を出す意義をあらためて論じている。この提案が、国際金融面でわが国が再び貢献を高めるうえで、その一案として具体的に検討されることを望みたい。
 
1 Email 髙橋 (wtaka@osaka-ue.ac.jp
 

2――アジア共通通貨

2――アジア共通通貨

1997年のアジア通貨危機以降、東アジアでも国際通貨体制についての議論は盛んになった。特に98年の欧州のユーロ発足に刺激されて、東アジアでも、アジア共通通貨の可能性が熱く議論された。だが欧州と比較して、東アジア各国の経済の発展段階に大きな差があった。特に金融市場の発展の差は顕著であった。さらに、東アジアでは、国々の政治体制は大きく異なっている。このような状況では東アジアは「最適通貨圏」の条件を満たしておらずアジア共通通貨は時期尚早との意見が支配的であった。特に2007年の欧州の金融危機は、共通通貨の負の側面を浮かび上がらせ、東アジアにおけるアジア共通通貨の議論は手のひらを返すように、一気に下火になった。

しかし東アジアには、共通通貨の実現を勇気づける歴史的背景がある。その一つが、中世期の東アジア全体で大量の中国銭が広範囲で流通したことである。当時の東アジアでは、中国を軸として海洋貿易が盛んになった。東アジア地域で貿易のリンクが強まり、貿易のための通貨として中国銭が使われた。当時の貿易のリンクの強まりは、今日のサプライチェーンの強まりに似ている。一方日本では長く自国の通貨発行が途絶えていたが、その代わりに中国銭が渡来銭として広く国内で流通した(図表1、当時日本国内で広く流通した明の永楽通宝<永楽銭>)。貿易取引のために使われる中国銭は、国内の取引でも通貨として信用された。このような事情は日本だけに限らない。当時東アジアの域内で中国銭は広く流通した。この背景は圧倒的な中国の経済力であったが、通貨の流通には国家権力ではなく貿易商人によるルールの確立が大きく寄与していた。また明治4年の新貨条例以降、日本の通貨単位は円と定められたが、もともとの漢字は圓である。中国のYuanや韓国のwonの古い漢字も同じ圓である。香港ドルも台湾ドルも同じ漢字を使用している。政治的には様々な困難を抱える東アジアではあるが、アジア共通通貨に向けて歴史的な背景を共有している。
図表1 永楽銭:画像提供日本銀行貨幣博物館

3――アジアデジタル共通通貨

3――アジアデジタル共通通貨

前回の共通通貨の議論が盛んであった時期から20年を経て、アジア共通通貨の実現に向けての状況は進展してきている。20年前に金融統合を阻んだアジアの各金融市場の発展の違いや遅れも、大きく改善されてきた。特に各経済の銀行間の電子的な決済システムは大きく進展したし、証券の電子的な決済も大きく進んだ。さらにインターネットバンキングやモバイル決済も普及してきた。ホールセールの分野でもリテールの分野でもアジア金融市場でのデジタル化の進展は目覚ましい。こうした状況で、いまアジア共通通貨をデジタルで発行すれば、もはや紙幣を発行する必要はない。技術的には、アジア共通通貨の前提条件は整備されてきている。また最近の民間の暗号通貨の発行は、既存の国民通貨と新たな暗号通貨といった複数の通貨の併存が可能であることを示している。欧州の教訓を考えると、アジア共通通貨は、既存の国民通貨との併存のかたちで発行するのが適当であろう。複数通貨の存在は、経済に複雑性をもたらすデメリットもあるが、一方で柔軟性をもたらすメリットもある。
 

4――アジアデジタル共通通貨の発行

4――アジアデジタル共通通貨の発行

現在のデジタル技術を用いれば、アジア共通デジタル通貨の発行は比較的単純である。最初に共通通貨を供給するための国際機関が必要となる。われわれはこれを例えばASEAN+3でChiang Mai Initiativesの事務局として設立したAMROの様なものを利用することを想定したが、その機能の大半はヴァーチャルであるし、国際的な合意があれば、わが国の発案を踏まえて国際金融都市としての発展を目指す東京に招致してもよいだろう。国際機関の主な役割は、一つは各国の中央銀行がアジア共通通貨(ACU <Asia Common Currency Unit>)建ての通貨を発行するための裏付け資産となるアジア共通通貨債券(ACU債)を発行することである。国際機関は各国の中央銀行から国債を購入し、ACU債を発行する。アジアデジタル共通通貨の発行は、アジア共通通貨(ACU)建て債券と一体のものであり、デジタル共通通貨の発行は、アジア債券市場の発展に貢献するというメリットもあることを強調しておきたい。

国際機関のもう一つの役割は電子媒体としてのアジアデジタル共通通貨(ここでは、ADCC<Asia Digital Common Currency >やAMROコインと呼ぶ)を製造し各国中央銀行に移送することである。これは現在各国の紙幣が印刷局で製造され中央銀行に搬送されるのと同じである。国債・アジア共通通貨債の売買は、デジタルで行われるほか、アジアデジタル通貨自体は無論のこと電子財布などの配布もデジタルで配布される。アジア共通通貨は、各国の中銀によってアジア共通債券を裏付け発行される。現行の通貨同様、銀行を通じて経済に流通する。乾・髙橋・石田(2020<#2>)は、その仕組みや国境を跨いだ流通などより詳しく論じている(図表2ではACU債とADCC/AMROコインの発行プロセスについて簡略に図式化している)。

なおバスケット通貨であるACUの構成比率については、参照ウエイトとして何を用いるかなどについて、20年前の議論でも結論をみなかった経緯があるが、とりあえず国際機関等によるACUやAMUの試算などを参考にするのが実践的であろう。デジタル共通通貨を実現する上では、国際的な検討にありがちなNATO(No Action Talk Only)に陥らず、まずは実際に運用をしながら柔軟に対応していくことが実践的で重要と思える。
図2:アジアデジタル共通通貨(ADCC:AMROコイン)発行プロセス

5――アジアデジタル共通通貨の多国間ガバナンス

5――アジアデジタル共通通貨の多国間ガバナンス

われわれの提案するアジアデジタル共通通貨のもう一つの特徴は、多国間で管理するガバナンス体制である。ドルが国際的な基軸通貨である大きな問題は、一つの国の通貨が国際的な公共財となることの矛盾である。われわれのアジアデジタル共通通貨は、ユーロの様な多国間の合成通貨である。協議による決定方法は、ガバナンス面では大きな検討課題であるが、国際通貨が国際公共財であるという立場からは、小国の意見も十分反映されるような仕組みが望まれる。われわれは、現段階では、多国間枠組みの非効率性というデメリットよりは、多国間枠組みの中で協力関係が深まることのメリットの方が、政治外交的にも好影響をもたらすものと考える。

現在世界の政治経済では、多国間の協調体制が崩れ、保護主義の極端化ともいえる自国優先主義の勢いが強まっている。また多国間体制を標榜しながら、ブロック経済的に自国優先の連携体制を強めるような動きも目立っている。前者は勿論のこと、後者も公平な多国間体制とは縁遠いものである。このような困難な国際政治状況であるからこそ、わが国からより公正な多国間のガバナンス構造を持つ提案を行う意義も大きい。

残念なことに東アジアでは、これまで外交問題が、経済的な不確実性をもたらしてきたが、わが国の提案によるアジアデジタル共通通貨という具体的なプロジェクトの検討・実現を通じて、多国間の枠組みが強化されれば、域内諸国の経済的な安定とともに外交的な安定にも資するものと考える。またわが国では現在「国際金融都市構想」の実現に向けての構想も進んでいるが、その際には、単に市場規模や国際金融機能の優越さばかりではなく、多国間的で公正な国際金融体制の構築に貢献してこそ、本当に意義のあるものになると考える。

参考文献
 
乾泰司、高橋亘、石田護 (2000<#1>)「アジアデジタル共通化についての提案」、ニッセイ基礎研レポート、2020年6月12日、ニッセイ基礎研究所
乾泰司、高橋亘、石田護 (2000<#2 >)「アジア共通デジタル通貨の発行方法・手順および検討課題等について」、ニッセイ基礎研レポート、2020年10月5日、ニッセイ基礎研究所
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大阪経済大学経済学部教授 ニッセイ基礎研究所 客員研究員 高橋 亘

研究・専門分野

(2020年10月19日「基礎研レポート」)

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