2020年10月05日

アジアデジタル共通通貨の発行方法・手順および検討課題について

国際協力機構専門家 アジア開発銀行コンサルタント 乾 泰司

大阪経済大学経済学部教授 ニッセイ基礎研究所 客員研究員 高橋 亘

伊藤忠商事理事 石田 護

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7――今後の課題と展望および考えられる対応策

前稿(乾・高橋・石田(2020))については、ADCC/AMROコインの実現に当り、「バスケット通貨であるACUの構成をどうするか」というコメントが最も多く寄せられた。また、「市中金融機関にとっては、AML/CFT対応はコスト的にもワークロード的にも非常に負担が多く、ADCC/AMROコインが実際にどのような利点があるのかが重要である」との指摘もあった。これらを含め、ADCC/AMROコインについては、(1)バスケット通貨の採用、(2)汎用性の確保、(3)匿名性の確保、(4)不正使用への対応、(5)AML/CFT、(6)転々流通性の確保、(7)クロスボーダーでの情報の管理、(8)ネットワークインフラの要件定義といった技術的な事項の検討、(9)金融政策への影響、(10)法律面の整備、(11)感染症の伝染防止への寄与、等多くの事項が課題や展望として挙げられる。これらについては今後も検討を続けるべき課題であるが、以下現状でのわれわれの考えを簡単に紹介したい。
(1) バスケット通貨の採用
バスケット通貨の構成は、裏付資産であるACU債の通貨構成とも一体であり、極めて重要であるが、さまざまな提案があり、その優劣を即断できない困難な課題となっている。従って、通貨単位として便宜的に「基軸通貨である米ドル建とする」という案や「既存のSDR建を採用する」という提案もなされている。だが、地域の経済統合という視点では、通貨のミスマッチを回避する意味でもADCC/AMROコインの裏付け通貨には参加各国のアジアのソブリン通貨とすることが適当である。またACU債には、米ドル債に代わり為替リスクが低く資産の収益率も高い安全資産となりうるとのメリットもある。ただし通貨の構成比率については、参照ウエイトとして何を用いるかなどについて、過去の議論でも結論をみなかった27。ADCCの通貨価値(為替制度)をどのように考えるか、固定相場とするか、変動相場とするか、といったことも重要な課題の一つと言える。こうした現状では、とりあえずアジア開発銀行(ADB28)のACUの試算や独立行政法人経済産業研究所(RIETI)のAMUなどを参考にするのが現実的であろう。ADCC/AMROコインを実現する上では、国際的な検討にありがちなNATO(No Action Talk Only)に陥らず、まずは実際に運用をしながら柔軟に対応していくことが重要と思える。
 
27 東アジアでのバスケット通貨については、2000年代初頭、バスケットの対象とする通貨の選択や、ウエイトについても貿易(輸出)額、GDP、資本収支まで含めた国際収支など様々な議論がなされたが、結論に至らなかった経緯がある。
28 Asian Development Bank
(2) 汎用性の確保
地域住民、各国民等が遍くADCC/AMROコインを利用できること(汎用性)が重要な課題と考えられる。また、ADCC/AMROコインが実際に利用されるか否かは、この汎用性の確保にかかっているといっても過言でない。その為には、各国/エコノミーの政府が、国民番号や社会保障番号といったユニークな番号を明記・格納した国民カードやモバイルデバイスにADCC/AMROコイン用電子財布(モバイルワレット)用ICチップを格納し全国民に配布するといったことや、ADCC/AMROコインに強制通用力を付与することも考えられる29
 
29 強制通用力の付与については、「最後の貸し手機能」の問題と一体的に考えていく必要がある。
(3) 匿名性の確保
匿名性については、モバイルワレットや電子財布といったデジタル通貨を格納する物(ここではデジタル財布と呼ぶこととする)、例えばNFC技術を使った非接触型ICチップ(その中に埋め込まれる秘密鍵、ここではデジタルデバイスと呼ぶこととする)を発行する機関(例えば政府機関)とデジタル通貨を発行する機関(例えば中央銀行)を分けることにより確保することが可能となる。このようにデジタル通貨とデジタルデバイスを発行する機関を分離することにより、一方の機関だけでは、誰が何を購入したといったことを捕捉することはできず匿名性を確保できる。
(4) 不正使用への対応
発行元(各国/エコノミー中央銀行ないしは国際機関(たとえばAMRO))に還流してきたADCC/AMROコインからは、取引履歴情報から不正な複製が行われているか否かが確認できる。不正を発見した場合に、不正が、どの電子財布(秘密鍵、デジタルデバイス)で発生した可能性が高いかなどについては、発行元で判別できるが、当該デジタルデバイスを誰が保有しているかについては、当該デジタルデバイスを管理する政府機関などの協力を得て所有者を特定する必要がある。この際、「匿名性確保との関係から裁判所の許可を必要とする」などの手続きについても議論を行うことも必要となろう。また、当該政府機関がデジタルデバイスの保有者を特定できるようにするためには、当該デジタルデバイスを内蔵するモバイルワレットや電子財布を携帯会社ないしは金融機関などが発行に際しKYC30を確実に行い、当該政府機関に正しく報告、登録するという制度を確立する必要がある。

一方、当該デジタル通貨は、取引の履歴(狭義のブロックチェーン)を保有することから、取引を重ねる毎に移転すべきデータが増加し、性能低下といった問題が発生する可能性がある。このようなリスクを軽減するため、店舗においては、流通してきたデジタル通貨を必ず金融機関に戻し、必要に応じ新しいデジタル通貨を金融機関から受取るという仕様が望ましい。また、金融機関においても、還流してきたデジタル通貨は、直ちに必ず発行機関(中央銀行ないしは国際機関(例えばAMRO))に戻し新しいデジタル通貨と交換し履歴増を解消する仕組みとする。このような仕組みにより、万が一不正な複製が行われた場合でもその発見をより早期にできるようになる。
 
30 Know your customer
(5) AML/CFT
デジタルデバイス(スマートカード、モバイルワレット等)を提供する場合、AML/CFTの観点から、討議デバイスを特定する情報(IDや公開鍵)とその保有者を紐付けることが重要である(KYC)。

デジタルデバイスの保有者が資金洗浄やその他の犯罪に関係する組織と判明した場合には、ADCC/AMROコインを受け取る店舗や金融機関に対しブラックリストを配布し問題となる可能性のある取引を捕捉できるようにする必要がある。

国/エコノミーを跨るクロスボーダー取引については、不正が発覚した場合に国際機関(例えばAMRO)(ないしは実務をサポートする機関)が仲介する役を担うこととなる。また、クロスボーダーでのブラックリストの共有なども国際機関(例えばAMRO)等が行うこととする。
(6) 転々流通性の確保
転々流通性のためには、モバイルワレット、電子財布、更には電子金庫といった十分な物理的セキュリティ(タンパーレジスタンス)を有するNFCやHSM31といったデジタルデバイスによりデジタル通貨を保管できるようにする。また、そのようなハードウェアに物理的に接触することにより、当該ハードウェア間でデジタル通貨の移動(転送)を可能とする。このため、広域ネットワークを介したデジタル通貨の移動も可能であるが、このような技術を活用することにより、特にネットワークに依存することなくデジタルデバイス間での転々流通性を確保できる。
 
31 hardware secure module
(7) クロスボーダーでの情報の管理
デジタル通貨の発行を各国/エコノミーの中央銀行が担い、デジタルデバイスの発行は、各国政府機関が担うとした場合でも、国/エコノミー間のインターオペラビリティ確保や発行量の調整、更には、不正使用防止等、様々な国/エコノミーを跨る事象に関する情報伝達、調整・整理といった機能を国際機関が担う必要がある。また、各種の取引履歴の報告を受けると共に、そのデータの記録についても国際機関が担う必要がある。
(8) ADCC/AMROコイン流通用ネットワーク
ADCC/AMROコイン流通用ネットワークは、特に物理的な独自ネットワークを新たに構築するというものではなく、現状存在するATM-POSネットワークなどに、PKIといった技術を活用し、論理的に閉じたネットワークでも構築できる。地域ネットワークであることから、インターオペラビリティの確保が重要な課題となり、国際標準の採用は、不可欠な要件となる。ただ、現状の国際標準でも米国を中心とするカードペイメント用のネットワーク規格(ISO8583)と欧州を中心とするISO20022の併存など、必ずしも統一されているとは言えない状況であることから、ASEAN+3として、どのような方針で臨むかといったことを検討してゆくことが必要となる。
(9) 金融政策への影響
デジタル通貨を発行することによる金融政策への影響は、一概には言えず、国/エコノミーでの発行量の規模に依存すると考えられる。ADCC/AMROコインが、クロスボーダー支払や国/エコノミー内での電子的支払手段の一つとして利用される場合でも、ADCC/AMROコインの利用総額が、当該国/エコノミーの規模に比べそれほど大きくない場合には、これまでの日本などにおける電子マネーの利用と同様に、金融政策への影響は限定的と言える。ただ、中規模の経済規模の国/エコノミーにおいて、クロスボーダーの取引や国内取引の支払に、ADCC/AMROコインの利用が広がった場合には、必ずしも金融政策への影響がないと言い切れない可能性はある。もっともこの場合でも、併存する自国通貨の利上げ/利下げ、それに伴うACUに対する為替の上昇/下落などを通じて、金融政策の効果はある程度確保し得る。また自国通貨を維持することによって金融政策の独立性もある程度確保できる。さらに、ドル化などによって他国通貨が幅広く流通している国においては、ドルに代わって安定した通貨としてADCC/AMROコインを流通させることにより、受動的ではあるが、金融政策を安定化させることができる。
(10) 法律面での整備
東アジアでは各国/エコノミーにより、大陸法、英米法といった法体系の差がある。また、法律面での対応の必要性については、国/エコノミー毎に異なり、例えば日本では、デジタル通貨を日本銀行が発行するためには、日銀法の改正の検討が必要との解釈もある32。従って、実際にADCC/AMROコインを発行するためには、中央銀行をはじめ公的機関が相互に協力することが不可欠と言える。欧州では、大陸法と英米法の相違をハイブリッドにしてEU法(規制)とした。また通貨統合に当っては通貨高権というソブリン的な権利の侵害の問題を条約の締結で克服したことも参考になる。
 
32 日本銀行金融研究所(2020)
(11) 感染症の伝染防止への寄与
支払手段として銀行券やコインを使った場合には、手渡しとなる場合が一般的であり、通貨を介してウイルスや病原菌が物理的・直接的に媒介する危険性がある。これに対し、ADCC/AMROコインといったデジタル通貨を利用する場合には、(i) NFC(非接触型ICチップ)を内蔵するカードやモバイルデバイスをPOS端末に近づけること、(ii) モバイルデバイスや端末付属のスキャナーによるQRコードの読取り、(iii) モバイルデバイス間の電子的な授受、などにより、物理的な媒介物なしに通貨(データ)を伝達することで支払を完了することが可能となる。従って、ADCC/AMROコインの利用により、ウイルスや病原菌の直接的な伝搬を相当程度抑えることが可能となる。
 

8――おわりに

8――おわりに

現在世界の中央銀行の中で中央銀行デジタル通貨の検討が進んでいる33。いくつかの国では試用実験も始まっている。東アジアもその例外ではない。中国の中央銀行である人民銀行は、すでに実証実験を始めており、この分野で世界でも先頭をきっている。またカンボジアや韓国でも具体的な検討が進んでいる。日本でも日本銀行が、欧州の中央銀行と共同研究を進めてきたが、日本政府からの依頼により専門チームを作り本格的な検討を始めた。こうした個別の動きは、デジタル通貨の実現に向けて歓迎すべきだが,経済のグローバル化に加えてデジタル化が世界的な規模で進展する中で、一国の枠組みや視点を超えて、デジタルな地域共通通貨、世界共通通貨の実現へ向けての動きがあるべきだろう。特に東アジアは、現在はCovid19による一時的な停滞はあるが、この半世紀、貿易・産業面で統合が進んできた。一方金融統合は出遅れ、経済統合に応じた金融サービスの提供が十分でない状況が続いてきた。デジタル技術の発展のもとで、アジア共通通貨がデジタルなかたちで発行されれば、取引コストが大幅に低下する。また共通通貨が各種金融サービスに普及すれば、金融の利便性が増し金融統合の推進力となる。このようなことから、域内で流通する地域デジタル通貨について、議論することは、ASEAN+3地域の国/エコノミーにとって最重要の課題の一つと言える。従って、EMEAP34、AMRO、ADB、AIIB35といった域内地域フォーラム、国際機関において、このような課題について「検討する組織や議論する枠組み」を設置することが望まれる。
 
33 世界の中央銀行のデジタル通貨発行を巡る動きなどは、中島(2020)、井上(2020)、Auer et.al (2020)など参照。
34 Executives' Meeting of East Asia-Pacific Central Banks(東アジア・オセアニア中央銀行役員会議)
35 Asian Infrastructure Investment Bank
 

参考文献


参考文献

有馬良行、「世界初、ブロックチェーンを活用した世銀の債券発行スキーム」、『金融財政事情』(2018.12.3)、金融財政事情研究会、2018年
乾泰司、高橋亘、石田護「国際機関が発行する地域デジタル通貨(AMROコイン)についての一考察」、『国際金融』1327号、外国為替貿易研究会、2019年
乾泰司、高橋亘、石田護「アジアデジタル共通通貨についての一考察」、Discussion Paper Series DP2020-J09、神戸大学経済経営研究所、2020年
乾泰司、高橋亘、石田護「アジアデジタル共通化についての提案」、ニッセイ基礎研レポート、2020年6月12日、ニッセイ基礎研究所
乾泰司、高橋亘、石田護 「アジア共通デジタル通貨の発行方法・手順および検討課題等について」『国際金融』1336号、外国為替貿易研究会、2020年
乾泰司、高橋亘、石田護 「アジア共通デジタル通貨の発行方法・手順および検討課題等について」Discussion Paper Series DP2020-J15、神戸大学経済経営研究所
井上哲也、「デジタル円 -日銀が暗号通貨を発行する日―」、日本経済新聞出版、2020年
高橋亘、「甦る永楽銭— 貨幣の将来とアジアデジタル共通通貨」、『フィナンシャル・フォーラム』、京都総合経済研究所、2020年
中央銀行デジタル通貨に関する法律問題研究会「中央銀行デジタル通貨に関する法律問題研究会報告書」『金融研究』(39巻2号)、日本銀行金融研究所、2020年
中島真志、「仮想通貨vs中央銀行 -「デジタル通貨」の次なる覇者―」新潮社、2020年
 
Asian Development Bank, “ASEAN+3 Cross-Border Settlement Infrastructure Forum Progress Report on CSD-RTGS Linkages and Next Steps”, Asian Development Bank, 2020
Bank of Thailand, Project DLT Scripless Bond”, Bank of Thailand,2018
Carney. Mark, “The Growing Challenges for Monetary Policy in the current International Monetary and Financial System” Bank of England, 2019
Hyperledger, ”Hyperledger Fabric” www.hyperledger.org
Inui. Taiji, Wataru Takahashi, Mamoru Ishida, “ A Proposal for Asia Digital Common Currency”, Discussion Paper Series DP2020-19, Research Institute for Economics and Business Administration, Kobe University, 2020
Inui. Taiji, Wataru Takahashi, Mamoru Ishida, “On possible measures and processes to issue Digital Common Currency in ASEAN + 3 including challenges and opportunities”, Discussion Paper Series DP2020-27, Research Institute for Economics and Business Administration, Kobe University, 2020
Raphael Auer, Giulio Cornelli and Jon Frost, “Rise of the central bank digital currencies: drivers, approaches and technologies”, BIS Working Papers No 880, 2020
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