2020年09月15日

感染症対策はなぜ見落とされてきたのか-保健所を中心とした公衆衛生の歴史を振り返る

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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2|保健所長を医師に限定する必置規制の見直し論議
さらに1990年代中盤以降から本格化した地方分権改革でも、保健所は見直しの焦点となった33。第1に、人口30万人規模の自治体を指定する「中核市」制度が創設され、保健所の設置権限が都道府県から移された。

第2に、保健所のトップを医師に限定する必置規制の見直しが焦点となった。全国知事会などの地方側は他分野との連携など地域の実情に沿った対応が可能になると主張し、規制の廃止・見直しを要求した。これに対し、厚生労働省は「感染症対策などの緊急的な対応を要する際、科学的、医学的見地から速やかに的確な判断や意思決定、関連機関との連携を図る必要がある」と反論し、長く平行線が続いた。結局、今も必置規制は継続されているが、2004年の制度改正を通じて、一定の要件を満たした職員に関しては例外を認めることになったほか、一部の自治体では福祉事務所などと統合する組織再編を進めた。
 
33 ここでは詳しく述べないが、保健所に関する財政制度についても、地方の裁量を高める方向で見直しが進められた。具体的には、運営費に関する国庫補助金は1994年度までに地方財源化された。さらに、施設設備費補助金は2006年度、業務費補助金は2007年度までに地方財源化された。
3|公衆衛生と地方分権の相克
以上のように見ると、公衆衛生と地方分権の相克が起きていた様子を見て取れる。高齢化に対応した健康づくりでは地域・個人の実情に配慮しつつ、できるだけ住民に身近な現場の裁量性を高める必要があり、だからこそ「地方分権の試金石」と呼ばれた介護保険34に代表される通り、1980年代以降の保健・福祉を巡る制度改革では市町村の役割を大きくしてきた。

これに対し、感染症対策を含む公衆衛生は多くの場面で集団の健康増進を重視するため、患者の隔離や清潔な環境の保持を進める際、広域的な対応が必要となる。さらに、どこか1カ所でも隔離や衛生改善に漏れが生じれば、そこから感染症が広がりかねないため、一律の対応が必要となる分、住民の生活に身近な市町村に対して、できるだけ多くの権限と責任を移譲する地方分権改革の流れとは合わない面がある。

実際、歴史を辿ると、感染症対策を含む公衆衛生の議論では地方分権とのせめぎ合いが続いた。例えば、英国で1834年に成立した新救貧法については、「集中化、画一化、能率の確保」が意識され、中央に構成された委員会の指示の下、地方行政が指示に従うスタイルが選ばれた35。明治期の日本でも当初、コミュニティの自治を中心とした公衆衛生の充実が指向されたものの、最終的には警察行政による集権的な対応が選ばれた経緯がある。

中でも感染症に関しては、集団を守る社会防衛を優先する観点に立ち、短期間で意思決定する必要があり、集権的な対応が求められる。スペイン風邪の書籍でも「(注:大規模感染症のときは)民主主義も極めて危険な政治形態となりうる。本当に必要とされるのは(略)すべてを掌握する、強力な中央集権である」という記述が見られる36

言い換えると、感染症対策を含めた公衆衛生を強化する上では、これまでの流れとは異なる制度的な枠組みが求められる。筆者自身、全体の方向性として、市町村への権限移譲は重要と考えており、人口減少や高齢化の進展などの長期的なトレンドを踏まえると、今後も権限移譲を進めて行く必要があると考えているが、感染症対策の不備が明らかとなった今、国あるいは都道府県への集権的な対応を現行制度に加味させる必要がある。
 
34 介護保険の歴史については、2020年4月1日拙稿「20年を迎えた介護保険の足取りを振り返る」(全2回)参照。リンク先は第1回。
35 George Rosen(1958)“A History of Public Health”〔小栗史朗訳(1974)『公衆衛生の歴史』第一出版pp147-148〕。
36 Alfred W. Crosby(1989)“America's Forgotten Pandemic”[西村秀一訳(2009)『史上最悪のインフルンエンザ』みすず書房p294]。
 

6――最近の医療提供体制改革における感染症対策の位置付け

6――最近の医療提供体制改革における感染症対策の位置付け

感染症対策に対する備えが疎かになっていた点については、医療提供体制改革の文脈でも指摘できる。既述した通り、医療提供体制改革では現在、地域医療構想が重視されており、2025年時点の病床推計を一つの参考値にしつつ、都道府県を中心に病床削減や在宅医療の充実などを進めることが想定されている。

しかし、地域医療構想の病床推計には感染症対策が考慮されていない。実際、都道府県による地域医療構想の策定に際して、厚生労働省が示した2015年に示した「地域医療構想策定ガイドライン」では、「感染症」の文言は僅かに2回登場するだけである。
図2:地域医療構想における感染症対策の言及の有無 さらに、各都道府県の地域医療構想を見ても、今後の施策の方向性や現状分析に関して、感染症対策や新型インフルエンザに言及したのは図2の通り、9都府県に過ぎない。例えば、東京都は「果たすべき役割と東京都保健医療計画の取組状況」という項目で、「新興・再興感染症に対する診断・治療体制の確保」に触れているが、こうした事例は少数派である、しかも、いずれの事例も感染症対策に触れている個所は数行程度にとどまった。

つまり、近年の医療提供体制改革でも感染症対策は考慮されておらず、感染症対策を含む公衆衛生の視点は抜け落ちていたと言わざるを得ない。
 

7――新興・再興感染症への対応

7――新興・再興感染症への対応

1|新興・再興感染症に関する制度改正
一方、グローバル化の急拡大に伴って人の移動が活発となった結果、新興・再興感染症のリスクが議論されるようになった。具体的には、1990年代以降、エボラ出血熱や新型インフルエンザ、SARS(重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)などが発生した。幸いにして、日本は2009年の新型インフルエンザを除けば、大規模な感染拡大を避けられたが、従来の伝染病予防法、性病予防法などを廃止・統合した感染症法が1999年に施行された。その際、感染症が発生した際に疾患、病原体などの情報を把握するとともに、関係機関の間で情報共有を図るサーベイランス(監視)システムの強化が盛り込まれた。

さらに感染症法は2003年に改正され、緊急時における国の権限強化などが図られたほか、2008年の改正でも新型インフルエンザ等感染症を追加した。このほか、2005年に「新型インフルエンザ対策行動計画」が初めて作成され、外出自粛や休業要請に関する知事の権限規定などを盛り込んだ新型インフルエンザ対策等特別措置法が2012年に成立した。今回の新型コロナウイルスへの対応は同法に基づいて、「緊急事態宣言」に伴う休業要請が出されたことは周知の通りである。
2|新興・再興感染症対策に関する提案
しかし、以上のような対応では不十分として、関係者の間では感染症対策の強化を促す意見が出ていた。例えば、2009年の新型インフルエンザを受けて、有識者で構成する新型インフルエンザ対策総括会議が2010年に公表した報告書では、▽病原性に応じた柔軟な対応、▽迅速・合理的な意思決定システム、▽発生前からの情報収集、サーベイランスの強化――など様々な論点を提示していた。

中でも、体制整備に関しては、「保健所や地方衛生研究所を含めた感染症対策に関わる危機管理を専門に担う組織や人員体制の大幅な強化、人材の育成」「国立感染症研究所については、米国CDC(筆者注:アメリカ疾病予防管理センター、アメリカの感染症対策の司令塔を指す)を始め各国の感染症を担当する機関を参考にして、より良い組織や人員体制を構築すべきである」などと指摘していたが、実行に移された部分は少なかった。

こうした状況について、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議委員だった川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長がメディアのインタビューに対し、新型インフルエンザ対策の総括にも加わった経験を引き合いに出しつつ、「感染研は予算自体が削られ、保健所は拡充どころか統廃合で大きく数が減りました。そうしたことをしておきながら、今になって『(筆者注:PCR検査の充実などで封じ込めに成功したとされる)韓国の体制が良い』などと言うな、と言いたいですね」と皮肉を述べている37

このほか、有識者などが2015年に公表した報告書「保健医療2035」でも、感染症対策に関してグローバルに貢献するだけでなく平時には公衆衛生の司令塔としての機能を持つ「健康危機管理・疾病対策センター(仮称)」の設置に言及していたが、こちらも顧みられることはなかった。

むしろ、地域保健法の制定や感染症法の見直しを経て、感染症対策の中心が都道府県に移行したにもかかわらず、保健所のマンパワー不足が論じられていた。例えば、2003年の専門誌では感染症法の改正を踏まえて保健所に対するアンケート調査の結果を掲載している。調査結果によると、「保健所が感染症対策を進める上での制約」を尋ねたところ、81.8%が「スタッフ数及び技術力」を挙げており、異動などによる専門家や経験者の不足、兼務などによるスタッフの不足などの答えが寄せられたことを紹介している38
 
37 2020年6月22日『ダイヤモンド・オンライン』配信記事。
38 角野文彦(2003)「保健所における感染症対策の現状」『公衆衛生』第67巻第4号。有効回答は423保健所。
 

8――総括と今後の方向性

8――総括と今後の方向性

1|感染症に脆弱な医療制度になった理由
以上のような歴史的な経緯を見ると、感染症に脆弱な医療制度となった理由が見えて来る。具体的には、疾病構造の変化や公的医療保険財政の拡大など様々な要因が重なり、感染症対策を含めた公衆衛生のウエイトが小さくなった点である。中でも、結核を中心に戦後、多くの感染症を封じ込めたことで、感染症に対する危機意識が失われたと指摘できる。

さらに、急速に進んだ高齢化に対応するため、住民の健康づくりや保健・福祉の連携を図る観点に立ち、市町村への権限移譲が重視された結果、保健所の統廃合が進んだと言える。しかも、新興・再興感染症への脅威に対しても、十分に対応しなかったため、PCR検査の目詰まりなど今回のような混乱を招いたと言えるであろう。
2|5月の専門家会議報告書、自民党の動向
では、今後どのような対応が求められるだろうか。新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が5月29日に公表した報告書では、検査体制の充実、ベッドの確保、保健所の機能強化、治療法の確立やワクチンの開発促進、介護施設におけるクラスター対策、水際対策の見直しなどを網羅しており、いずれも重要なテーマである。

さらに、自民党の行政改革推進本部(本部長:塩崎恭久元厚生労働相)が7月に提出した提言39でも、感染症対策の司令塔を整備するとともに、事務局長として感染症担当の危機管理監ポストを新設する必要性を強調した。具体的には、行政を中心とした公衆衛生の枠組みと、地域医療を担う民間医療機関の上下関係または縦割りの体制や、国と都道府県の指揮命令系統を巡る混乱などに言及しつつ、体制強化の一環として司令塔と事務局機能の整備などを訴えた。

このほか、自民党の感染症対策ガバナンス小委員会(委員長:武見敬三参院議員)でも制度改正に向けた議論が進んでいると報じられており、▽感染症法改正を通じた厚生労働相による知事への指示権限強化、▽感染症対策に関する司令塔機能の確立と常設諮問機関の設置、▽都道府県の境を超えた病床の融通システム整備――などが論点として浮上しているという40

こうした動きだけでなく、米CDCのような司令塔の創設、PCR検査体制の充実など様々な施策が官民から提案されており、直近では8月28日に決定された政府の「新型コロナ感染症対策本部」が決定した資料に、▽検査体制の抜本的拡充、▽医療提供体制の確保、▽人材の調整など保健所体制の整備、▽感染症危機管理の司令塔強化――などが挙がっている。下記は医療提供体制改革に関する部分として、「保健所機能の強化」「ベッドの確保」という2つの点を述べる。
 
39 2020年7月2日、自民党行政改革推進本部「大規模感染症流行時の国家ガバナンス見直しワーキンググループ報告書」を参照。
40 2020年7月16日『日本経済新聞』を参照。
3|保健所の機能強化
まず、保健所の機能強化である。先に触れた専門家会議提言では、本庁からの応援、OB職員の再雇用、都道府県看護協会からの支援などの必要性に言及しているほか、集団感染の全体像や病気の特徴などを調べる「積極的疫学調査」の人材育成も必要な施策として挙げている。

中でも、保健所の機能低下の一因として、健康づくりなど身近な事務を市町村に移譲する一連の流れがあったとすると、公衆衛生を担う人材の育成などを通じて、機能の強化を地道に積み上げて行くことが必要になりそうだ。

その際には公衆衛生や感染症対策を担う司令塔的な組織を国に創設し、専門人材や知見を常にプールするとともに、有事には国内外に人材を派遣できるような体制整備も求められる。さらに単なる人材や財源の充実だけでなく、保健所の業務効率化に向けて、▽検査業務を大学や民間企業に開放、▽IT化の推進、▽日常業務の見直しや規制・業務の見直し――なども必要になると思われる。
4|病床の確保
次に、病床の確保である。病床確保に関する6月19日付通知では短期的な対応として、重症者を優先的に受け入れる「即応病床」の整備を都道府県に促している一方、軽症者・無症状者向けホテルの確保が遅れているとされており、当面の優先課題となっている。

一方、中長期的に見れば、先に触れた通り、人口減少などを意識した医療提供体制改革として、都道府県を中心とした地域医療構想との整合性が問われる。この点について、加藤勝信厚生労働相は「(筆者注:感染症対策を)勘案をしながらそれぞれ地域でつくり上げていただく」41と述べており、中長期的に地域医療構想を進める際、都道府県は「病床削減の要素を含む地域医療構想を進めつつ、感染症に備える」という難しい対応が求められている。

この点について、日本医師会からは「新興・再興感染症について、都道府県ごとに病床数、個人防護具、人工呼吸器などの配置目標を計画に盛り込んでおくべきでした」という議論が出ている42。さらに、「(筆者注:地域医療構想の議論では)新興感染症に対する医療提供体制の確保という視点が欠落していました。今後は都道府県別に、地域の実情を踏まえ、新興感染症への対応を医療計画に含めるべき」43として、医療計画に位置付ける「5疾病・5事業及び在宅医療」(がん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病、精神疾患、救急医療、災害医療、へき地医療、周産期医療、小児救急医療・小児医療)に感染症対策を加えるべきとの意見も示されており、これらの制度改正も議論の俎上に上りそうだ。

こうした状況で地域医療構想に関する地域レベルの議論が影響を受ける可能性がある。例えば、今までの議論では「急性期病床を削減するか否か」といった議論に傾きがちだったが、感染症に伴う医療需要の急増に備えて、「病床稼働率が低い公立・公的医療機関等、特に病棟単位で空いているケースは、そのまま空けておくのも一つの在り方」という意見が出ている44

このため、地域医療構想では余剰あるいは過剰と言われがちだった病床の一部をバッファー(緩衝材)として確保する議論も想定される。これを理解する上で参考になるのは、有事に備えて施設や人員に余分を持たせる「冗長性」(リダンダンシー、redundancy)という災害対策の考え方であり、冗長性の規模及び冗長性を維持するためのコストも勘案しつつ、病床と医療スタッフの確保が必要となる。

実際、知事サイドからは「ベースとなるのは災害対策。(略)どこの自治体でも本当はやれるのではないでしょうか」という指摘が出ている45。さらに、有識者からもモニタリング指標の設定を通じて、災害モードの適用または解除を検討できるシステムが必要という意見が示されている46
 
41 2020年4月30日第201回国会会議録参議院予算委員会における答弁。
42 2020年7月13日『日経メディカル』配信記事における日本医師会の中川俊男会長インタビュー。
43 2020年5月2日『m3.com』配信記事における日本医師会の中川副会長(当時)インタビュー。
44 同上。
45 2020年8月号『中央公論』における平井伸治鳥取県知事のインタビュー。
46 砂原庸介(2020)「自治体間連携の枠組み必須」8月10日『日本経済新聞』。
 

9――おわりに

9――おわりに

感染再拡大の状況を踏まえると、予断を許さない状況だが、現時点で日本の死者数は諸外国と比べても少なく抑制され、クラスター潰しも一時期まで奏功した。このため、感染症対策を最前線で担った保健所のネットワークが辛うじて生き残っていたことを幸運と見なす指摘がある47

だが、今回の新型コロナウイルスの対応を通じて、日本の医療制度が如何に感染症に対して脆弱か明らかにしたと言える。特に敗戦後、結核を概ね克服した結果、公衆衛生の「黄昏」が早くから論じられるなど、感染症に対する備えが疎かになっていたことは間違いない。さらに、疾病構造の変化や高齢化の進展などを踏まえ、市町村主体の健康づくりが重視されるようになり、感染症対策の最前線を担う保健所の機能が低下した影響も無視できない。

つまり、感染症や公衆衛生を長年に渡って軽視したことが感染症に脆弱な医療制度を作り出した遠因であり、脆弱性の解消は決して容易ではないと言える。

災害対策などと同様、有事対応の側面を持つ感染症への対処について、普段から何を準備し、有事にどう対処するのか。あるいは保健所の機能を含めて、公衆衛生をどう強化していくのか、今後の対応が問われる。
 
47 2020年5月25日『共同通信』配信記事による関西大学の高鳥毛敏雄教授インタビュー。
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

(2020年09月15日「基礎研レポート」)

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