2020年08月13日

二極化が進む現金流通高~一万円札は急増、五円玉は減少止まらず

経済研究部 上席エコノミスト 上野 剛志

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1――キャッシュレス化進展でも現金流通高は増加基調

我が国ではキャッシュレス化の遅れが指摘されるが、クレジットカードや電子マネーといったキャッシュレス支払額1が個人消費に占める割合は年を追うごとに上昇している(図表1)。

一方で、我が国の現金流通高2は一貫して明確な増加基調を示しており、直近2020年7月の流通高は119兆円と20年前の約2倍に達している(図表2)。現金は紙幣が国立印刷局、硬貨が造幣局で製造され、日銀から金融機関を通じて市中に供給・回収されるが、流通量を決定するのは市中の需要だ。そして、現金需要は経済活動や物価・金利動向、家計の嗜好や社会構造の変化などの影響を受ける。

本来、キャッシュレス化の進展は家計や企業による現金使用機会の減少を通じて現金流通高の減少に繋がるはずだが、既述のとおり現状はそうなっていない。一見すると不可解な動きだ。

現金は匿名性が高く、直接関連する統計も少ないため推測の部分が多くなるが、キャッシュレス進展下での現金流通高増加について、その要因を探る。
(図表1)キャッシュレス支払額及び比率/(図表2)現金流通高(紙幣発行高+硬貨流通高)
 
1 近年普及が進むバーコードやQR決済の支払金額は不明だが、日銀の「生活意識に関するアンケート調査」(2020年6月調査)によれば、利用率は全体(有効回答者数2423名)の17.8%に達している。
2 紙幣発行高と硬貨流通高の合計。日銀保有分を除き、金融機関保有分を含む。以下、種類別の発行高・流通高も同じ
1紙幣発行高のトレンド
通貨の種類別に発行高の長期トレンドを見てみると、まず紙幣(日本銀行券)3では一万円札、五千円札、千円札ともに増加基調にあるが、とりわけ最高額紙幣である一万円札の増加ペースが著しい(図表3)。直近7月の一万円札発行高は106兆円と、20年前の2.1倍に達している。額面の大きい一万円札は現金流通高総額の9割近くを占めるため、一万円札の増加が現金流通高増加の主因になっている。
 
一万円札を中心に、紙幣の発行高が増加を続けている背景には低金利環境が挙げられる。我が国の預金金利は長期にわたって低迷し、預金しても金利が殆ど得られない状況が続いているため、自宅等での現金貯蔵、いわゆる「タンス預金」化が進んだとみられる。現金を貯蔵する際には、嵩張らない一万円札が選好されやすい。とりわけ日銀が金融緩和を大幅に拡大した2013年以降は定期預金も含めて金利が殆どゼロにまで低下したため、一万円札を中心に紙幣発行高の増加ペースが加速しており、タンス預金化の加速がうかがわれる。

ちなみに、この「タンス預金」には、積極的な自宅での貯蔵のほか、預金口座への入金に対して消極的になることで自宅に現金が滞留する「意図せざるタンス預金」も含まれる。
(図表3)紙幣の発行高/(図表4)銀行預金金利(普通・定期)
(図表5)自宅で現金を保有する理由 また、財務省の調査によれば、「預金の場合には引き出す際に手間がかかるばかりか、手数料がかかる場合もあること」、「物理的な実体があるという安心感が得られること」、「”へそくり”をするのに便利であること」、「キャッシュレス決済と異なり、停電やシステム障害によって使用できなくなるリスクがないこと」なども現金での貯蔵の利点と認識されている(図表5)。

ただし、自宅での現金保管には、盗難や紛失、災害による滅失のリスクがある点には十分な留意が必要になる。
 
3 二千円札は発行高が極めて少なく、沖縄に偏在しているため除外した。
(図表6)硬貨の流通高 2硬貨流通高のトレンド
次に硬貨(貨幣)流通高の長期トレンドを確認すると(図表6)、五百円玉の増加が著しい。直近7月の五百円玉流通高は20年前の1.6倍強に達し、他の硬貨はもとより千円札の伸び(約1.4倍)も上回っている。

この主たる要因も高額紙幣同様、自宅などにおける貯蔵と推察される。いわゆる「五百円玉貯金」だ。五百円玉は日々コツコツ貯金し続けやすい金額であるうえ、長期に貯金を続けることでまとまった金額になることから、五百円玉貯金は人気が高く、五百円玉用の貯金箱は無数に存在している。
 
一方でその他の硬貨の流通高は伸び悩んでおり、五十円玉以下の各硬貨は20年前と比べて減少している。とりわけ一円玉と五円玉の流通高は長期にわたって減少を続けており、20年前に対してそれぞれ8%、15%も減少している。金額が小さすぎて貯蔵に適していないだけに、キャッシュレス化の影響をダイレクトに受けているとみられる。
 
このように、低金利等によって自宅などでの貯蔵が促される高額紙幣・五百円玉と、キャッシュレス化の影響をダイレクトに受ける少額硬貨との間で流通高のトレンドは大きく異なっており、二極化が進んでいる。
 

2――現金流通高の最近の動向

2――現金流通高の最近の動向

(図表7)紙幣発行高の伸び 1|紙幣発行高の動向
最後に各通貨流通高の最近の動向を確認すると、紙幣発行高の伸び率は、昨年前半に改元に伴う10連休を控えた預金の引き出しによって一時急伸したが、後半以降は消費税率引き上げによる消費の減少やキャッシュレスポイント還元導入の影響などを受けたとみられ、プラス幅を縮小してきた(図表7)。

その後、今年の4月には新型コロナ拡大に伴う緊急事態宣言の発令によって経済活動が急激に縮小したため伸び率が急低下した。特に五千円札と千円札は飲食店などのつり銭需要急減のあおりを受けたとみられ、伸び率がマイナス圏にまで急低下した。

5月以降は緊急事態宣言解除に伴って経済活動が回復に向かったことで、各紙幣ともに流通高が回復に向かっているが、特に一万円札は急伸し、直近7月時点では前年比6.3%と4年ぶりの高い伸びを記録している。日銀の内田理事が指摘しているように、人々が銀行やATMに足を運ぶ回数を減らすために手元に多めの現金を置いたと推測される4。新型コロナの拡大を受けて、自宅で現金を貯蔵する傾向が強まっている可能性がある。
 
4 「ポストコロナの「お金」の姿」(2020年7月30日、決済の未来フォーラム デジタル通貨分科会における挨拶)
(図表8)硬貨流通高の伸び(1) 2|硬貨流通高の動向
硬貨のうち、五百円玉から十円玉の流通高の伸び率は(図表8)、紙幣同様、昨年前半に10連休を控えた預金の引き出しによって一時上昇したが、今年の4月には新型コロナ拡大に伴う緊急事態宣言の発令によって大きく低下し、緊急事態宣言解除後は持ち直しに転じている。

一方、五円玉と一円玉の伸び率はこの間小動きが続いている(図表9)。存在感が小さいことから需要の短期的な変動が起きにくいためか、もともと少額硬貨の流通高は紙幣などに比べて変動が小さいことが影響している可能性がある(図表10)。ただし、伸び率は前年割れが続いており、一貫して流通高の減少が続いている。
(図表9)硬貨流通高の伸び(2)/(図表10)前年比伸び率の標準偏差
我が国では今後もキャッシュレス化が進行すると見込まれる。新型コロナ感染防止のための接触低減化の風潮もキャッシュレス化の追い風になる。一方で低金利環境についても少なくとも今後数年は続く可能性が高い。従って、低金利等によって自宅などでの貯蔵が促される「高額紙幣・五百円玉の増加」と、キャッシュレス化の影響をダイレクトに受ける「少額硬貨の減少」という二極化はますます進みそうだ。
 
 

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経済研究部   上席エコノミスト

上野 剛志 (うえの つよし)

研究・専門分野
金融・為替、日本経済

経歴
  • ・ 1998年 日本生命保険相互会社入社
    ・ 2007年 日本経済研究センター派遣
    ・ 2008年 米シンクタンクThe Conference Board派遣
    ・ 2009年 ニッセイ基礎研究所

    ・ 順天堂大学・国際教養学部非常勤講師を兼務(2015~16年度)

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