2020年07月16日

Brexitの軌跡-紆余曲折を経て実現したEU離脱とその後

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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EUは署名なき英首相の離脱延期要請にどう応えるか?-修正離脱協定から読めること-

[要旨]
 
19日の英国議会下院でのジョンソン首相の「修正離脱協定案」の採決は「合意なき離脱」の阻止を目的とする修正動議の可決で阻まれた。
 
背景には、「修正離脱協定案」そのものへの反対だけでなく、時間的な制約への不安、さらにジョンソン首相の手法に対する不信がある。
 
ジョンソン首相は19日夜、9月9日に成立した「期限延期法」に従い、トゥスクEU首脳会議常任議長に20年1月31日まで離脱期限延期を求める書簡を送付したものの、公約の10月31日の離脱実現の構えを崩していない。「延期法」で定められた書式には署名せず、「さらなる延期は利益と信頼関係を損なう」など自らの見解を示した署名入りの書簡と合わせて送付する「奇策」に出た。
 
10月31日の「合意なき離脱」が回避できるかは、英国議会での離脱関連法の法制化の行方とともに、EU27カ国が英首相の延期要請にどう応えるかが重要になってくる。

EUは、ジョンソン首相との「修正離脱協定」の協議で柔軟さを見せた。EUとしても、「合意なき離脱」は回避したいし、まして、その責任を負うことはしたくないからだ。
 
離脱期限に向けて、英国議会では「修正離脱協定」の承認から国民投票の動議の可決まで様々な展開が想定し得る。EUは、期限延期についても、期限内の離脱を望む姿勢を保ちつつ、離脱協定の法制化に必要な短期の延期から、総選挙、国民投票の場合の数ヶ月の延期など複数の選択肢を準備して、英国議会の動向を見守るものと思われる。
   

英国総選挙:保守党過半数確保の勢い

英国総選挙:保守党過半数確保の勢い-最終盤での形勢逆転の可能性を考える

要旨
 
英国総選挙まで残すところ1週間となった。
 
与党・保守党が、このまま勢いを保って過半数を制すれば、英国は20年1月末にジョンソン首相の合意に基づきEUを離脱し、現状を維持する「移行期間」に入る。しかし、歓迎ムードは長くは続かず、すぐに「20年末の崖」、すなわち、「将来関係協定なき移行期間終了」リスクが意識されるようになるだろう。
 
保守党のリードはジョンソン首相がとってきた強硬路線の成功を意味する。国民投票から3年半にわたり混迷が続いたことで、「離脱疲れ」が広がっていることにも支えられている。
 
最終盤での形成逆転をもたらし得る要因としては、第1に再分配重視の労働党への支持の広がり、第2に若い世代の既存の政治への不満の噴出ある。

「新たな普遍的な福祉国家」を目指すような労働党の政権公約を、保守党は厳しく批判し、ビジネス界や市場関係者の間でも評判は悪い。しかし、保守党政権下の大規模な歳出削減に不満を持つ有権者や繁栄から取り残されているとの疎外感を持つ有権者が評価する可能性はある。

労働党への支持は年齢層が低くなるほど高い。保守党政権が若い世代を軽視しているという不満が予想以上に強く、既存のメディアや世論調査、専門家らの予想外の結果が出る可能性も意識しておく必要はある。
 
英国社会には「離脱疲れ」が蔓延し、離脱が生活の改善につながるとの思いも根強いことから、ジョンソン首相が過半数を制する可能性は高そうだ。その場合、離脱後のEUとの新たな関係への移行を円滑に進めることと、離脱によってさらに拡大するおそれがある格差への対応に力を入れる必要がある。

最終盤の形成逆転で、労働党中心の政権が誕生した場合も、不確実性と分断は続く。国民投票を経て残留という結果になれば、離脱派は強い不満を抱くことになり、国内の分断は一層深まるだろう。  

EU離脱後の英国の進路

EU離脱後の英国の進路-打ち砕かれた残留派の願い。離脱派の期待も実現しないおそれ

[要旨]
 
英国のEU離脱が実感されるのは、離脱日ではなく、20年末に予定される移行期間終了時だ。
 
離脱後の英国とEUは「将来関係協定」を協議するが、「政治合意」がカバーする幅広い包括的な協定の発効手続きを、移行期間延長なしに終えることは「不可能」と見られている。
 
英国政府は、移行期間中に、国際協定の再締結、米国とのFTA交渉、アイルランド国境の開放のための枠組みやヒトの自由移動の終了後のEU市民の権利保全、新たな豪州型のポイント制の移民管理制度の導入の準備、「英国の潜在力を解き放つ」政策を進める必要がある。
 
ジョンソン首相が、「移行期間の延長はしない」方針を転換するとの期待は裏切られるだろう。延長による「権限の回復」の遅れは、支持者への裏切りとなる。移行期間中に発効手続きが可能な範囲で協定をまとめれば、事実上の合意なき離脱は回避できる。
 
EUは、英国が基準や規制、税の不当な引き下げ(ダンピング)に動くことを警戒し、「ゼロ・ダンピング」を「関税ゼロ、数量規制なし」の条件にしようとしている。しかし、将来にわたって引き下げないなどの「確約」を得ることは難しいだろう。
 
EUと英国政府との交渉上の力関係は、ジョンソン政権の誕生で変わった。ジョンソン首相が求める「カナダ型のFTA」は「いいとこどり」ではない。加盟国であった英国との間で、20年末までに物品のFTAも規制の同等性評価も終えられないはずはない。
 
21年以降、英国とEUの相互のアクセスには、現状よりも制限が加わり、多少の混乱もあり得る。不透明感も続くだろう。離脱の経済や雇用への影響もより明確になるだろう。
 
たとえ、EUが「ゼロ・ダンピング」の確約が得られなくても、現実には、英国がダンピングに動く可能性は低く、英国がより高い水準に動くことで乖離する可能性も十分ある
 
新体制のEUは、政策課題の推進にあたって英国が圏外に去った損失を感じる場面が増えるだろう。英国との交渉に、過度に硬直的な態度で臨むことは、EUにとって得策ではない。
   

英国は金融・財政政策協調を新型コロナ拡大防止策より先行

英国は金融・財政政策協調を新型コロナ拡大防止策より先行-背景にある長期戦への覚悟

[要旨]
 
3月11日、英中央銀行のイングランド銀行(BOE)が、新型コロナウィルス対策を盛り込んだ政府の2020年度予算案(2020年4月~2021年3月)の公表と合わせて、緊急利下げに動き、金融・財政政策の協調を演出した。
 
スナク財務相は、新型コロナウィルス対策関連予算を含む財政措置全体の規模は300億ポンド(同1.4%、4兆円)とし、現時点での財政刺激措置としてはどの国よりも大きいとの認識を示した。
 
英国の政策対応は、経済に打撃を与える活動制限よりも、経済対策を先行させた点にも特徴がある。英国における感染の拡大は、人口比で見て、これまでのところ比較的抑えられている。感染拡大策も、大規模イベント、スポーツイベントの自粛や在宅勤務の要請などは見送るなど、近隣諸国に比べるとマイルドだ。
 
英国が、金融・財政政策で先手を打ち、感染拡大措置の段階を、近隣諸国に比べて低く抑えているからと言って、英国政府は先行きを楽観している訳ではない。3カ月程度先と見られるピークに合わせて、より厳しい措置を講じられる熱意を持ち続けるためとされる。
 
英国の感染拡大のピークが3カ月先であれば、EUとの将来関係協定の協議のための「移行期間」の延長判断の期限(今年6月末)と重なる。予見不可能な圧力にさらされている企業や家計、金融システムに、EU離脱を巡る混乱が一層の負荷をかけることがないよう、妥協の余地を探ってほしい。  

欧州の新たな危機

欧州の新たな危機-ドイツの大規模財政出動だけではコロナ危機は克服できない

[要旨]
 
欧州は新型コロナウィルスの急激な感染拡大による新たな危機に直面している。コロナ・ショックは、経済の落ち込み幅だけでなく、生産や雇用の水準の回復に要する時間でも、リーマン・ショックを超えるおそれがある。
 
ユーロやEUの持続可能性が危ぶまれる事態を回避する鍵は危機対応での「連帯」と「協調」にある。
 
リーマン・ショックやユーロ圏の債務危機で大きな役割を果たしたECBの初動には問題があったが、臨時理事会での追加措置で修正された。ECBは、今回も、流動性の危機が生じないよう、資金供給に万全を尽くす重大な役割を担うが、行動制限による経済活動の委縮や公衆衛生上の危機に果たせる役割は限定される。
 
欧州各国の緊急経済対策の当初の動きは「連帯」や「協調」という面で問題が大きかったが、「協調」を演出するようになってはいる。EUは、コロナ危機対応の財政支出は、財政ルールの適用外とすることを決めたが、信用力の問題からは逃れられない。直面している経済や雇用の危機に十分な対応を講じられないリスクが気掛かりだ。
 
EUには、本来、国力の格差を調整する役割が期待されるが、これまでは受け身の立場に留まっている。EUのGDPの0.3%相当と小粒な「コロナ対策投資イニシアチブ」、ESMの活用に留まらず、コロナ危機対応の財源をEU加盟国が共同で調達する「ユーロ圏共通債」あるいは「コロナ債」発行といった展開になれば、EUの結束の象徴となり、復興のペースも速まる。しかし、「戦時下」と表現されるコロナ危機との戦いでも、今のところ、共通債発行を巡る南北間の見解の対立の構図は変わっていないようだ。
 
EUは、果たしてコロナ危機に「連帯」と「協調」で対応できるのか。岐路に立つEUは世界経済の縮図でもある。
 
 

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

(2020年07月16日「ニッセイ基礎研所報」)

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