2020年05月13日

新型コロナ対策で傷病手当金が国保に広げられた意味を考える-分立体制の矛盾を克服する契機に

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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5――非正規の勤め人が国保に加入している理由

1|国民皆保険の成立に至る経緯
日本の公的医療保険制度の歴史は1922年の健康保険法制定に遡る。最初に創設されたのは健康保険組合と政府管掌健康保険(現在の協会けんぽ)6であり、当初は「女工」と呼ばれた女性工場労働者が紡績工場など劣悪な環境で働かされていたため、その健康問題の解決を主な目的としていた。

その後、被用者保険の対象者がホワイトカラーなどに拡大されたほか、戦時期の国家総動員体制の下で、農林水産業従事者や自営業者をターゲットに据えた国保(1938年)、船舶従事者を対象とした船員保険(1940年)が相次いで創設され、戦中、敗戦直後の混乱期を挟み、公的医療保険の対象者は徐々に拡大して行った7。つまり、図1で言うと、右側のオレンジ色の部分から制度が形成され、左の青色の部分にまで対象を拡大させることで、国民皆保険を完成させたのである。

その際、勤め人を中心とした被用者保険の枠組みと別に国保を創設した理由の一つとして、稼得形態の違いがある。勤め人は事業主と雇用契約を交わした上で、一定額の月給を毎月得ているのに対し、自営業者や農林水産業従事者の収入は不安定である。さらに被用者保険と異なり、自営業者や農林水産業従事者には事業主や労働組合のような枠組みが存在しない。このため、被用者保険と同様に取り扱うのは難しいという判断の下、国保が創設され、現在の分立体制の基礎が出来上がった。

さらに、1961年の「国民皆保険」の樹立に際して、中小事業所で働く勤め人の取り扱いが焦点となった。これが良く分かる国会答弁8が残されているので、下記に紹介する(下線は筆者)。
 
今、社会保障制度の網の目に漏れている人が非常に多い。例えば健康保険におきますと、5人未満の従業員をもつて事業に従事している者がすっかり省かれていることから考えても、日本のように非常に小さい企業の多い国においては不平均な状態がたくさんあると思う。もう一つ数字を調べると、疾病保険(注:健康保険)についても国民の35%に当たる3,089万人が適用されていない。こういうことを是正いたしまして、日本全体に不公平のないようにしたいと痛切に考え、それには大幅な予算を得ましたら、その漏れているところを埋めて行きたいと思う。
 
つまり、従業員5人未満の中小企業に勤める従業員と家族が公的医療保険の「網」から外れている点を問題視していることが分かる。ここに出ている「網」から漏れた「35%の3,089万人」には国保を創設していない市町村に住む農林水産業従事者や自営業者も含まれており、1961年の国民皆保険を創設する際、こうした「網」から漏れた人に対し、どうやって公的医療保険の「網」を被せ、どこの公的医療保険に適用させるかという点が課題となった。

このうち、自営業者や農林水産業従事者に関しては、市町村に対して国保の設置を義務付けることで、解決が図られた。一方、5人未満の零細事業所の勤め人に関しては、(1)被用者保険に加入させる、(2)健康保険組合や政府管掌健康保険とは別に「第2健保」を作る、(3)国保に加入させる――というアイデアが議論され、最終的に厚生省(現厚生労働省)は(3)の選択肢を採用することで、1961年に国民皆保険をスタートさせた。

その時の判断に関して、当時の厚生省幹部は「企業の実態なりあるいはそこに働いております人々の賃金の形態とか雇用形態とか、(略)異動性等を調べて参りますれば、なかなか今の被用者保険そのまま全部一緒に包括していくというには無理のある実態が相当ある」と述べている9。つまり、被用者保険に加入している勤め人と比べると、中小事業所における賃金や雇用の形態が多様である上、転職や転居などが頻繁で人の流動性も高く、被用者保険と一括りに取り扱えにくい点を指摘している。

さらに厚生省幹部OBによる回顧では「被用者サイドから『事務能力という点でもあるし、所得の把握という点でも五人未満では手が及ばない』という話があり、結局、国民健康保険でカバーすることを決断した経緯がある」10、「(筆者注:もし被用者保険で対応していると)中小企業が反対して潰れたかもしれません。そこまで考えていなかったけど、結果的には市町村で頑張ったから通った」11といった証言が残されている。要するに、中小事業所に被用者保険を拡大すると、所得捕捉などの点で国の事務能力が追い付かず、事業主負担を嫌う中小企業が反対した可能性もあるとして、国保に取り込んだと説明している。

これらの説明や証言を総合すると、当時の厚生省としては、所得捕捉を含めた事務処理の容易さや実現可能性という観点に立ち、5人未満の中小事業所で働く勤め人を国保に加入させる選択肢を選んだと思われる。こうした判断は当時、国民皆保険を早期に樹立する上で止むを得なかったと言えるが、勤め人が国保と被用者保険に分かれる矛盾を作り出す遠因となった。
 
6 健康保険法の制定以前にも主に公務員を対象とした共済組合が一部で発足していたが、ここでは詳しく論じない。
7 戦前の国保は組合形式だったのに対し、敗戦後に再建された国保は市町村による直営に変わった。なお、国保の歴史に関しては、2018年1月5日の拙稿「発足80年を迎えた国保の大改革」を参照。
8 第21回国会会議録1954年12月17日衆議院厚生委員会における鶴見祐輔厚相の発言。
9 第28回国会会議録1958年2月27日衆議院社会労働委員会における高田正巳保険局長による発言。
10 幸田正孝ほか編著(2011)『日独社会保険政策の回顧と展望』法研p17における幸田正孝元厚生労働事務次官の発言。
11 国民健康保険中央会編(1998)『国民健康保険中央会50年の歩み』国民健康保険中央会p31における伊部英男元社会保険庁長官の発言。
図4:国保世帯主の職業別シェアの年次推移 2|産業構造の転換に伴う国保加入者の変化
さらに、国保が産業構造の転換、人口の高齢化による影響を受けることになった。図4は国保に加入する世帯主の職業の年次推移であり、調査が悉皆となった1963年度から最新の2018年度までのシェアを表している。これを見ると、最初のターゲットだった自営業者、農林水産業従事者が大きく減る一方、退職者を専ら意味する無職と、非正規の勤め人を表す被用者のシェアが伸びている様子を見て取れる。具体的には、40%を超えていた農林水産業従事者が大きく減少し、自営業者も低下傾向であるのに対し、1980年代以降は無職と被用者が過半数を占めるようになっている。つまり、当初に想定していたターゲットと異なる階層で国保が構成されるようになったのである。

なお、2008~2009年度で無職が大きく減る一方、被用者のシェアが伸びているのは、2008年度に後期高齢者医療制度が発足して75歳以上の高齢者が移行した影響である。
3|非正規雇用者の増加
さらに、バブル経済崩壊後の長期不況と労働市場の規制緩和を受けて、非正規雇用者が増えた影響も見逃せない。少し古い調査だが、厚生労働省が2010年に実施した「就業形態の多様化に関する総合実態調査」を見ると、正社員以外の労働者を活用する理由のトップに「賃金の節約」(43.8%)、「賃金以外の労務コストを節約」(27.4%)が3位に入っていた。このようにコスト縮減に迫られた企業は非正規雇用者を多く雇用するようになった12

確かに非正規雇用者と一口に言っても、就職氷河期に就職した非正規労働者、既婚女性のパート労働者、フリーランス、契約社員、嘱託社員、退職後も働いている高齢者など様々な類型が含まれるため、一括りに整理できない面があるが、非正規雇用の勤め人が国保に多く加入するようになり、結果的に傷病手当金を巡る給付格差が生まれていたわけである。
 
12 なお、今回は詳しく触れないが、会社が保険料の事業主負担の増加に対応するため、退職する正規従業員の代わりに、非正規雇用者を充てていることで、非正規雇用者が増えている可能性がある。実際、労働経済学の研究では保険料の事業主負担が雇用に悪影響を与えるとの研究が増えている。例えば、金明中(2015)「非正規雇用増加の要因としての社会保険料事業主負担の可能性」『日本労働研究雑誌』No.659。しかし、会社は正規社員の賃金抑制など様々な選択肢を持っており、全ての会社が事業主負担の転嫁方法として、非正規雇用者を増やしているとは限らない点に留意する必要がある。
 

6――今回の制度改正の意義付けと今後の方向性

6――今回の制度改正の意義付けと今後の方向性

1|今回の制度改正の意義付け
以上の議論を踏まえると、今回の制度改正の意義が新型コロナウイルス対策に限らない点を理解できるだろう。つまり、分立した公的医療保険制度の下、雇用形態の多様化などに伴って非正規の人が多く国保に加入するようになり、被用者保険に加入する正規の勤め人と、国保でカバーされる非正規雇用者の間で、傷病手当金について給付格差が生まれていた。

こうした中で、新型コロナウイルスへの対応策に限られているとはいえ、傷病手当金を巡る給付格差が解消された点で、今回の制度改正は画期的と言える。多くの人が自宅待機を迫られる中、スーパーや運送業などの現場で働く非正規雇用の人が社会機能の維持に貢献している点を踏まえれば、当然の対応である。

むしろ、給付格差が生み出されていた分立体制の矛盾が拡大している点を考えれば、遅きに失した対応という見方も可能である。例えば、近年で言うと、配食サービスの「Uber」など単発や短期の仕事を基盤とした働き方を指す「ギグ・エコノミー」(Gig Economy)が拡大している関係で、社会保険の適用が焦点となっていた。具体的には、実態は勤め人として働いているのに、独立した自営業者として取り扱われる結果、被用者保険ではなく、国保に加入することになるなど、傷病手当金を含めて社会保障制度のセーフティーネットに守られない点が議論になっていた13

さらに傷病手当金を巡る給付格差だけでなく、国保の保険料は被用者保険に比べて総じて高止まりしており、保険料の負担を巡る格差も大きい。所得が比較的安定している被用者保険と比べると、国保には医療費を多く使う高齢者、保険料の支払い能力が低い非正規雇用の人が多く加入しており、国保の財政基盤は不安定なためだ。

こうした矛盾に対し、政府として幾つかの手立てを講じてきた。例えば、被用者保険の対象を少しずつ拡大している14ほか、「働き方改革」の文脈では同一企業における不合理な待遇差の解消に取り組んでいるが、現在の分立体制が働き方の多様化に対応できているとは言い難い。

さらに、厚生労働省が設置した「雇用類似の働き方に関する検討会」もギグ・エコノミーを意識しつつ、「雇用」と「自営」の中間的な働き方として、独立自営業者の就業状況、契約方法、受注ルート、トラブル時の対応などに関してアンケートなどを実施した。しかし、2018年3月の検討会報告、さらに同年9月の労働政策審議会(厚生労働相の諮問機関)労働政策基本部会の報告書は論点整理にとどまった。

その意味では、今回の傷病手当金を巡る制度改正は単に新型コロナウイルス対策としての側面のみならず、分立体制の矛盾克服に向けた一里塚として捉える必要がある。
 
13 例えば、『週刊東洋経済』2020年1月25日では、配送中に事故に遭った非正規雇用者が十分な社会保障を得られなかった実態を紹介している。
14 今年の通常国会では短時間労働者を適用対象とすべき事業所の規模要件について、段階的に50人超まで引き下げるための法改正が想定されている。
2|今後の制度改正の方向性
では、今後どういった制度改正が考えられるだろうか。分立体制の下で給付格差の矛盾が広がっていた実情を踏まえると、新型コロナウイルスに限定した特例にするのではなく、一般的な制度として恒久化する方向性を模索するべきであろう。

その際の財源としては、国・自治体の税財源に加えて、事業主や本人の保険料負担が考えられるが、被用者保険の対象を少しずつ拡大してきた最近の制度改正の延長線に立つと、国保に加入している非正規雇用の人を可能な限り被用者保険に取り込む選択肢が考えられる。この選択肢では、事業主や本人の保険料負担が増えることになるため、零細事業者や低所得者に関しては保険料を税金で軽減するなどの対応策も検討する必要がありそうだ。

一方、分立体制の矛盾を含めて、制度改正の細部まで全て論じるのは、傷病手当金を中心的に論じる本レポートの枠を超えているが、雇用と社会保障を結び付ける英国や北欧の動向を踏まえる15と、就労支援や職業訓練の強化など雇用政策とリンクさせる視点が欠かせないと思われる。

さらに、フランスやオランダでは、無職の人や非正規雇用者への対応が不十分となる社会保険方式のウエイトを減らしたり、税制と一体的に社会保障制度を見直したりしており、こうした議論も参考になるだろう16。日本でも2018年度税制改正では多様な働き方を想定する必要があるとして、給与所得控除を10万円引き下げる一方、どのような所得にも適用される基礎控除を引き上げる振替が実施されており、税制改正と一体的に考える必要がある17
 
15 一般的に「ワークフェア政策」「アクティベーション政策」と呼ばれる。田中拓道(2017)『福祉政治史』勁草書房などを参照。
16 例えば、フランスは社会保険料の本人負担を一般社会税(CSG)という租税財源に切り替えるとともに、社会保険方式の網から漏れる失業者や非正規雇用者への給付などに充てており、オランダは社会保険と税金の一体的な改革を進めた。松村祥子・田中耕太郎・大内正博編著(2019)『新・世界の社会福祉 第2巻』旬報社などを参照。
17 この税制改正が国保財政に与える影響に関しては、関西学院大学経済学部の上村敏之教授と連名で執筆した2018年2月27日の「税制改正がもたらす国保財政の悪化」を参照。
 

7――おわりに

7――おわりに

以上、新型コロナウイルス対策に盛り込まれた傷病手当金を巡る特例について、その内容や意義を論じて来た。新型コロナウイルスで経済や人の移動が停滞する中、小売業や運送業で社会機能の維持に貢献している国保加入の非正規雇用者に対し、被用者保険並みの傷病手当金を支給するのは当然の対応と言える。むしろ、産業構造の変化や雇用形態の多様化を受けて、分立体制の矛盾が広がっていたことを考えると、遅過ぎる対応だったと言える。

こうした視点に立つと、今回の制度改正は臨時的とはいえ、「正規雇用者=被用者保険」「非正規雇用者=国保」という分立体制の給付格差に「風穴」を開けた意味合いがある。財源確保など詰めなければならない点は多いが、分立体制の矛盾克服に向けた契機となることを期待したい。
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

(2020年05月13日「基礎研レポート」)

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