2020年03月30日

韓国の老人長期療養保険制度の現状と課題-2020年3月現在-

生活研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 金 明中

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1――はじめに1

韓国社会は、以前から年を取った親の面倒は子ども(主に長男)が見るという儒教的な意識が強く、多くの高齢者が老後の生活を自分の子供に依存していた。特に、体が不自由な親の面倒は嫁や娘など女性が担当するケースが多かった。しかしながら、核家族化の進行や女性の社会進出の増加に伴い、家族だけで高齢者の面倒を見ることが難しくなり、介護の社会化が必要となった。さらに、急速な少子高齢化に伴う高齢者の医療費増加は、公的医療保険の財政状況を悪化させ、高齢者の介護に限定した新しい制度の導入の必要性が高まった。そこで、韓国政府は2001年8月に介護保険制度の導入を表明し、2008年7月から「老人長期療養保険制度」という名前で介護保険制度を施行している。 
 
1 本稿は、金 明中(2016)「韓国における老人長期療養保険制度の現状や今後の課題―日本へのインプリケーションは?―」基礎研レポート 2016年6月15日を加筆・修正したものである。
 

2――老人長期療養保険制度の導入背景

2――老人長期療養保険制度の導入背景

韓国政府が老人長期療養保険制度を導入した理由の一つとして挙げられるのは急速な人口高齢化である。韓国政府が本格的に介護保険制度の導入を議論し始めた2000年の韓国の高齢化率は7.2%で、日本が介護保険制度の導入を議論し始めた1994年の14.1%(2000年:17.3%)に比べるとはるかに低い水準であった。つまり、当時の人口構造的な面から見ると韓国における介護保険制度の導入に対する議論はあまりにも時期尚早(日本と比較すると)だったかも知れない。しかしながら公的医療保険の財政赤字が続き、政府の国庫負担が増加していることや将来的に早いスピードで高齢化が進むことにより公的医療保険の財政状況がますます深刻になることを懸念した韓国政府は、隣国日本で2000年4月から施行された介護保険制度に関心を持つようになった。

2000年以降韓国の高齢化率は段々上昇し、2019年には15.5%まで上昇している。韓国の高齢化率は日本の28.1%(2018年10月1日基準)に比べるとまだ低い水準であるものの、少子高齢化のスピードが日本より早く、2060年には42.2%と日本を上回ることが予想されている(図表1)2
図表1 日韓における高齢化率の推移と将来推計
図表2は、高齢者一人を支える現役世代の数(15~64歳人口/65歳以上人口)の推移と将来推計を日韓でみたものであり、この数値が小さくなることは現役世代の負担が増加することを意味する。例えば、日本の場合1960年には現役世代11.2人が高齢者一人を支えていたが、2014年にはその数が2.4人に減り、さらに2060年には1.3人まで減ると予想されている。韓国の場合は日本より現役世代の減少幅が大きく、高齢者一人を支える現役世代の数は1960年の20.5人から、2014年には5.8人まで急速に低下しており、さらに2060年には1.2人になり、日本を下回ることが見通されている。

また、核家族化の進行や女性の社会進出の増加も韓国政府が老人長期療養保険制度の導入を急いだ一つの理由であるだろう。韓国における平均世帯人員は1980年の4.62人から2017年には2.50人まで減少しており、日本(2.47人、2017年)と同様に核家族化が進んでいる。さらに、女性の社会進出がますます進んでおり(特に若い女性を中心に)3、介護の社会化が求められることになった。
図表2 高齢者一人を支える現役世代の数の推移と将来推計
老人長期療養保険制度を導入したもう一つの理由は、上でもすでに触れたように公的医療保険の財政赤字が続いたことである。韓国における公的医療保険の財政は1997年から赤字に転落し、赤字金額も毎年増加している。図表3は韓国における公的医療保険の財政の推移を示しており、保険料収入だけでは支出を賄うことができず、国庫負担や国民増進基金が継続的に増加していることが分かる。支出の大部分は診療に対する保険給付費(2014年基準96.8%)が占めており、韓国政府は将来的に急激な少子高齢化が進むことにより公的医療保険の財政状況がさらに悪化し、国庫負担の金額が大きく増加することを懸念して、いち早く介護保険制度の導入を検討したと考えられる。実際に、65歳以上高齢者の一人当たり年間平均診療費は、2007年の207.9万ウォンから2018年には456.8万ウォンまで増加しており、全年齢階層の平均152.8万ウォン(2018年)の約3倍に達している。また、高齢化の進展や高齢者医療費の増加により、全診療費に占める高齢者診療費の割合も2005年の28.2%から2018年には40.8%まで急増した(図表4)。

このような高齢者の増加や現役世代の減少、核家族化の進行による平均世帯人員の減少、女性の社会進出の拡大、高齢者医療費の増加による公的医療保険の財政の悪化などが韓国政府が老人長期療養保険制度を導入した主な理由であると言えるだろう。
図表3 韓国における公的医療保険の収入や支出の推移
図表4 韓国における高齢者の一人当たり年間平均診療費等の推移
 
2 現在、韓国の高齢化率が日本より低い理由としては、ベビーブーム世代が生まれた時期が日本より遅く、ベビーブーム世代の期間が日本より長かったこと(日本は1947~1949年、韓国は1955~1963年)や、2000年までは日本より高い出生率を維持していたこと、韓国の出生時の期待寿命(Life expectancy at birth)が日本より低い(日本(2017年)→男性81.1歳、女性87.3歳、韓国(2017年)→男性79.7歳、女性85.7歳)こと等が考えられる。
3 2000年に48.8%であった女性の労働力率は2019年には53.5%に微増したものの、韓国政府が積極的雇用改善措置を実施する等女性活躍のための政策に力を入れているので、今後韓国社会における女性の社会進出はさらに進むことが予想されている。
 

3――老人長期療養保険制度の概要

3――老人長期療養保険制度の概要

(1)老人長期療養保険制度の施行までの流れ
日本が1994年に厚生省(現厚生労働省)内に高齢者介護対策本部を設置し、介護保険制度の導入に向けて本格的に動いたように、韓国も1999年12月に「老人長期療養保護政策研究団」を設置してから老人長期療養保険制度の導入に対する準備を始めた。同団体は、2000年に「老人長期療養保護政策企画団」に名称を変更した以降、同年12月に「老人長期療養保護総合対策方案」を発表し、老人長期療養サービスの概念やサービスの供給モデル、そして老人長期療養保護を実施するための人材や施設の基盤を構築するための基本的な案を提案した。

その後2001年8月に金大中元大統領4が祝辞で老人長期療養保険制度の導入に対する意思を公式的に表明したことや、2002年の大統領選挙で盧武鉉元大統領5が老人長期療養保険制度の導入を公約事項として提示したことにより、老人長期療養保険制度の導入がほぼ確実になった(図表5)。
図表5 老人長期療養保険制度の推進過程
老人長期療養保険制度の施行のための準備体系を構築する過程で、2003年には「公的老人療養保障推進企画団」が、2004年には「公的老人療養保障制度実行委員会」が次々と設立され、制度の名称や運営方式、被保険者や給付対象、サービスの種類、財源や管理運営機構などの具体的な内容が議論された。2007年4月2日には国会本会議で「老人長期療養保険法」が成立されることにより、「老人長期療養保険制度」を施行するための基盤が整えられた(図表5)。

韓国政府は制度の施行前に制度の基盤整備を目的に3回に分けてモデル事業を行った。第1次モデル事業は2005年7月から2006年3月まで6つの市郡区6を対象に、第2次モデル事業は2006年4月から2007年4月まで8つの市郡区を対象に、そして第3次モデル事業は2007年5月から2008年6月まで13つの市郡区を対象に実施され、その直後である2008年7月から老人長期療養保険制度が実施されることになった。
 
4 韓国の第15代大統領。任期は1998年~ 2003年。
5 韓国の第16代大統領。任期は2003年~ 2008年。
6 日本の市町村に当たる。
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生活研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

金 明中 (きむ みょんじゅん)

研究・専門分野
高齢者雇用、不安定労働、働き方改革、貧困・格差、日韓社会政策比較、日韓経済比較、人的資源管理、基礎統計

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
    独立行政法人労働政策研究・研修機構アシスタント・フェロー、日本経済研究センター研究員を経て、2008年9月ニッセイ基礎研究所へ、2023年7月から現職

    ・2011年~ 日本女子大学非常勤講師
    ・2015年~ 日本女子大学現代女性キャリア研究所特任研究員
    ・2021年~ 横浜市立大学非常勤講師
    ・2021年~ 専修大学非常勤講師
    ・2021年~ 日本大学非常勤講師
    ・2022年~ 亜細亜大学都市創造学部特任准教授
    ・2022年~ 慶應義塾大学非常勤講師
    ・2024年~ 関東学院大学非常勤講師

    ・2019年  労働政策研究会議準備委員会準備委員
           東アジア経済経営学会理事
    ・2021年  第36回韓日経済経営国際学術大会準備委員会準備委員

    【加入団体等】
    ・日本経済学会
    ・日本労務学会
    ・社会政策学会
    ・日本労使関係研究協会
    ・東アジア経済経営学会
    ・現代韓国朝鮮学会
    ・韓国人事管理学会
    ・博士(慶應義塾大学、商学)

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