2020年01月24日

離脱後の英国とEUの協議-EUは移行期間延長もゼロ・ダンピングの確約も得られない-

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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移行期間終了後の英国による税や規制の「ダンピング」を警戒するEU 

EUは、第3国となった英国が、競争力の強化のため、基準や規制、税の不当な引き下げ(ダンピング)に動くことを警戒している。フォンデアライエン委員長は、LSEでの講演で、英国との新たなパートナーシップについて「関税ゼロ、数量規制ゼロ、ダンピング・ゼロ」と表現している。英国が求める「関税ゼロ、数量規制なし」のFTAを認めるにあたっては、競争条件の公平性を損なう規制緩和や減税に動かないことが条件というのがEUの基本スタンスだ。

将来関係に関する「政治合意」の「経済パートナーシップ」の「競争条件の公平化」の項目は、昨年10月の「離脱協定」の修正時に修正が加えられている。

修正前も後も「開かれた公正な競争を確保する」方針と、「約束の正確な質」と「将来関係の範囲と深さ」がリンクするという主旨や、「適切かつ関連性のあるEU及び国際基準に依拠すべき」、「国内における効果的な実施」と「紛争解決のメカニズムを含める」などの骨格も変わらない。

他方で、修正後は、「地理的近接性」、「経済的相互依存性」を強調し、「経済的なつながり」に見合った質を目指す方針が示されている。

また、修正後の合意では「移行期間の終了時」に、「国家補助、競争政策、社会・雇用、環境、気候変動、関連税制」について「共通の高いレベルの基準を維持すべき」とした上で、個別の領域により踏み込んだ記述が加えられている。「社会・雇用、環境」は「現在の共通の高いレベルの基準を維持すべき」とあり、「国家補助、競争政策」は「貿易と競争の不当な歪曲を防止するため、強固かつ包括的な枠組みを維持すべき」、「税」に関しては「良好なガバナンスと有害な租税慣行の抑制すべき」という内容である。

1月10日から、欧州委員会は27の加盟国の外交官向けに英国との「将来関係協定」の交渉の論点の説明会を開催しており、EU側の「政治合意」の解釈を確認できる5。「競争条件の公平化と持続可能性」に関する文書では、社会・雇用、環境については基準の引き下げを認めない(non-lowering)ことも念頭に置いているようだ。
 
5 本稿執筆時点で「個人データ保護(十分性認定)/金融サービスの協力と同等性評価」、「自由貿易協定(FTA)」、「競争条件の公平化と持続可能性」など12の文書が公開されている(https://ec.europa.eu/commission/publications_en
 

「いいとこどり」望まず、議会の過半数を確保するジョンソン首相の交渉上の立場は強い

「いいとこどり」望まず、議会の過半数を確保するジョンソン首相の交渉上の立場は強い

しかし、EUが、英国から、将来にわたって基準を引き下げないといった「確約」をしなければ、FTAをまとめないというスタンスを取り続けることは難しいだろう。

EUと英国政府との交渉上の力関係は、ジョンソン政権の誕生、特に総選挙で過半数を得た後で変わった。

メイ前首相の立場が弱かったのは、EUへの要望事項に「いいとこどり」の側面があったからだ。メイ前首相がまとめた「政治合意」では、ヒトの移動と金融を含むサービス業では単一市場を離脱する一方、物品では「出来る限り緊密な関係」、「単一関税領域」、医薬品や化学品などでの「規制の一致(アライメント)」を図るなど、出来る限りのアクセスを求めようとしていた。EUは単一市場への部分的な参加といった「いいとこどり」は認めないという強い方針で臨むことができた。

しかし、ジョンソン首相率いる英国は、もはや「いいとこどり」は求めていない。修正後の「政治合意」は物品のFTAとサービス分野などでの相互の独立性や国際ルールを重んじる規制・監督協力である。ジョンソン首相は、1月8日のフォンデアライエン委員長との会談で「カナダ型のFTA」の交渉準備があると述べている6。移行期間終了後の関係が「カナダ型のFTA」に基づくものであれば、EUと英国の関係は大きく変わるが、「いいとこどり」ではない。

EU加盟国であり、関税同盟、単一市場を形成してきた英国との間で、20年末までに物品のFTAの発効準備も、第3国に認めてきた規制の同等性評価も終えられないはずはない。
 
6 PM meeting with EU Commission President Ursula von der Leyen: 8 January 2020 (https://www.gov.uk/government/news/pm-meeting-with-eu-commission-president-ursula-von-der-leyen-8-january-2020
 

21年に英国とEUは物品のFTAを基礎とする限定的な協定に基づく関係に移行へ

21年に英国とEUは物品のFTAを基礎とする限定的な協定に基づく関係に移行へ

20年末までに締結可能なFTAは、包括的なものではなく、「物品のFTAを基礎とし規制や監督機関の協力に基づく協定」のようなものだろう。「政治合意」がカバーする領域の多くが積み残され、継続協議となる可能性も高い。同等性評価は規制の乖離が生じれば「撤回」となるだろう。

21年以降、英国とEUの相互のアクセスには、現状よりも制限が加わったものになる。新たな制度の導入による多少の混乱はあり得る。多くの課題を積み残すことによる不透明感も続くだろう。離脱の経済や雇用への影響もより明確になるだろう。
 

現実には英国が「ダンピング」に動く可能性は低い。

現実には英国が「ダンピング」に動く可能性は低い。気候変動対策では英国の先行も

たとえ、EUが「ゼロ・ダンピング」の確約が得られなくても、現実には、英国がダンピングに動く可能性は低い。ジョンソン首相は、フォンデアライエン委員長との会談で、「競争条件の公平化」について「労働者の権利、動物福祉、農業、環境などの分野では高い水準を引き続き確保していく」意思も示したとされている。これらの領域では、英国内でもEU離脱による基準引き下げへの懸念が強いためだ。税についても、英国の財政・政治・社会情勢は大規模減税を許す状況にもない7

むしろ、EUと英国の規制は、EUが懸念する英国の「ダンピング」による乖離よりも、英国がより高い水準に進むことで乖離する可能性も十分ある。

EUが最優先課題と位置づける環境分野でも、英国が先行する可能性がある。英国は、今年11月に開催予定の第26回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)の議長国だ。すでに、昨年6月に、EUが掲げる「2050年温暖化ガス排出量実質ゼロ目標」の法制化も終えている。ジョンソン首相は、3月15日にイングランド銀行(BOE)の総裁を退任するカーニー氏をCOP26担当の首相顧問に任命している。COP26での最優先課題を、実質ゼロ目標の達成を促す持続可能な金融システムの構築と資金フローの「グリーン化」と位置づけ、世界最大の金融センターとして議論を主導し、存在感を発揮しようとしている。

新体制のEUは、政策課題の推進にあたって英国が圏外に去った損失を感じる場面が増えるように思う。専門的な人材が集積する英国は、EUや国際的な規制の策定などで重要な役割を果たしてきたからだ。

「グローバルな協力」は、英国とEUの将来関係の政治合意の一項目だ(図表1)。英国が離脱した後、EUが、国際的な舞台で、英国の協力を必要とする場面は増えるだろう。
離脱後の英国との交渉に、過度に硬直的な態度で臨むことは、EUにとって得策ではない。
 
7 離脱後の英国の成長戦略については「EU離脱後の英国の進路」(ニッセイ基礎研REPORT|February 2020|vol.275に収録予定)もご参照下さい。
 
 

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

(2020年01月24日「Weekly エコノミスト・レター」)

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