2020年01月24日

離脱後の英国とEUの協議-EUは移行期間延長もゼロ・ダンピングの確約も得られない-

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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英国は1月31日にEUを離脱、20年末までの「移行期間」に入る

1月31日の英国の欧州連合(EU)離脱まで残り1週間となった。

「離脱協定」に基づき、20年末までは「移行期間」として、英国には引き続きEU法とEU加盟国として締結した国際協定が適用、現状が維持される。

EU離脱が実感されるのは、離脱日ではなく、移行期間終了時だ。
 

「不可能」とされる「移行期間」中の英国とEUの包括的な将来関係協定発効手続きの完了

「不可能」とされる「移行期間」中の英国とEUの包括的な将来関係協定発効手続きの完了

「移行期間」は、英国とEUが「将来の関係に関する協定(以下、将来関係協定)」について協議し、「移行期間」終了と同時に発効できるよう手続きを進めるための期間だ。

離脱協定と合わせてまとめた将来関係協定の叩き台となる「政治合意」によれば、英国とEUの将来関係協定は、物品からサービス、デジタル、漁業などの領域をカバーする経済関係だけでなく、安全保障のパートナーシップ、制度的な枠組みやガバナンスまで幅広い領域をカバーする(図表1)。
図表1 英国とEUの「将来関係協定」の叩き台となる「政治合意」の骨格
これだけ幅広い包括的な協定の発効手続きを20年末の「移行期間」終了までの11カ月間で終えるのは「不可能」と見られている。

そもそも、11カ月のすべてを協議に費やせる訳ではない。EUと英国の正式な交渉の開始は2月末から3月の初めとなる。EU27カ国の外相らによる総務理事会のEUのバルニエ主席交渉官の権限を定めた「指令」の採択が2月25日と見られるからだ。

関税や競争政策、通商政策などEUが単独で権限を有する領域をカバーする包括的な協定の場合には、EUの欧州議会だけでなく、加盟国での批准手続きも必要になる。批准手続きの時間を考えると、移行期間終了までに交渉に費やせる時間はさらに短くなる。

1月8日、フォンデアライエン欧州委員会委員長も、母校のLSE(ロンドン・スクールオブ・エコノミクス)で行った講演1で、EUは「真に野心的で包括的なパートナーシップについて交渉する準備がある」が「2020年以降、移行期間を延長しなければ、新たなパートナーシップのすべての側面について合意することは不可能」であり、「優先順位を付ける必要がある」と述べている。

「政治合意」には、明確な期限が設定されている項目がある。金融サービス、漁業、個人データの移転であり、この3つは交渉上の「最優先の項目」となろう。金融サービスについては、規制の同等性を認める「同等性評価」を「出来る限り速やかに開始し、20年6月末までに終える」ことが目標だ。漁業については、「20年7月1日までに新たな協定を締結し、批准し、移行期間後の最初の年の漁獲高の決定に用いる」としている。EUのデータ保護規則(GDPR)に基づく同等性評価も「20年末までの決定」するよう努めるとしている。
 
1 European Commission, “Speech by President von der Leyen at the London School of Economics on 'Old friends, new beginnings: building another future for the EU-UK partnership” London, 8 January 2020 (https://ec.europa.eu/commission/publications_en)
 

英政府が「移行期間」にすべきことはEUとの交渉だけではない

英政府が「移行期間」にすべきことはEUとの交渉だけではない

英国政府が、「移行期間」終了時の激変回避のためにすべきことはEUとの協議だけではない。

まず、EU加盟国として締結した国際協定の再締結も必要になる。英国政府によれば、19年12月時点で「合意なき離脱」への準備として離脱後速やかに発効する「貿易継続性協定」が締結されている。英国の離脱後、日EU経済連携協定(EPA)に替わる日本との自由貿易協定(FTA)締結に向けた作業も本格化する見通しだ。

EU加盟国としてFTAを締結していない米国とのFTA交渉も、11月に大統領選挙を控えるトランプ大統領の意欲は高く、英国政府に早期決着を迫る圧力が強まるだろう。

アイルランドと北アイルランドの国境の開放を維持する新たな枠組みの導入準備も進めなければならない。昨年10月にジョンソン首相が引き出した「修正離脱協定」には、メイ前首相がまとめた協定の「バックストップ」に替わって、アイルランド海上に事実上の関税と規制の境界を設ける(図表2)。新たな枠組みは、移行期間の終了とともにスタートするため、導入の準備を急ぐ必要がある。

英国とEUの間のヒトの自由移動の終了への準備も必要になる。「離脱協定」で規定された英国内のEU市民の権利の保全に必要な在留資格証明書の発行手続きに対応しなければならない。英国政府は移行期間終了時に、新たな豪州型のポイント制の移民管理制度も導入する方針でもある2

昨年12月の総選挙での公約通り「離脱を実現(Get Brexit Done)」した後は、「英国の潜在力を解き放つ(Unleash Britain's Potential)」政策を推進しなければならない。12月19日に行われたエリザベス女王が政府の施政方針を読み上げる「女王演説」では、保守党の政権公約でもあった国民医療サービス(NHS)、教育、治安対策の強化、国民保険基準所得や全国生活賃金引上げなどの勤労者世帯支援、高速ブロードバンド網や公共サービス、インフラへの投資拡大などが盛り込まれた。4月に始まる20年度予算の発表は3月11日の予定だ。ジャビド財務相は、「英国の潜在力を解き放つ世界レベルの公共サービスと英国全土のレベルアップをもたらす予算」と位置づけている。
図表2 修正離脱協定のアイルランド国境の開放を維持する枠組み
 
2 導入予定の新たな移民管理制度についてはHouse of Commons Library, “The UK's future immigration system”, October 18, 2019(https://researchbriefings.parliament.uk/ResearchBriefing/Summary/CBP-8711)参照。
 

「移行期間」延長の期待が裏切られる2つの理由

「移行期間」延長の期待が裏切られる2つの理由

離脱協定では、「移行期間」の20年末まででは、様々な手続きが間に合わない場合に備えて、「1回限り、1年または2年」の延長が可能としている(表紙図表参照)。

延長は、英国とEUの代表者で構成する「合同委員会」が「20年7月1日以前」に決定する。申請の期限は6月末。EU離脱の延期とは異なり、英国だけではなく、EU側が延長を求めることもできる。

先に触れたフォンデアライエン委員長の講演での発言の通り、EUは包括的協定の発効手続きを終えるためには、延長が必要との立場だ。

しかし、ジョンソン首相は、1月8日のフォンデアライエン委員長との会談でも、「移行期間は延長しない」方針を伝えている3。英国の「離脱協定法案」には「合同委員会における移行期間延長には同意しない」と明記されている4

20年末では包括的な協定の準備が整わず、「将来関係協定なき移行期間の終了」、事実上の「合意なき離脱」を回避するため、ジョンソン首相が方針を転換し、移行期間は延長されるとの期待がある。

しかし、2つの理由から、現状維持が21年以降も続くという期待は裏切られるだろう。

第1の理由は、英国政府にとっては、「移行期間」延長は、離脱によって取り戻すはずの「権限の回復」が遅れ、EUに譲歩した構図となり、支持者の期待を裏切ることになることだ。移行期間を延長すれば、一方的にEU法に従う期間が長期化し、欧州司法裁判所の管轄権からの離脱も、第3国と締結したFTAの発効も遅れる。延長する場合には、21年以降の「EU予算」への拠出についても協議しなければならない(表紙図表参照)。総選挙で保守党が下院の過半数を大きく超える議席を確保したことで、19年の「離脱協定」を巡る採決のように、議会によって政府が意思に反する延長に追い込まれることはなくなった。英国政府が成立したばかりの離脱協定法案の延長禁止法案の修正に動くことも想定し辛い。

第2の理由は、「包括的な協定」の発効は難しくとも、移行期間中に発効手続きを終えることのできる範囲で協定をまとめることで「事実上の合意なき離脱」は回避できると思われることだ。フォンデアライエン委員長は、LSEの講演で「単一市場と関税同盟の一体性を維持する解決策のために働く」という点では「妥協できない」と述べている。しかし、「優先順位を付ける必要がある」との発言からは、単一市場と関税同盟の一体性を損なわないのであれば、例えば、「範囲を限定した多くの留保条件を付けた時限的な協定」を発効するなどの妥協はあり得るだろう。
 
3 Government UK Press release, “PM meeting with EU Commission President Ursula von der Leyen: 8 January 2020” (https://www.gov.uk/government/news/pm-meeting-with-eu-commission-president-ursula-von-der-leyen-8-january-2020)
4 “European Union (Withdrawal Agreement) Bill”の 33 Prohibition on extending implementation period参照(https://publications.parliament.uk/pa/bills/lbill/58-01/016/5801016.pdf)
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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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