2019年08月26日

なぜ、韓国政府はGSOMIAを破棄したのだろうか?

生活研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 金 明中

このレポートの関連カテゴリ

文字サイズ

1――はじめに

2019年8月22日、韓国政府は日韓防衛当局間で軍事機密のやりとりを可能にするGSOMIA(軍事情報包括保護協定(以下、GSOMIA))を継続せずに破棄すると発表した。そして、8月23日には長嶺安政駐韓日本大使を呼び、日本とのGSOMIAの破棄を通告した。その結果、2016年11月から3年にわたって続いてきた日本と韓国の間の軍事的な協力関係は、今年の11月をもって解消されることとなった。なぜ、韓国政府はGSOMIA破棄という極端な選択をしただろうか。
 

2――GSOMIAとは

2――GSOMIAとは

GSOMIAとは英語のGeneral Security of Military Information Agreementの頭文字をとったもので、日本語では「軍事情報包括保護協定」と訳する。GSOMIAは、国家間で安全保障に関する情報を共有・保護するための協定であり、2016年に日本と韓国の間で初めて締結された軍事協定である。日韓の間でGSOMIAが本格的に議論され始めたのは2012年李明博元大統領の時代で、同年6月には協定目前まで至ったものの、直前になって韓国側の都合により延期された。その後2016年、朴槿恵前大統領の時代に北朝鮮の核実験と長距離弾道ミサイルの実験が続く中で、韓国と日米間の安全保障に対する共助の必要性が重視された上に、アメリカが協定締結を積極的に支持したことにより、日韓政府はGSOMIAに対する交渉を再開することになった。日本とのGSOMIAの推進に対しては野党を中心に反対の声も強かったものの、日韓政府は交渉を続け、同年11月23日に日韓の間でGSOMIAが締結された。その結果、同時点で韓国は33カ国と、一方、日本は7カ国とGSOMIAを締結することになった。

日韓がGSOMIAを締結することにより、締結前は米国を介して両国の情報(主に北朝鮮の核・ミサイルに関する情報)を共有していたものの、締結後は直接のやりとりが可能となった。協定は総21条項で構成されており、日韓政府が軍事秘密を共有する内容などを定めている。韓国側は北朝鮮のミサイル基地、潜水艦などに対して、白頭偵察機や金剛偵察機、そして脱北者から収集した情報を提供する。一方、日本側は情報収集衛星や海上哨戒機、そして高性能レーダーやイージス艦から収集した同レベルの情報を提供する。協定を締結してから現在に至るまで両国の間で25回以上、情報を共有したと知られている。

日韓の間のGSOMIAの有効期間は1年で、期限の90日前に当たる毎年8月24日までに一方が破棄を通告しない限り、毎年自動的に延長される仕組みとなっている。しかしながら、8月23日に韓国外交部が、長嶺安政駐韓日本大使を呼び、日本とのGSOMIAの破棄を通告したことにより、3年にわたって続いてきた日韓の軍事的な協調関係は、通告から3カ月後の11月をもって解消されることとなった。
図表1 日韓のGSOMIAを巡る経緯

3――GSOMIA廃棄の背景にある4つの理由

3――GSOMIA破棄の背景にある4つの理由

文在寅政府が日本とのGSOMIAを破棄した背景には、主に4つの理由が存在していると考えられる。
(1) ホワイト国の除外により高まった国民の危機意識への対応
まず、一番目の理由としては、日本政府が韓国をホワイト国から除外したことが挙げられる。8月22日に韓国大統領府の金有根・国家安保室第1次長は、「日本政府が貿易管理上の優遇対象国(ホワイト国)から韓国を除外したことにより、両国間の安保協力環境に重大な変化を招いた。このような状況の下では安全保障上で敏感な軍事情報交流を目的に締結した協定を持続させるのは国益に合致しないと判断した」とGSOMIAを破棄する理由を述べた。

韓国経済は日本とは異なり、貿易や大企業に対する依存度が高い。韓国の対GDPの貿易依存度は2017年で68.8%と、日本(28.1%)の2倍以上である。特に、総輸出金額のうち半導体が占める割合は2018年時点で20.9%と最も高く、2位の石油製品の7.7%を大きく上回っている。従って、日本政府が行った半導体材料の韓国への輸出優遇措置の見直しを含めた一連の措置は、輸出依存度が高い韓国経済に大きなダメージを与えることになるだろう1。韓国国民の間では日本政府が韓国をホワイト国から除外したことにより、韓国経済がさらに減速し、現在より経済状況が悪化するのではないかという懸念が広がった。また、日本政府の規制の見直しが発表される前までは韓国企業の日本企業に対する依存度の高さがここまで深刻な状況であることが、韓国国内では一般的に知られていなかった。マスコミなどにより事実が明らかになると、このままだと将来、韓国が日本の経済植民地になる可能性が高いという危機意識が広がり、市民団体を中心とした不買運動に繋がることになった。民間調査によると7月31日現在日本製品の不買運動に参加している人は64.4%にのぼる。7月10日の一次調査の48.0%に比べて16.4%も高い数値である。さらに、反日感情が広がったことが影響なのか、7月31日に行われた世論調査では、GSOMIAの破棄に賛成する人が47.0%で、反対の41.6%を少し上回ることになった。このような世論調査の結果は、文在寅政府が日本とのGSOMIAを破棄することを決定するのに影響を与えただろう。
 
1 金 明中(2019)「日韓対立の影響は?韓国経済に打撃大きく、日本経済にもマイナス 日韓関係の回復を強く望む」ニューズウィーク 韓国を読み解く2019年8月26日から引用
(2) 次期国会議員選挙への対策
GSOMIAを破棄した二番目の理由は、選挙戦略である可能性が高い。韓国では来年4月15日に第21代国会議員(任期は4年)選挙が行われる。韓国における国会議員の議席数は総300席で、2019年8月24日現在、与党である共に民主党が128席を、第一野党である自由韓国党が110席などを占めている。現在の議席数は、文在寅政府が誕生する前の2016年4月13日の選挙によるものであり、共に民主党の議席数は最も多いものの、過半数は超えていない。従って、文在寅政府が目指す改革を実施するのに邪魔になっている。そこで、来年の選挙ではさらに躍進して、過半数の議席を獲得することが最上の政治目標となっている。さらに、来年の選挙で勝たないと2022年の3月9日に行われる大統領選挙(大統領の任期は5年、再任不可)で勝利し、政権を維持することも危なくなる。そのために、文在寅政府や与党は日本に対して強い姿勢を維持することが、来年の国会議員の選挙や政権維持に有利であると判断し、日本とのGSOMIAの破棄に至ったと考えられる。
図表2 韓国における政党・与野党別国会議員の議席数
(3) 北朝鮮への配慮
また、三番目の理由として考えられるのが北朝鮮に対する配慮である。文在寅政府は、北朝鮮との関係を改善し、経済協力を推進することで、現在、韓国がおかれている経済や外交の問題を解決したいと考えている。文在寅大統領は、8月15日の「光復節」の記念演説で、「2032年にはソウルと平壌でオリンピックを開催し、遅くとも2045年の光復100周年までには平和と統一で一つになった国(One Korea)へと世界の中でそびえ立てるよう、その基盤をしっかりと整えていくことを約束する」と述べた。日本とのGSOMIA破棄を北朝鮮への関係改善のカードとして提示した可能性が高い。
(4) 法務部長官候補のスキャンダルの緩和
そして、四番目の理由としては、法務部長官(法相)の指名後にスキャンダルが続出している曹国チョ・グク)ソウル大学教授(以下、曹教授)への国民の関心を緩和させるための戦略である。曹教授は、2017年5月に文在寅政府が発足すると同時に、青瓦台の民情首席秘書官に抜擢され、今年7月26日まで務めていた。民情首席秘書官とは、政府高官の監視と司法機関を統括するポストで、大統領府秘書官の中でも大統領と最も近い関係にあり、「政権の第2人者」と見る向きもある。文在寅大統領も盧武鉉元大統領時代に民情首席秘書官を担当した経験がある。

文在寅大統領は8月9日に、曹教授を次期法務部長官(法相)に指名した。しかしながら、公選によらない任命職の公職者を大統領が任命する際に、国会においてその候補者に対する検証を行う「人事聴聞会」2が開かれる前のタイミングで曹教授と関連したスキャンダルが続出している。

最初のスキャンダルは、曹教授の娘と関連した疑惑である。曹教授の娘は高校在学時代に檀国大学医科学研究所のインターンシップに参加したが、小児病理学をテーマにした論文に第1著者として名前が掲載された。その後、曹教授の娘は第1著者として論文を書いたことなどが評価され、高麗大学の「随時募集」(日本の推薦入試に相当)に合格した。野党などは2週間のインターンシップに参加した高校生が専門的な論文を書くことは不可能で、第1著者として名前を載せたのは曹教授の娘を大学に不正入学させるための不正な方法であったと主張した。研究責任者である檀国大学の教授の息子と曹教授の娘は高校同期であり、母親同士も知合いであったそうだ。曹教授の娘の不正入学を巡って高麗大学では、8月23日の夜に大学当局に真相究明を求める学生集会が開かれ、集会には約500人が参加した。また、曹教授の娘が大学院で2回も留年したにも関わらず、6学期連続で奨学金を受領したことに対しても問題が提起されている。

そして、次のスキャンダルは息子の兵役延期疑惑だ。曹教授の息子は韓国とアメリカの二重国籍を持っており、2015年の身体等級の判定を受けてから現在に至るまで5度にわたって兵役を延期している。これに対して曹教授は学業問題で入隊する時期が少し遅くなっただけで、来年には入隊する予定であると釈明した。

娘と息子に関する疑惑以外にも、私募ファンド(プライベートファンド)3への投資疑惑や家族間の偽装訴訟など、曹教授と関連した疑惑は巨大で複雑な状態である。

学歴や兵役の義務を重視する韓国では、不正入学や兵役忌避に対する世論の批判は厳しい。従って、文在寅政府は日本とのGSOMIA破棄を発表し、曹国司法相候補者に対する世論が悪化する政局を転換させようとしたのではないかという指摘が野党やマスコミから出ている。
 
2 韓国では、米国上院の制度を参考に、2000年からこの人事聴聞会を開始している。
3 投資家から資金を募って運用するファンドのなかで、資金を募る対象者が狭く限定されているもの。
 

4――おわりに

4――おわりに

日韓の経済対立は、韓国経済ほどではないものの日本経済にもマイナスの影響を与えるだろう。韓国から日本への訪日客は2018年に約754万人で2017年に比べて5.6%も増加したものの、最近の一連の出来事により韓国からの観光客は急減した。

その結果、韓国と日本の地方空港を結ぶ路線の運休や減便が相次いでいる。韓国からの観光客が多い九州を中心とする地方の打撃は大きい。日韓関係が悪化するなか、大分県別府市を訪れる韓国人の観光客数は前年同月より4割ほど減っている4。日本政府観光局によると、7月の訪日観光客は全体で5・6%増(前年同月比)だったが、韓国からは7・6%減だった。旅行大手「JTB」によると、日本国内の宿泊予約がハングルでできる同社のウェブサイトでは、8月の個人予約が前年同月比で約7割減った5。このままだと韓国だけではなく日本経済も打撃を受けることになる。

現在の日韓関係は確かに厳しい状況である。お互いの良いところを褒めるよりは、悪いところを非難し、お互いの痛いところを触れすぎている。現在の日韓の対立はまるで引くに引けないチキンゲームとなっている。このままだと正面衝突になり、お互いに多くのものを失いかねない。将来のことを考えると誰かがハンドルを切ることが望ましく、その役割は専門家や民間が担当することがいいだろう。まずは、日韓首脳の下に専門家による協議会を設けて、問題解決のための対話を続け、信頼関係を回復する必要がある。また、企業や社会団体、そして学会や各種団体などもそれぞれの分野で今までの交流を続けながら、問題解決のために努力を行うべきであろう。このような努力の継続により、日韓の信頼関係は少しずつでありながら、改善の道を歩み始めていくものと思われる。
 
4 NHKニュース 2019年8月21日から引用。
5 朝日新聞2019年8月24日朝刊から引用。
Xでシェアする Facebookでシェアする

このレポートの関連カテゴリ

生活研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

金 明中 (きむ みょんじゅん)

研究・専門分野
高齢者雇用、不安定労働、働き方改革、貧困・格差、日韓社会政策比較、日韓経済比較、人的資源管理、基礎統計

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
    独立行政法人労働政策研究・研修機構アシスタント・フェロー、日本経済研究センター研究員を経て、2008年9月ニッセイ基礎研究所へ、2023年7月から現職

    ・2011年~ 日本女子大学非常勤講師
    ・2015年~ 日本女子大学現代女性キャリア研究所特任研究員
    ・2021年~ 横浜市立大学非常勤講師
    ・2021年~ 専修大学非常勤講師
    ・2021年~ 日本大学非常勤講師
    ・2022年~ 亜細亜大学都市創造学部特任准教授
    ・2022年~ 慶應義塾大学非常勤講師
    ・2024年~ 関東学院大学非常勤講師

    ・2019年  労働政策研究会議準備委員会準備委員
           東アジア経済経営学会理事
    ・2021年  第36回韓日経済経営国際学術大会準備委員会準備委員

    【加入団体等】
    ・日本経済学会
    ・日本労務学会
    ・社会政策学会
    ・日本労使関係研究協会
    ・東アジア経済経営学会
    ・現代韓国朝鮮学会
    ・韓国人事管理学会
    ・博士(慶應義塾大学、商学)

(2019年08月26日「基礎研レター」)

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【なぜ、韓国政府はGSOMIAを破棄したのだろうか?】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

なぜ、韓国政府はGSOMIAを破棄したのだろうか?のレポート Topへ