2019年08月13日

認知症大綱で何が変わるのか-予防重視の弊害、共生社会の実現に向けた課題を考え

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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1――はじめに~認知症大綱で何が変わるのか~

政府は今年6月、「認知症施策推進大綱」(以下、認知症大綱)を取りまとめた。これは認知症関係施策を強化するのが目的であり、認知症になっても住みやすい社会を形成する「共生」と、発症や進行を遅らせる「予防」を車の両輪に位置付けつつ、1) 普及啓発・本人発信支援、2) 予防、3) 医療・ケア・介護サービス・介護者への支援、4) 認知症バリアフリーの推進・若年性認知症の人への支援・社会参加支援、5) 研究開発・産業促進・国際展開――の5つを柱に掲げた。さらに、高齢者が地域で気軽に体操や趣味を楽しむ「通い」の場の拡充など具体的な施策を数多く盛り込んでおり、それに関する数値目標(KPI、Key Performance Indicator)を定めた。

本レポートでは、認知症大綱の内容を5つの柱ごとに考察し、通称「オレンジプラン」と呼ばれた過去の「認知症施策推進総合戦略」との対比を試みることで、(1)予防を重視した施策の内容、(2)首相官邸主導による策定プロセス――といった特色を明らかにする。さらに、予防重視の方針が認知症に対する偏見を助長する危険性について批判的に考察する。

その一方、一定規模以上の公共交通事業者に対し、認知症の人に対する接遇・研修計画の作成を義務付けた点を前向きに評価する。その上で、「共生」社会の実現に向けて、障害者1のニーズに沿って対応する「合理的配慮」の考え方が認知症分野でも適用できる可能性を指摘する。
 
1 近年、「害」の字が不快にさせる可能性があるとして、「障がい」「しょうがい」と表記するケースも見られるが、本レポートは法令上の表記に沿って「障害」と記述する。
 

2――「認知症大綱」の基本的な考え方

2――「認知症大綱」の基本的な考え方~「共生」「予防」を車の両輪として5本の柱~

まず、認知症大綱の内容を確認しよう。A4版55ページに及ぶ大綱は様々な施策を列挙しており、冒頭の「基本的な考え方」として、「認知症はだれもがなりうるものであり、家族や身近な人が認知症になることなどを含め、 多くの人にとって身近なものとなっている」とした上で、「認知症の発症を遅らせ、認知症になっても希望を持って日常生活を過ごせる社会」を目指して、「共生」「予防」を車の両輪として施策を推進する考えを示した。

さらに、「共生」「予防」を以下のように定義している。後に述べる通り、予防重視のスタンスが批判を浴びた経緯があるため、少し長くなるが、全文を掲載する。
・「共生」とは、認知症の人が、尊厳と希望を持って認知症とともに生きる、また認知症があってもなくても同じ社会でともに生きる、という意味である。
・「予防」とは、「認知症にならない」という意味ではなく、「認知症になるのを遅らせる」「認知症になっても進行を緩やかにする」という意味である。

このうち、予防については「認知症にならないようにする」のではなく、認知症の発症や進行を遅らせる意味であることを明確にしている。この点は後述する通り、予防重視の方針が当事者団体、与党から反発を招いたため、加えられた部分である。

その上で、「共生」に関する方向性として、「引き続き生活上の困難が生じた場合でも、重症化を予防しつつ、周囲や地域の理解と協力の下、本人が希望を持って前を向き、力を活かしていくことで極力それを減らし、住み慣れた地域の中で尊厳が守られ、自分らしく暮らし続けることができる社会を目指す」としている。一方、「予防」の部分では下記のように書いている(下線は筆者)。
運動不足の改善、糖尿病や高血圧症等の生活習慣病の予防、社会参加による社会的孤立の解消や役割の保持等が、認知症の発症を遅らせることができる可能性が示唆されていることを踏まえ、予防に関するエビデンスの収集・普及とともに、通いの場における活動の推進など、正しい知識と理解に基づいた予防を含めた認知症への「備え」としての取組に重点を置く。結果として、70歳代での発症を10年間で1歳遅らせることを目指す。また、認知症の発症や進行の仕組みの解明、予防法・診断法・治療法等の研究開発を進める。
 
ここでのポイントは「70歳代での発症を10 年間で1歳遅らせる」という目標を掲げた点であり、後に述べる通りに大綱の大きな特色を表している。その上で、1) 普及啓発・本人発信支援、2) 予防、3) 医療・ケア・介護サービス・介護者への支援、4) 認知症バリアフリーの推進・若年性認知症の人への支援・社会参加支援、5) 研究開発・産業促進・国際展開――の5つを柱に掲げており、人口のボリュームが大きい「団塊世代」が75歳以上になる2025年をターゲットにしつつ、具体的な施策と数値目標が盛り込まれた。

しかし、認知症大綱には数多くの施策と数値目標が盛り込まれており、全てを網羅するのは難しい。そこで、以下は新規施策や拡充された施策、具体的な数字が明記されている数値目標に絞り込んで考えることとし、その他は末尾の参考をご覧頂きたい。

さらに、数値目標については、認知症大綱には現状と比較できるデータがほとんど示されていないため、それが現実的な目標なのか、それとも野心的な目標なのか判断しにくい面がある。このため、以下では可能な限り補足しつつ、5つの柱に沿って施策の内容と数値目標を見て行くこととする。
 

2――5本の柱に整理された「認知症大綱」の内容

3――5本の柱に整理された「認知症大綱」の内容

1普及啓発・本人発信支援~1つ目の柱~
ここでは認知症の正しい理解に向けた普及啓発と、認知症の人による情報発信に力点を置いており、認知症についての基本的な知識を身に付ける「認知症サポーター」養成講座の受講者数を民間企業などで増やす考えを示した。具体的には、認知症サポーターの受講者数は2019年6月現在で1,164万3,724人2であり、これを2017年7月に目標を再設定した際、2020年度までに1,200万人に引き上げるとしていたが、認知症大綱でも目標を維持した。
表1:認知症サポーター養成の対象者と関係省庁 さらに、認知症サポーターを増やす方策として、表1で掲げた通り、認知症の人と接点が多い民間企業や公共交通機関、警察職員、子供・学生で増やすとし、企業・職域型の認知症サポーターを400万人を養成するという目標を盛り込んだ。

このほか、認知症サポーターの先進例を全国に紹介するとともに、認知症サポーター養成講座を修了した者が復習も兼ねて学習する機会を設け、実際の活動に繋げるための「ステップアップ講座」の開催機会を拡大する方針もうたった。

医療・介護従事者など専門職向け認知症対応力向上研修や、認知症サポーターのステップアップ講座などを通じて、「認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン」3も周知させるとしている。その際の数値目標として、医療・介護従事者を対象とした研修におけるプログラムの導入率を100%とする考えを示したほか、自治体レベルで事前に本人の意思表明を確認する取り組みの実施率を50%にすると定めた。

相談窓口の充実策も盛り込んだ。地域包括支援センター4や認知症疾患医療センター5などを地域住民に周知するとしたほか、認知症に関する診断・相談・対応などの流れを整理した「認知症ケアパス」を普及させるとし、数値目標として「広報紙やホームページを通じて認知症の相談窓口を周知している 市町村を100%」「認知症の相談窓口について、関係者の認知度2割増加、住民の認知度1割増加」「市町村における認知症ケアパスの作成率を100%」などを定めた。

認知症に対する社会の正しい理解を促すため、認知症の人による情報発信にも言及しており、認知症の人で構成する日本認知症本人ワーキンググループ(JDWG)による「認知症とともに生きる希望宣言」6をベースにした「認知症本人大使(希望宣言大使、仮称)」を創設したり、認知症の人が認知症サポーター養成講座を応援する「キャラバン・メイト大使(仮称)」を全都道府県で設置したりする方針を規定した。

このほか、世界アルツハイマーデーなどのイベントを通じて本人の情報発信に言及しており、認知症の人の不安を解消するための方法として、▽認知症の人による相談活動支援、▽診断直後の支えとなるよう、認知症の人の暮らし方やアドバイスなどをまとめた「本人にとってのよりよい暮らしガイド(本人ガイド)」、 本人が伝えたいことや自身の体験を話し合った「本人座談会(DVD)」の普及、▽認知症の人が自身の希望などを語り合う「本人ミーティング」の拡大――などを定め、市町村が認知症関係施策の企画・立案、評価を行う際、本人ミーティングの場を通じて、認知症の人の視点を反映する必要性にも言及した。
 
2 地域ケア政策ネットワークのウエブサイトを参照。
http://www.caravanmate.com/result/
3 2018年6月に策定された。認知症の人の特性を踏まえた意思決定支援について、基本原則やプロセスを定めている。
4 中学校区を一つの単位として設置されている高齢者の総合相談窓口。
5 認知症疾患医療センターとは、認知症における診断や専門医療の相談、医療機関などの紹介、医療・介護関係者に対する研修・連携、情報発信などを担う専門医療機関。
6 JDWGが2018年11月1日に公表した「認知症とともに生きる希望宣言」を参照。
http://www.jdwg.org/wp-content/uploads/2018/11/release_1101.pdf
2予防~2つ目の柱~
2番目の柱は焦点となった予防である。ここでは運動不足の改善、糖尿病や高血圧症などの生活習慣病の予防、社会参加による社会的孤立の解消や役割の保持などが認知症の発症を遅らせる効果があるというエビデンスに触れつつ、地域において高齢者が体操などで気軽に外出できる「通い」の場の拡充を掲げた7

「通い」の場は2021年度介護保険制度改革の柱の一つとして位置付けられており、認知症大綱では市町村向け財政インセンティブ制度である保険者機能強化推進交付金も活用しつつ、「通い」の場の拡充に向けて、医師や保健師、管理栄養士などの専門職が健康相談に応じる重要性が言及された。さらに数値目標として、介護予防に繋がる「通い」の場への参加率(2017年度現在で4.9%8)を8%程度に引き上げる考えを示した。成人の週1回以上のスポーツ実施率(2018年度現在で55.1%9)を65%程度にアップさせる「第2期スポーツ基本計画」(2017年4月策定)の目標も認知症大綱に取り込んだ。
 
7 介護保険制度改正の動向に加えて、その柱として位置付けられている「通い」の場の動向や論点については、拙稿2019年7月5日、同月16日「介護保険制度が直面する『2つの不足』」(上)(下)を参照。
8 2019年5月27日第1回一般介護予防事業等の推進方策に関する検討会資料を参照。
9 2019年2月28日スポーツ庁資料「スポーツの実施状況等に関する世論調査について」を参照。
3医療・ケア・介護サービス・介護者への支援~3つ目の柱~
3番目の柱では認知症の人に対する支援の充実を図ろうとしており、介護保険制度改革の枠内で実施または検討されている施策の再掲を含めて、内容が多岐に渡っている。

詳細は末尾の参考をご覧いただくとして、「初期集中支援チーム10における訪問実人数全国で年40,000件、医療・介護サービスに繋がった者の割合を65%に」「市町村における認知症に関する相談窓口の掲載を100%」という数値目標が示された。

認知症ケアに関する専門職のスキルを向上させる「認知症対応力向上研修」を受講する医療専門職の数値目標も改定された。具体的には表2の通りであり、一例を挙げると、かかりつけ医の受講者数に関する数値目標については、2017年7月改定の目標が7万5,000人だったのに対し、認知症大綱では9万人に引き上げられた。

認知症に関する専門知識を有する認知症サポート医11についても、2017年7月の時点で1万人に引き上げる計画だったが、認知症大綱では1万6,000人と改定された。ただ、介護職については、表2に掲げた数値目標を継承したほか、「介護に関わる全ての者が認知症介護基礎研修12を受講」という従来の方針を継続した。

さらに、「現在2017年3月現在で375カ所の認知症疾患医療センターの設置数を2020年度末までに全国で 500 カ所に拡大」「介護人材を245 万人確保」「認知症カフェを全市町村に普及(2020年度末)」など既に示している数値目標も盛り込んだ。
表2:医療・介護専門職の対応力向上に関する数値目標の変遷
 
10 初期集中支援チームは旧オレンジプランの柱の一つ。専門医1人、専門職2人以上で構成し、専門医療機関と連携しつつ、(1)訪問対象者の把握、(2)情報収集、(3)初回訪問時の支援、(4)観察・評価、(5)専門医を含めたチーム員会議開催、(6)初期集中支援の実施、(7)引き継ぎ後のモニタリング――などに当たることを想定している。
11 認知症サポート医とは、研修の受講などを通じて認知症への対応に習熟した医師を指し、初期集中支援チームで中核的な役割を果たすことが期待されている。
12 2016年度に創設され、認知症介護に最低限必要な知識・技能をeラーニングで修得できる研修制度。
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

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レポート紹介

【認知症大綱で何が変わるのか-予防重視の弊害、共生社会の実現に向けた課題を考え】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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