2019年07月17日

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(4) 競争領域と捉えられることが多い工場稼働データでも一部で「つながる工場」の実現に向けて共有化の動きも
工場設備の稼働データは、製造業の競争力に直結する指標のため守秘性(機密性)が非常に高く、一般的には企業間での共有は難しいとみられる。一方、ドイツが国を挙げて取り組む、工場のスマート化・インテリジェント化などによる製造業の革新、いわゆる「インダストリー4.0」では、機械装置に取り付けられたセンサーなどで収集したビッグデータを企業間など組織の枠を超えて利活用し、複数の企業間で「つながる工場」を実現しようとしている。

我が国の製造業でも、複数の企業間での「つながる工場」の実現は目指すべき方向性ではあるが、現状では大企業を中心に自前主義や機密性の高い情報の囲い込みへの意識が強いため、まずは最初のステップとして、自社の工場エリア内でのIoT・ビッグデータ・AIの利活用の取り組みを早急に進めるべきである、と筆者は考えている24。先進的な大企業の中には、そのような取り組みを始める事例が出てきている。

また、IoTによる「つながる工場」の実現は、我が国ではハードルが高いと述べたが、実は危機意識の強い一部の中小企業の間では、その実現に向けた取り組みが進展している。例えば、経済産業省の中堅・中小企業への支援施策である「2016年度スマート工場実証事業」に採択された今野製作所(東京都足立区)は、板金加工の同業者である西川精機製作所(同江戸川区)、エー・アイ・エス(同)と、14年から「東京町工場ものづくりのワ」プロジェクトを推進している25。共通のITシステムの導入により、生産工程の進捗情報などを共有し、顧客から見ると、得意技術の異なる3つの町工場があたかも1つの工場のように機能しているように見える。工場側にとっても、お互いの工程進捗の見える化により、納期変更に備えた余計な予備日を適正化できる。これがコスト抑制につながるとともに、浮いた時間をオリジナル製品の開発に回せるようになったといい、プロセスとプロダクトの双方のイノベーションにつながり得る取り組みである、と評価できる。
 
24 筆者のこのような考え方および先進事例については、拙稿「製造業を支える高度部材産業の国際競争力強化に向けて(後編)」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2017年3月31日、同「<特集:AIで増えるお金と仕事/第2部 仕事編>変わる製造現場 品質向上や新素材発見に威力 オフィスの働き方改革にも活用」『週刊エコノミスト』2017年6月27日号を参照されたい。
25 「東京町工場ものづくりのワ」プロジェクトに関わる以下の記述は、NHK おはよう日本(2016 年10 月24 日)「IT で激変!中小企業のモノ作り」に拠っている。
(5) データの共有と占有を切り分ける最適な判断・意思決定が重要
このように、自動運転技術の開発における走行映像データや工場の稼働データの収集・蓄積は、現時点では基本的に競争領域とみなされることが多いものの、場合によっては、逆に協調領域と捉えてデータを共有・共用するという選択肢もあり得る、と考えられる。

データを占有・独占すれば、特定の企業がより多くの経済的リターンを占有できるチャンスが高まったり、データの個別用途に対応した独自データを収集できたりする一方、データを共有・共用すれば、これまで1社単独では収集できなかったようなデータを互いにスピーディに取得できるようになり、データ連携を行う企業群がより多くの付加価値(イノベーション)を迅速に生み出し、ひいてはより大きな社会的価値を創出できる可能性が高まるかもしれない。

企業は、イノベーションや社会的価値の創出といったアウトカムやソーシャルインパクトの最大化の可能性を最優先に考えつつも、アストロズのように、他社と共有・共用する協調領域のデータと独自に取得・占有する競争領域のデータを切り分ける、最適な判断・意思決定を行うことが望まれる。また、この競争領域と協調領域の区分は不変ではなく、企業を取り巻く競争環境や経営戦略などの変化に対応して、変化し得ることにも留意すべきだ。
(6) 重篤な疾病の診断、老朽化した社会インフラや工場設備の点検・診断など社会的要請の高い分野ではデータの共有・共用を急ぐべき
データ特性や社会的要請から、データの共有・共用が望ましい領域もあるだろう。例えば、重篤な疾病をAI技術で解析するために必要となる医療画像データのように、人間の生命に関わる領域の場合、個人情報保護には勿論十分に留意しつつも、一人でも多くの生命を救うために、ディープラーニングによりAIの画像認識の精度向上を図ることを最優先することが望まれる。そのためには、AIに学習させる膨大な医療画像データの取得が不可欠であり、より多くの病院間で当該医療データの共有・集約を進めることが必要となるだろう。

また、国民の安全・安心の確保に関わる領域でも医療分野と同様に、データ共有を急がなければならない。例えば、老朽化した社会インフラをAIの利活用により点検・診断するために必要となる、画像データや熟練技術者の暗黙知(データへの形式知化が必要26)などがこれに当たる。この分野での先行事例として、国土交通省の取り組みが挙げられる。同省が所管する国立研究開発法人土木研究所は、「AIを活用した道路橋メンテナンスの効率化に関する共同研究」を2018年から25の官民組織と開始した27
 
工場データの中では、設備の稼働データが基本的に競争領域とみなされることが多く、企業間での共有は比較的難しいと述べたが、我が国の製造業全体で設備老朽化が進展している28ことから、工場の設備・プラントの保安分野のデータについては、社会インフラと同様に、できるだけ多くの企業間で共有して分析を行い、設備・プラントの点検・診断・補修についての知恵を出し合い共通知化することが求められるのではないだろうか。特に高温高圧下での化学反応を扱う石油化学コンビナートなどでは、プラント事故の社会的影響が甚大となるため、老朽化などを起因としたプラント事故は何としても避けなければならない。

この分野での先行事例として、経済産業省の取り組みが挙げられる。同省が所管する国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の実証事業「2016年度IoT推進のための新産業モデル創出基盤整備事業(化学プラントにおける自主保安高度化事業)」の下で、石油化学産業の業界団体である石油化学工業協会内に「産業保安分野におけるIoT実証事業ワーキング・グループ」が組織され、同ワーキング・グループに参画した大手化学メーカー13社29からプラントの配管や槽などの外面腐食に係る検査データ(設備の運転温度、使用年数、腐食状況など協調領域のデータ)約1.4万点余りが収集・集約され、それを用いて腐食状況予測のためのモデルが開発・構築された。
 
26 具体的には、熟練技術者が何を見てどのように判定したのかを表す、入力と正解の出力がセットになった「教師データ(訓練データ)」へ、暗黙知をデータ化する必要がある。
27 共同研究期間は2018年9月~2022年3月。共同研究者は国立研究開発法人理化学研究所革新知能統合研究センター、茨城県、富山市の他、建設コンサルタント、電機・IT企業、自動車部品メーカー、舗装材料メーカー、AIベンチャーなどの民間企業。
28 筆者は、我が国の製造業の低収益構造は、競争力のある最新鋭設備への更新投資が進まず、老朽設備が蓄積され、設備過剰と生産性低下を招いていることに起因している、と考えている。筆者のこのような考え方については、拙稿「製造業の『国内回帰』現象の裏にあるもの」『ニッセイ基礎研REPORT』2004年12 月号、同「アベノミクスの設備投資促進策」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2013年7月31日、同「コーポレートガバナンス改革・ROE経営とCRE戦略」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2017年3月29日を参照されたい。
29 13社は住友化学、丸善石油化学、三井化学、JSR、日本触媒、日本ゼオン、三菱化学、昭和電工、旭化成、デンカ、東ソー、新日鉄住金化学(現・日鉄ケミカル&マテリアル)、出光興産。旭化成が予測モデルの開発を行った(今後も開発更新を行う)。2019年度以降は石油化学工業協会にて、現行スキームを継続し予測モデルの高度化を予定している。
4|ITインフラの見極め・選択の重要性
(1) 事業特性や財務状況に応じたクラウドとオンプレミスの合理的な選択が必要
MLBのデジタルサービス部門MLBAMでは、スタットキャストを構築する際に、クラウドサービスの活用とオンプレミスでのシステム構築の選択肢を設定した上で、想定される運用方法(1年のうち半分(シーズン中)しかシステムは稼働しないこと)などを勘案して、AWS(クラウドサービスに加えエッジサービスも含むとみられる)を導入することを決定したように、企業は、IoT・ビッグデータ・AIの利活用をビジネスに取り入れる際には、データの処理・分析・保存のために導入するITインフラの比較検討をしっかりと行い、見極めて選択を行うことが極めて重要だ。

初期(導入)コスト、利用(運用)コスト、ユーザー数によるスケールメリット、データセンターのロケーション変更(時間)、サーバリソースの拡張・縮小(時間・コスト)、ITインフラ調達(構築)期間などの視点では、クラウドがオンプレミスより有利であるように思われる30。一方、オンプレミスと比べたクラウドの課題としては、1) オンプレミスよりネットワークの物理的距離が長くレイテンシ(latency:遅延時間)が相対的に高くなること、2) 自社内の閉じたローカル環境下にあるオンプレミスに比べ、ネットワークセキュリティ面で相対的に劣ること、3) トラブルの際の復旧はサービス提供側に依存するため、その目途がわかりづらいこと(オンプレミスでは自社のシステムエンジニア(SE)が対応)、4) アップデートのタイミングがサービス提供側に依存するため、顧客側での運用負荷が増える可能性があること、などが挙げられる。

これらの多様な視点について、自社の事業特性に応じた運用方法、自社の財務状況などを加味して比較検討・最適化することが求められる。
 
30 アマゾンウェブサービスジャパン株式会社「AWS クラウドとオンプレミスとの違い-TCOで考える-」2017年2月などを参照した。
(2) クラウドコンピューティングとエッジコンピューティングの役割分担が重要
エッジコンピューティングは、ITシステムを使用する企業のデバイス端末に近い、ネットワークの周縁部(エッジ)にコンピューティングリソースを配置することにより、クラウドシステムへの負荷や通信遅延を抑制するシステムであるため、エッジシステムによる分散処理はビッグデータをクラウドに高速で送信する上でも貢献が大きい。

また、エッジコンピューティング自体が、ネットワークの物理的距離が短くレイテンシが低いため、リアルタイム性の高い処理ができる。このため、自動運転や工場の機械装置の制御などのように、周囲の状況の認知、それに基づく判断・操作が迅速に行われることが求められ、データ遅延が重大な事故につながるリスクが高い分野では、エッジコンピューティングは不可欠なシステムだと言える。エッジシステムにより事業の現場に近いエッジでデータ処理の一部を行った上で、クラウドには必要なデータのみを上げればよい。そしてクラウドでは、膨大な計算リソースを要する複雑なデータ処理を行うことができる。例えば、AIを業務に利活用する場合、大規模な計算リソースが必要となる膨大なデータの学習はクラウド側で行う一方、クラウド側で作成した学習済みモデルによる推論処理はリアルタイム性が要求されエッジ側で行う、といった役割分担が考えられる(図表2)。

このため、クラウドを導入する企業においては、クラウド一辺倒ではなく、エッジコンピューティングを併用し、クラウドとエッジの役割分担を明確にすることが重要となる。
図表2 クラウドとエッジを併用したITシステムの概略図と役割分担
(3) シェアードサービスとしてのIT戦略がITシステムの選択など経営の意思決定を支えるべき
企業のIT 戦略は、経理・財務、人事、管財(不動産管理)、物流などとともに、社内に専門的・共通的な役務を提供する「シェアードサービス型」戦略の一翼を担う。シェアードサービスは企業経営に不可欠だが、事業戦略と整合性がとられて初めて機能するため、IT戦略には、経営層や事業部門、従業員など「社内顧客」にITサービスを提供する「社内ベンダー」、すなわち社内顧客の「ビジネスパートナー」である、との発想が必要となる。

必ずしもITの専門的知見を持たない経営層が(1)、(2)のような意思決定を行うのは、容易ではないだろう。しかし、企業がAI・IoTをビジネスに実装していく上でのインフラとなるITシステムの選択は、決して疎かにはできない極めて重要な意思決定だ。このため、経営層によるITに関わる意思決定をしっかりとサポートできる、IT専門人材の存在が欠かせない。

大企業などでは、IT業務に関わる専門部署の設置および専任担当者(SE)の配置(グループ内のIT専門企業へのアウトソーシングを含む)が求められる。このIT専門部署の担当者は、社内顧客のITニーズを十分に把握し、社内の顧客満足度(CS:Customer satisfaction)の向上につなげるための社内顧客との関係構築、言わば「社内CRM(Customer Relationship Management)」を推進することが重要となる。一方、外部のITベンダーから情報提供やアウトソーシングなどいつでも協力を仰げるように、日頃から外部ベンダーとの人的ネットワークを築いておくことも重要だ。社内顧客とIT部門、外部ベンダーとIT部門の間のいずれにも、信頼関係と人的ネットワークが十分に醸成されていることが望ましい。そしてIT部門は、社内顧客のITニーズと外部のITベンダーのサービスをつなぐ「リエゾン(橋渡し)機能」(外部ベンダーを使いこなす「ベンダーマネジメント機能」と言い換えてもよい)をしっかりと果たすことが求められる31。外部の専門機関の力を借りつつ、それらをコーディネートして、より高度なITソリューションを社内顧客に提供していくことが求められるからだ。

一方、中堅・中小企業でも、できればIT専任担当者を置くことが望ましいが、人材に制約のある中小企業において専任担当者を置くのが難しい場合は、もちろん兼任でも構わない。さらに兼任担当者も置けない小規模企業のケースでは、できればITベンダーやメーンバンクなどが社内スタッフに代わって専門部署の役割を包括的に担うべく、オーナー経営者をしっかりとサポートすることが望まれる。
 
31 シェアードサービス型業務における社内CRMとベンダーマネジメント、アウトソーシングの重要性については、拙稿「CRE(企業不動産)戦略の進化に向けたアウトソーシングの戦略的活用」『ニッセイ基礎研REPORT』2010 年8月号、同「CRE戦略の企業経営における位置付けと役割」『ニッセイ基礎研所報』2014年Vol.58(2014年6月)を参照されたい。
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社会研究部   上席研究員

百嶋 徹 (ひゃくしま とおる)

研究・専門分野
企業経営、産業競争力、産業政策、イノベーション、企業不動産(CRE)、オフィス戦略、AI・IOT・自動運転、スマートシティ、CSR・ESG経営

経歴
  • 【職歴】
     1985年 株式会社野村総合研究所入社
     1995年 野村アセットマネジメント株式会社出向
     1998年 ニッセイ基礎研究所入社 産業調査部
     2001年 社会研究部門
     2013年7月より現職
     ・明治大学経営学部 特別招聘教授(2014年度~2016年度)
     
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会 検定会員
     ・(財)産業研究所・企業経営研究会委員(2007年)
     ・麗澤大学企業倫理研究センター・企業不動産研究会委員(2007年)
     ・国土交通省・合理的なCRE戦略の推進に関する研究会(CRE研究会) ワーキンググループ委員(2007年)
     ・公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会CREマネジメント研究部会委員(2013年~)

    【受賞】
     ・日経金融新聞(現・日経ヴェリタス)及びInstitutional Investor誌 アナリストランキング 素材産業部門 第1位
      (1994年発表)
     ・第1回 日本ファシリティマネジメント大賞 奨励賞受賞(単行本『CRE(企業不動産)戦略と企業経営』)

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