2019年02月18日

認知症・相続対策としての民事信託-成年後見制度を補完する可能性としての信託

保険研究部 常務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長 松澤 登

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3――民事信託の実務

少し詳しくこのスキームについて順を追って見てみよう。

(信託契約の締結)
XとAとの間で信託契約を締結する。この信託契約はその後の手続きを円滑に進めるために公正証書とすることが望ましい。公正証書は公証役場で作成することができる。

契約の内容としては、Aが受託者兼帰属権利者たるべきこと、Xが委託者兼当初の受益者たるべきこと、YがX死亡後の受益者たるべきこと、移転される財産としては、アパート、自宅、一定の現金であること、信託は一定の日付で効力が開始すること、X・Y双方が死亡したときには信託が終了しAに財産が帰属することなどを定める。

後述するが、このように帰属権利者を定めることで、相続時の分割協議の対象となる財産から信託された財産(アパート等)を切り離し、信託終了時に信託された財産を特定の相続人(この場合はA)に相続させることができる。
(財産の移転)
契約を締結したら財産の名義を変更することとなる。アパートと自宅の登記をXからAへ変更する。具体的には登記原因を信託として、受託者A名義で所有権移転登記する。なお、アパートの賃貸借契約であるが、アパートの所有者が変更された場合、賃貸借契約はそのまま引き継がれる。賃借人の同意は不要と解されているので、賃借人に賃貸人変更の通知をしておくことでよい。

また、現金についてはX名義の預金口座から現金をXが引き出して、A名義の信託口口座に入金する。信託口口座は信託銀行や一部の地銀・信金で取り扱っているが、いまだ取り扱い金融機関は多くないようである。近隣に取扱銀行がない場合は一般の銀行にA名義の口座を新たにつくることにより、従来使ってきた自分の口座とは分けて信託された現金を入金する。

このように財産はXからAへと移転されることにより信託がスタートする。そしてAは信託財産を自分の財産とは分けて管理しなければならない。このことを分別管理義務という(信託法第34条)。

なお、信託の設定時点ではAには贈与税等は付加されない。税法ではこれらアパート・自宅・現金は受益者であるXが実質的に所有しているものと見ているためである6
 
6 所得税法13条1項では「信託の受益者(受益者としての権利を現に有するものに限る。)は当該信託の信託財産に属する資産及び負債を有するものとみなし、かつ、当該信託財産に帰せられる収益及び費用は当該受益者の収益及び費用とみなして、この法律の規定を適用する」としている。なお、所有権移転登記に当たってはアパートや自宅の登記手数料として登録免許税が課せられる。
(信託の効果)
信託を設定し、財産の名義をAに移転したことにより、Xではなく、Aがアパートの経営・修繕、自宅の補修を行う。借入を行って建て直しもできる。また、そのための費用は信託口の預金を引き出して支払うことができる。一方、X・Yはアパートの賃料をA経由で受領することができ、また自宅に住み続けることができる。なお、自宅の賃料を支払う義務はなく、受益権の内容として居住することができる。

Xが亡くなった後はYが受益者となるため、Yは引き続き自宅に居住することができる。またYの認知症の進行により施設に入所することになった場合、自宅はAが居住しても良いし、場合によっては施設入居費捻出のためAは売却することもできる。なお、施設入所に当たっては、入所契約を判断能力のないYが締結できないため、原則として成年後見人を選任する必要がある7
 
7 現実には家族の同意のみで入所させることも可能な場合もあると思われる。
(信託の終了)
Yが亡くなった場合、信託契約に定めたとおり信託は終了する。なお、YがXより先に亡くなっていた場合には、Xが死亡したときに信託は終了する。終了すると帰属権利者であるAにアパート・自宅・現金が帰属することになる。この際、アパートや自宅の登記について信託抹消登記をすることとなる。預金も信託口を閉鎖し、A名義の預金に振り替えることとなる。

信託終了時にはAに相続税が課される。信託設定時においては受益者であるXが実質的な所有者であると税法が見ていることは前述したが、税法は信託終了時点においては帰属権利者であるAに信託財産が遺贈されたと見るからである(相続税法第9条の2第4項)。
このような民事信託のスキームの特徴を述べたい。

(1) まず手続きについてであるが、成年後見制度では家庭裁判所の審判を経て成年後見人が付されるなど家庭裁判所が関与するが、民事信託ではそのような手続きは存在しない。その意味では手続きは簡素である。ただ、公正証書の作成や登記、信託に関する年一回の定期的な計算書類等の作成(信託法第37条)、税金の申告や納税があり、単に親の財産の面倒を子が見るという以上の手間がかかることに注意が必要である。

(2) 次にコストであるが、成年後見人に専門職がついた場合には通常月額2~6万程度の報酬を要する8。一方で民事信託において報酬支払は義務ではない。親子の関係であれば無償というのでも差し支えないのでコストとしては安く済むともいえる。なお、甥姪などが受託者になるような場合には成年後見制度程度の報酬支払を行うことも考えられる。
 
(3) 民事信託の大きなメリットとしては、成年後見では被後見人の利益になる取引しか成年後見人は行えないが、民事信託ではある程度の自由が利くという点が挙げられる。民事信託でも利益相反行為の禁止があるが、信託契約に定めた目的に反しない限りではという制限はあるものの、相続対策や住居の売却、アパートの建て替えなど成年後見人制度ではハードルが高いとされる取引行為も信託では容易である(信託法第31条)。
 
(4) また、このスキームは相続対策を兼ねている。信託をすることで信託財産は遺産分割の対象から除外されることとなるため、この事例では自宅・アパートは遺産分割協議によらず確実にAに継承されることとなる。Y死亡の時点でAが実質上も自宅・アパートの所有者となるとみなされ、Aに相続税が課される。

留意したいのはAのほかに相続人がいるケースである(Aに弟Bがいるようなケース)。その場合にはBが遺留分を主張してきて、Aが遺留分減殺相当額を支払うこととなる可能性がある9。そのためには、一部現金や有価証券などを別に用意しておいて、これらをBに残すように遺言をしておくことが考えられる。
 
(5) このスキームは高齢者の消費被害や投資被害の防止にもつながる。判断力の衰えた高齢者の資産保護のためにも有用である。なお、昨今、信託銀行でも親族の同意がなければ、払戻ができないようなサービスもある10
 
(6) 一方で限界もある。民事信託では受託者は信託財産についてのみ権限を持つ。受益者の代理権を持つわけではない。したがって判断能力がない場合においては、先に述べた施設への入居契約や入院契約、あるいは信託されていない預金や有価証券11などの取引に当たって、成年後見人を付して取引を行う必要がある。この意味では成年後見制度と補完させながらスキームを組んでいくのが一案である。
 
8 横浜家庭裁判所資料 http://www.courts.go.jp/yokohama/vcms_lf/seinenkoukenhousyuugaku230401.pdf
9 民法1028条。子が相続人の場合には、被相続人の財産の二分の一に自己の相続割合をかけたものを自己の遺留分として請求できる権利を有する。
10 信託銀行では解約制限付信託と呼ばれる商品を取り扱っており、払戻に親族の同意が必要であるほか、一定額を定期的に普通預金口座に払い込むなどの機能を有したものなどがある。
11 上場株式などを信託口として預かってくれる証券会社はあまりないようである。
 

4――おわりに

4――おわりに

本稿では寝たきり・認知症対策としての民事信託について解説を加えた。民事信託は事業承継対策にも活用できる。また、詳細を述べることはしないが、信託の方式を利用すれば次の次の世代への財産継承(たとえば子⇒孫)まで定めておくこともできる。ただ、最初に述べたとおり、未だ実務・法務等で未解決の部分もあり、現状、実際にスキームを組むに当たっては家族間でよく相談すると共に、税理士や司法書士などの専門家への相談は必須である。

留意すべきは、本稿で述べたスキームはあくまでXの意思能力が正常なときに組めるものという点である。Xが意思能力を欠くような場合は、やはり成年後見人を立てるほかはなくなる。また、民事信託を組んだ場合でも本文の通り、成年後見人が必要となる場合もある。
 
成年後見制度は被後見人の利益保護のために法律が厳重な手続きを課している。一方、民事信託は信託法改正を契機として、民間の工夫により出来てきた仕組みである。委託者・受益者は受託者を監督する権限を有しているものの、結局は受益者の利益保護は受託者への信頼というところにかかっている。未だ発展途上である民事信託が根付くかどうか、今後の動向に注目する必要がある。
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保険研究部   常務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長

松澤 登 (まつざわ のぼる)

研究・専門分野
保険業法・保険法|企業法務

経歴
  • 【職歴】
     1985年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所 内部監査室長兼システム部長
     2015年4月 生活研究部部長兼システム部長
     2018年4月 取締役保険研究部研究理事
     2021年4月より現職

    【加入団体等】
     東京大学法学部(学士)、ハーバードロースクール(LLM:修士)
     東京大学経済学部非常勤講師(2022年度・2023年度)
     大阪経済大学非常勤講師(2018年度~2022年度)
     金融審議会専門委員(2004年7月~2008年7月)
     日本保険学会理事、生命保険経営学会常務理事 等

    【著書】
     『はじめて学ぶ少額短期保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2024年02月

     『Q&Aで読み解く保険業法』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2022年07月

     『はじめて学ぶ生命保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2021年05月

(2019年02月18日「基礎研レポート」)

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