2019年01月10日

日本の農業政策-食料安全保障から考える政策点検

清水 仁志

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1――はじめに

2018年12月30日に環太平洋パートナーシップ(TPP1)協定が発効し、2019年2月1日には日EU経済連携協定(EPA2)が発効する。そして、2019年はじめには日米物品貿易協定(TAG3)に向けた交渉が行われる予定だ。通商交渉を行う際の重要な分野の1つが農業だ。日本は、海外からの安価な輸入品の流入による国内農業の衰退を避けたいと考えている。日米TAGの交渉を開始することで合意した2018年9月26日の日米首脳会談では、農林水産品については「TPP等過去の経済連携協定で約束した市場アクセスの譲許内容が最大限であること」を共同声明に記し、TPPを超える市場開放要求を封じている。しかし、通商交渉においては、農業を守ろうとすれば、その他の分野で相手国に譲歩しなければならなくなってしまう。実際に、日米首脳会談における自動車分野については「米国の自動車産業の製造及び雇用の増加を目指すものであること」と、米国からの要求が記されている。

本稿では、農業を守る理由の1つである「食料安全保障」の観点から、日本の農業政策について考えたい。
 
1 Trans-Pacific Partnership
2 Economic Partnership Agreement
3 Trade Agreement on goods
 

2――日本の食料自給

2――日本の食料自給

食料安全保障とは、人間の生命の維持に欠くことができない食料の安定的な供給を確保することだ。「食料・農業・農村基本法」においては、国内の農業生産の増大を図ることを基本とし、これと輸入及び備蓄を適切に組み合わせ、食料の安定的な供給を確保することとしている。つまり、日本の食料安全保障は、「国内生産」、「輸入」、「備蓄」の3つを組み合わせて、その実現を目指している。

日本の食料安全保障のひとつめの要となる「国内生産」の能力を測る指標として、食料自給率4がある。国内で消費している食品のうち、どれだけを国内生産でまかなっているかを示しており、この数値が高ければ海外への依存が低く、有事の際に食料安全保障上有利といえる。日本の食料自給率は、1961年時点では78%あったものが、日本人の食生活の多様化や農業就業者の減少等を背景に、直近の2017年では38%にまで低下し、G7の中でもひと際低い(図表1)。さらに、個別の品目をみると、主食用米の食料自給率は100%であるのに対し、豆類は7%など5、一部の品目はほぼ全てを海外からの輸入に依存している(図表2)。
(図表1)世界の食料自給率(カロリーベース)/(図表2)品目別食料自給率
(図表3)食料自給力指標 また、2015年に閣議決定された「食料・農業・農村基本計画」の中で、食料自給力という新たな指標が策定された。食料自給力とは、花などの非食用作物などを含む国内の全ての農地でカロリーが高い「いも類」や「米」等を栽培した場合、国民1人・1日当たりどれだけのエネルギー量を生み出せるかを示す。つまり、国内生産のみでどれだけの食料を生産することが可能か(食料の潜在生産能力)を試算するものだ。1人・1日当たりに必要な推定エネルギー量は、2,145kca6であり、いも類中心に栽培した場合は、それを上回るが、より現実的な米・小麦・大豆中心では、大幅に下回る結果となっている(図表3)。

日本の食料確保は、食料自給率が低いことに加え、食料自給力も必要水準に届かないことから、輸入に頼らざるを得ない状況にあるといえる。
 
 
4 食料自給率には、重量ベースで算出した食料自給率と、カロリーベースまたは生産額ベースで算出した総合食料自給率の3種類が存在する。本稿では、有事の際に国内生産でどれだけのエネルギーを確保できるかという観点から、カロリーベースの食料自給率を用いることとする。
5 重量ベース
6 1人・1日当たり推定エネルギー必要量とは、「比較的に短期間の場合には、『そのときの体重を保つ(増加も減少もしない)ために適当なエネルギー』」の推定値
 

3――今後の世界の食料需給と価格の見通し

3――今後の世界の食料需給と価格の見通し

次に、日本の食料安全保障のもうひとつの要である「輸入」と密接に関係する世界の食料事情について、需給動向から確認したい。

OECDや農林水産省の予測などによると、世界の食糧需給は今後も安定的に推移し、食料価格は現在の水準から急激に変化することはないと予想されている。世界の人口が増えることを主因に食料需要は増加するが、中国や新興国における1人当たり食料消費量は既に飽和しており伸び率はそれほど大きくない。一方で、供給面では、単位あたり生産量の増加を主因に堅調に推移するものと予想されている。OECD「OECD-FAO 農業アウトルック 2018-2027」では、今後10年間の実質食料価格は年1~2%の低下が予想されている。農林水産省「2027 年における世界の食料需給見通し(平成29年度)」では、実質価格は横ばいないし、品目によっては若干の上昇を予測しているが、いずれにしても大幅な上昇は予想されていない。以上から、世界の食料需給という観点では、今後も輸入による食料調達は安定的に確保できると思われる。
 

4――2008年の食糧危機

4――2008年の食糧危機

上述の通り、長期的に均してみれば今後も食料価格は安定するものと考えられるが、一時的な需給逼迫で食料価格が急騰することは、今後も十分に起こりうる。
(図表4)実質食料価格 10年前の2008年に起きた食糧危機では、小麦、大豆、米などの穀物価格が、2006年から2倍以上に上昇した(図表4)。世界的な人口増加、新興国での1人当たり消費量の増加、バイオ燃料の利用拡大などにより需要が急増する中で、ハリケーンや干ばつによる不作で供給が減少。更に穀物相場や原油相場の投機が加わり、食料価格が急騰した。生産国が輸出規制をかけたことで、食糧が確保出来なくなった発展途上国では暴動やデモが起き、中米ハイチでは政権交代を招いた。
(図表5)世界のGDP構成 この時、日本は、米の自給率が100%であることや円高が進行したことなどから、食糧危機の影響を辛うじて免れている。しかし、この10年で日本を取り巻く世界の情勢は大きく変わった。中国やインドをはじめとする新興国の台頭と、それに伴う日本の世界経済に占めるシェア低下はそのひとつである(図表5)。中国は既に日本を大きく上回る経済規模となる等、日本はこれら国々と競合しながら食料を確保しなければならなくなるのだ。また、米国が保護主義に傾倒する中で、これまで日本の安定的な食料輸入を支えてきた多国間自由貿易体制の存続が危ぶまれている。自由でオープンな多国間の枠組みから特定の国に偏重する二国間の枠組みに移行すれば、平時はよいとしても危機時における食料の安定確保が難しくなる。今後、大規模な食糧危機が起こった場合、日本の食料輸入がより深刻な状況に直面する可能性は否めない。
 

5――食料安全保障から考える農業政策

5――食料安全保障から考える農業政策

以上に述べたように、国内生産のみでは需要を充たしきれず、頼みの綱となる食料輸入も常に不確実性と隣り合わせというのが、日本の食料安全保障を取り巻く厳しい現状である。この現状を克服する為に、国内生産と輸入の両面でバランスの取れた実効性の高い食料政策が不可欠となる。ただ、近年に発表された「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針)を見ると、2014年以降3年連続で「食料安全保障の確立」という文言があったが、2017年には削除された。2018年の骨太には復活したものの、冒頭で掲げた通商交渉を控える中、いつまた見直しの機運が高まるかは予断を許さない。
1|安定的な輸入確保のための国際協調
食料の安定的な輸入確保を達成するためには国際協調が欠かせない。国土や気候などの制約が大きい農業においては、全ての国が国内生産で食料をまかなうよりも、一部の広大な土地を持つ国が大規模に生産する方が効率的だ。そのため、生産国が偏り、世界の農業の貿易収支は、米国や、オーストラリアを含むオセアニア等の一部の地域では黒字が拡大し、その他は赤字が大きくなっている(図表6、図表7)。また、農業大国と呼ばれる国においても、全ての食料を国内生産でまかなうことは非効率的であり、一部の品目については輸入に頼っている。日本以外の多くの国においても、食料安全保障上、安定的な輸入確保が重要になっている。

そうした中、日本は、多国間自由貿易を目指し、米国の離脱により頓挫しかけたTPPや、日欧EPAの発効に尽力することで、一定の成果を残しているといえるだろう。今後は、TPP加盟国の拡大や、東アジア地域包括的経済連携(RCEP7)の交渉などを通じ、世界全体での更なる協調の枠組みを構築していくことが重要だ。
(図表6)輸出上位5カ国の輸出シェア(2027年)/(図表7)農業の貿易収支
 
7 Regional Comprehensive Economic Partnership
2国内生産の位置づけ
安定的な食料の輸入確保に向けた国際協調が進む一方で、国内生産の強化に向けた取組みは道半ばだ。

前出の「食料・農業・農村基本法」が示す通り、国内生産の増大を図ることを基本としつつ、総合的に食料安全保障を確保することが必要だ。そのために、政府は「食料・農業・農村基本計画」で食料自給率目標を掲げ、農業の作付面積拡大、生産性向上に向けた取組みを行っている。しかしながら、過去を振り返ってみると、食料自給率は向上するどころか低下している。この実態を反映してか、2010年に策定された基本計画で目標50%と掲げられた食料自給率は、2015年の基本計画で45%に引き下げられた。

また、この食料自給率目標に対する考え方も変化している。過去、2000年、2005年の基本計画では、計画期間内の自給率目標こそ45%で現在と同じ水準であったが、本来であれば国民に提供される熱量の5割以上を国内生産で賄うことを目指すことが適当であるとしていた。しかし、直近の2015年の計画では、「最終的にどこまでを国内生産でまかなうべきか」という肝心な部分についての記載は削除されている。
(図表8)農業保護率(2017年) 現在、日本の農業は補助金頼みだといわれる。OECDが公表している、農業を補助金等でどれだけ保護しているかを示す指標(PSE:producer subsidy equivalent)では、日本(49.2%)はOECD平均(17.8%)のおよそ3倍だ(図表8)。これだけ手厚く保護をしているにもかかわらず、食料安全保障上、最終的に目指すべき国内生産の在り方については十分な議論が行われているとは言い難い。

達成できない目標設定は意味がないため、自給率目標の引き下げ自体は仕方のないことだが、最終的に目指す目標、即ち、描くべき国内生産の在り方次第で、より一層の国内農業強化に向かうべきか、それとも経済効率や費用対効果の観点から食料輸入を優先し、安定的な輸入確保に向けた通商交渉に注力すべきかが決まってくる。現在の基本計画での食料自給率目標が、最終目標に対してどの位置づけであるのかを明確にした上で、基本計画期間内における目標達成に向け、PDCAサイクルを回していく必要があるのではないだろうか。
 
 

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(2019年01月10日「基礎研レター」)

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