2018年12月05日

病理診断の展開-病理医は、臨床医療革新のカギを握っている

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

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(4) がん発症の仕組み
がん発症をひき起こすメカニズムについては、これまでにさまざまな研究が進められている。化学物質、放射線、ウイルス、細菌などが、特定の臓器に、がんを発症させる仕組みが解明されてきた。

1) 化学物質
かつて特定の職業で、作業者にがんが多発するケースがあった。これは、「職業がん」と呼ばれる。イギリスでは、産業革命時に煙突掃除作業員に陰嚢がんが多発した。また、日本を含む各国で、建築物に用いられていたアスベストの工事作業者が、中皮腫を多く発症した。

2) 放射線
放射線に被曝することで、遺伝子の突然変異が生じる場合がある。第二次世界大戦末期に、広島と長崎に投下された原子爆弾は、多くの市民に放射線被曝の影響をもたらした。その結果、戦後長期にわたり放射線による発がんをひき起こしたとされる67

また、原子力発電所の事故では、1986年に発生した旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所事故で、施設から近い地域において、放射線の感受性が強い子どもの甲状腺がん増加が問題となった68

このほか、太陽光の紫外線による日焼けが、皮膚がんなどをひき起こす危険性も指摘されている。
 
67 原爆症認定に関する「新しい審査の方針」(厚生労働省, 平成20年3月17日, 平成25年12月16日最終改正)によれば、悪性腫瘍(固形がんなど)と白血病について、被爆者救済及び審査の迅速化の見地から、現在の科学的知見として放射線被曝による健康影響を肯定できる範囲に加え、放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲を含め、「積極的に認定する範囲」が設定されている。
68 なお、2011年の東日本大震災で発生した福島第一原子力発電所の事故に伴い、福島県では、震災時に概ね18歳以下だった福島県民を対象とする甲状腺超音波検査(県民健康調査)を実施している。

3) ウイルス
子宮頸がんの発症と、ヒトパピローマウイルス(Human Papilloma Virus, HPV)の関係が知られている。日本では、女性の若齢者に対してウイルス感染予防のために子宮頸がんワクチンの接種が勧奨されていたが、ワクチン接種を受けた人の一部に深刻な副反応が生じたことから、現在は積極的勧奨が中断されている69

また、肝炎のうち、B型肝炎とC型肝炎は、それぞれのウイルスに感染することで発症するとされている。これらの肝炎は、慢性肝炎、肝硬変、肝細胞がんへと進行していく恐れがある。
 
69 現在も、公費助成による接種は可能。万一、接種後に重篤な有害事象が発生した場合は、予防接種法に基づく救済制度の申請が可能で、因果関係の審査の後、必要な補償が受けられる可能性がある。

4) 細菌
細菌では、胃がんの発症と、胃の粘膜に生息するヘリコバクター・ピロリ菌の関係が有名である。近年、ピロリ菌への感染が、胃がん発症の重要な要素となることが解明されてきている。このため、ピロリ菌の除菌が推奨されている。

病理医は、引き続き、病理診断を通じて、がんの診療に貢献していくことが求められる。あわせて、病理研究の面で、がんの新たな検査法の構築に寄与していくことも期待されている。
 

7――新たな医療デジタル技術の活用

7――新たな医療デジタル技術の活用

医療技術は、さまざまな面で進化を続けている。近年、特に、医療機器のデジタル化が進んでいる。そのうち、病理診断に関するものとして、AI(人工知能)と、バーチャル顕微鏡があげられる。

1|病理医はAIを上手に活用することが求められる
臨床医療にとって、病理診断の精度向上は重要である。近年、AIによる精度向上の取り組みが始まっている。2018年より、AIに病理画像を学習させて、病理診断を行わせるテストが開始されている70
 
70 2018年より、一般社団法人 日本病理学会は、国立情報学研究所と共同で、「AI病理画像診断システム」を開発している。AIによる診断は95%の精度を目標にしており、17の大学病院で同システムを実際に使って、病理医の診断結果と比較している。(「病気の診断に欠かせない『病理』を助けるAI(人工知能)」佐々木毅(東京大学, 再発転移がん治療情報 最先端がん治療紹介, 一般社団法人あきらめないがん治療ネットワークホームページ, 2018年10月31日)をもとに、筆者がまとめた。

(1) AIの判定の現状
AIの活用のためには、まず判定の精度向上がカギとなる。現状では、AIの判定は95%の精度を目標としている。この精度は、裏を返せば5%の誤りを生む結果となる。この水準では十分とはいえず、すぐにAIが病理診断を担う状況には至っていないとみられる。ただし、AIの診断精度は、今後、急速に上がっていくものと考えられる。人工知能システムそのものの性能が高度化するとともに、膨大な顕微鏡画像データを使ったAIの学習が進み、精度が向上することは間違いないとみられるためである。

(2) 病理医によるAIの活用
そこで、将来的にAIが病理医の職を奪うのではないか、という議論が生じている。診断の正確性の面だけをみれば、いずれAIが病理医を凌駕する状況が生じるものと考えられる。しかし、病理診断は、病理医としての責任を伴うものである。人間ではないAIが、病理診断に伴う病理医の責任まで肩代わりすることはできない。今後、診断の責任の問題は、検討が進められる必要があるだろう。

このように考えると、現在ただちに、AIが病理医にとってかわる状況ではない。当面は、病理医が精度の向上したAIを上手に活用して、診断品質の改善や、診断作業の効率化を進めることが考えられる。ひとり病理医の病院で、ダブルチェックのためにAIを活用するといったことも考えられる71
 
71 なお、AIが進化してもプレパラートの標本作製は必要と考えられる。このため、臨床検査技師の役割は残るものとみられる。一方、HE染色は必要なくなるかもしれない。AIがもっとも読み取りやすい形式で細胞像を評価できればよく、人間の眼からみた見やすさは考慮の必要がなくなるからである。(「いち病理医の『リアル』」市原真著(丸善出版, 2018年)を参考に、筆者がまとめた。) その場合、病理医のために、あえて染色作業を残すかどうか、議論が必要となろう。


2|バーチャル顕微鏡の活用で病理医不在を補うことが必要
医療技術の高度化の1つとして、顕微鏡による検体観察をデジタル化する「バーチャル顕微鏡」の開発が進められている。バーチャル顕微鏡には、「デジタル顕微鏡」、「遠隔顕微鏡」、「バーチャルスライド作製装置」の3つがある。いずれもプレパラートの標本データがデジタル化され、ディスプレー上での確認や、ハードディスク等でのデータ保存が可能となる72
 
72 ただし、こうした高性能の顕微鏡技術が導入されても、プレパラートの作製は、従来と同様に必要と考えられる。

(1) デジタル顕微鏡
デジタルカメラを介して、プレパラートをディスプレー上で観察できるようにした光学顕微鏡。人間の眼の代わりに、デジタルカメラで顕微鏡を見ることとなる。

(2) 遠隔顕微鏡
デジタル顕微鏡に電動ステージを設置して、インターネットによる遠隔操作により、ディスプレーで観察できるようにしたもの。

(3) バーチャルスライド作製装置
プレパラート全体を撮影して、デジタル画像にする装置のこと。作製されたデジタル画像はクラウドやハードディスク等に保存される。画像は、倍率変換や観察部位移動などの機能を持つ、ビューアソフトで観察する。

これらのバーチャル顕微鏡を活用することで、遠隔病理診断の可能性が高まるものと期待される73。たとえば、遠隔顕微鏡を用いて、手術中に採取された組織の標本を、遠隔地にいる病理医が診断する。これにより、病理医不在の病院における手術で術中迅速診断を行う「遠隔術中迅速診断」などの動きが広がっていくものとみられる。今後も引き続き、顕微鏡技術のデジタル化を進めて、病理医不足を補完し、病理診断の精度管理や効率性の向上を図ることが重要といえる。
 
73 2012年の診療報酬改定より、遠隔術中迅速診断を含む遠隔病理診断は、データ送信側・受信側の医療施設があらかじめ社会保険事務局に届け出るなどの基準を満たすことで、保険医療機関間の連携による病理診断として、保険適用されるようになっている。
 

8――おわりに (私見)

8――おわりに (私見)

本稿では、病理医の現状を俯瞰(ふかん)するとともに、病理診断の抱える課題や将来の動きなどについて、紹介していった。最後に、病理医に求められる変化について、私見を述べることとしたい。

(1) 病理医と患者のコミュニケーションを促すための仕組みをつくるべき
「自分の病気についてよく知りたい」「十分に理解して納得した上で治療を受けたい」といった患者のニーズは高まりつつある。病理診断を行った病理医は、臨床医とは異なる立場から、患者に対して病状の説明をすることが可能である。今後、患者のニーズを満たし、病理医と患者のコミュニケーションを促進するために、病院に病理外来窓口を設けるなど、仕組みづくりを進めるべきと考えられる。

(2) 病理医は、既存の病理診断技術と、新たな医療デジタル技術の融合を図るべき
これからますます、AI、バーチャル顕微鏡などの、医療デジタル技術の開発や高度化が加速していくであろう。これらの技術は、病理医をさまざまな形でサポートする可能性が高い。病理医に対しては、これまでに築いてきた病理診断の専門技術と、これらの新しい医療技術を融合させて、病理診断の精度向上や、業務の効率化につなげていくことが求められるものと考えられる。

(3) 新たな臨床医療を進めるために、病理医の育成・拡充を進めるべき
臨床医療では、遺伝子検査の活用などを通じて、患者の病状に合わせて効果的な治療を行う精密医療や個別化医療が進んでいくものとみられる。こうした新たな医療を進めるためには、病理医が、遺伝子を含めた病理診断の精度を向上させることが不可欠といえる。現在、病理医となる若手医師の数は、限られている。今後は、その育成・拡充を進めていくことが必要と考えられる。

今後、臨床医療において、病理診断を中心とした病理医の役割に対する期待は、ますます高まっていくものとみられる。引き続き、病理医を巡るさまざまな動向を注視していくこととしたい。

【参考文献・資料】

(下記1~6の文献・資料は、包括的に参考にした)
  1. 「好きになる病理学」早川欽哉著(講談社サイエンティフィク, 2004年)
  2. 「図解入門 よくわかる 病理学の基本としくみ」田村浩一著(秀和システム, 2011年)
  3. 「患者さんに顔のみえる病理医からのメッセージ ~あなたの『がん』の治し方は病理診断が決める!~」堤寛著(三恵社, 2012年)
  4. 「こわいもの知らずの病理学講義」仲野徹著(晶文社, 2017年)
  5. 「症状を知り、病気を探る 病理医ヤンデル先生が『わかりやすく』語る」市原真著(照林社, 2017年)
  6. 「いち病理医の『リアル』」市原真著(丸善出版, 2018年)
 
(下記の文献・資料は、内容の一部を参考にした)
  1. 「社会医療診療行為別統計」(厚生労働省)
  2. 「社会医療診療行為別調査」(厚生労働省)
  3. 「年度別の剖検数」(一般社団法人 日本病理学会ホームページ)
    http://pathology.or.jp/kankoubutu/all_hyou.html
  4. 「死因究明のさらなる向上を目指して  1.医療における病理解剖-剖検率低下を考える」深山正久(第110回日本内科学会講演会 パネルディスカッション)
  5. 「人口推計」(総務省)
  6. 「医療施設調査」(厚生労働省)
  7. 「医師・歯科医師・薬剤師調査」(厚生労働省)
  8. 「医療法等の一部を改正する法律の一部の施行に伴う厚生労働省関係省令の整備に関する省令」(平成30年厚生労働省令第93号, 平成30年7月27日公布)
  9. 「個別改定項目について」(厚生労働省, 診療報酬改定)
  10. 「病理検査報告書作成は医行為か? -『国民のためのよりよい病理診断に向けた行動指針2015』における意味」佐々木毅(東京大学, 日本医事新報社 Web医事新報, No.4803)
  11. 「高齢者介護施設における感染対策マニュアル」(平成24年度 厚生労働省老人保健事業推進費等補助金(老人保健健康増進等事業分), 2013年3月)
  12. 「ヒトゲノム・遺伝子解析に関する倫理指針」(文部科学省、厚生労働省、経済産業省、三省合同, 2001年3月)
  13. “An estimation of the number of cells in the human body” Eva Bianconi et al. (Annals of Human Biology, 2013)
  14. 「がん対策について」(厚生労働省ホームページ, 政策レポート(2012年))
    https://www.mhlw.go.jp/seisaku/24.html
  15. 「新しい審査の方針」(厚生労働省, 平成20年3月17日, 平成25年12月16日最終改正)
  16. 「病気の診断に欠かせない『病理』を助けるAI(人工知能)」佐々木毅(東京大学, 再発転移がん治療情報 最先端がん治療紹介, 一般社団法人あきらめないがん治療ネットワークホームページ, 2018年10月31日)
    https://www.akiramenai-gan.com/medical_contents/column/78431/
  17. 「広辞苑 第七版」(岩波書店)
  18. 「デジタル大辞泉」(小学館)
  19. 「ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版」(ブリタニカ・ジャパン)
 
(なお、下記2編の拙稿については、本稿執筆の基礎とした)
  1. 「医療・介護の現状と今後の展開(前編)-医療・介護を取り巻く社会環境はどのように変化しているか?」篠原拓也(ニッセイ基礎研究所 基礎研レポート, 2015年3月10日)
    http://www.nli-research.co.jp/files/topics/42282_ext_18_0.pdf
  2. 「医療・介護の現状と今後の展開(後編)-民間の医療保険へはどのような影響があるのか? 」篠原拓也(ニッセイ基礎研究所 基礎研レポート, 2015年3月16日)
    http://www.nli-research.co.jp/files/topics/42289_ext_18_0.pdf
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保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1992年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所へ

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員

(2018年12月05日「基礎研レポート」)

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