2018年10月31日

健康経営の論点を探る-政策・制度的な視点で関係者の役割を再整理する

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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1――はじめに~健康経営の論点とは何か~

従業員の健康づくりに力を入れる「健康経営」*に対する関心が高まっている。政府としても企業を表彰するなど力を入れているほか、中小企業を含む多くの会社で様々な取り組みが進んでおり、「どうやって健康経営を進めるか」という議論も盛んになっている。業種や規模、従業員の働き方などに応じて、従業員の健康づくりに向け対応策が異なる以上、現場は試行錯誤せざるを得ない中、先進事例から学ぶことは重要である。

しかし、一層の拡大を図る上では、関連する政策・制度に立ち返った議論も求められる。さらに、健康経営の目的としても医療費適正化や新産業の育成など様々な点が論じられており、「何のための健康経営か」「健康経営は誰のためか」といった点を改めて議論する必要性を感じている。

本レポートでは、健康経営に対する関心が高まった経緯を考察するとともに、その目的を改めて問う。さらに、職場に出勤しているのに心身状態の悪さから生産性を上げられない「プレゼンティーズム」(presenteeism)という考え方を重視することで、単なる医療費適正化や生活習慣病対策にとどまらない論点の必要性を指摘する。その上で、健康保険法や労働安全衛生法など関連制度の考え方を踏まえつつ、経営者、従業員、保険者(保険制度を運営する主体)などのステークホルダー(関係者)に求められる役割を論じる。
 
* 健康経営はNPO法人健康経営研究会の登録商標。
 

2――健康経営の経緯

2――健康経営の経緯

1健康経営を巡る「骨太方針」「日本再興戦略」の表現
まず、健康経営を巡る経緯から考える。政府は毎年6~7月、「経済財政運営と改革の基本方針」(以下、骨太方針)を閣議決定することで、次年度の予算編成の骨格を定めるとともに、中長期的な経済財政政策の方向性を示している。ここでは、骨太方針の文言の変遷を見ることで、健康経営に向けて政府のスタンスがどう変わったか読み取ることとする。

自民党が政権に返り咲いた後、初めて策定した2013年6月の骨太方針では健康寿命の延伸などに言及しているが、「健康経営」の文言は見られない。さらに、2014年6月の骨太方針でも「規制改革等を通じて民間活力を発揮させ、健康関連分野における多様な潜在需要を顕在化させることで、経済成長の活力としていく」していたが、「健康経営」という言葉を使っていない。

しかし、2015年6月に閣議決定された骨太方針では「民間事業者も活用した保険者によるデータヘルスの取組について、中小企業も含めた企業による健康経営の取組との更なる連携を図り、健康増進、重症化予防を含めた疾病予防、重複・頻回受診対策、後発医薬品の使用促進等に係る好事例を強力に全国に展開する」として健康経営という言葉が使われている。

一方、骨太方針と同じ時期に閣議決定されている「日本再興戦略」はどうか。戦略が2013年6月に初めて策定された際、「自治体や企業による市民や社員の健康づくりに関するモデル的な取組を横展開」といった文言が見られるが、「健康経営」という言葉を使っていない。しかし、2014年6月に改訂された際、「健康経営に取り組む企業が、自らの取組を評価し、優れた企業が社会で評価される枠組み等を構築することにより、健康投資の促進が図られるよう、関係省庁において年度内に所要の措置を講ずる」という文言が入り、健康増進に関する取り組みを会社同士で比較できる指標の開発、健康経営に積極的な会社を指定する「健康経営銘柄」の設定などを施策として示した。以上のように考えると、健康経営は2014年~2015年から政策として本格的に取り上げられてきたと言える。

では、この頃に何が起きたのだろうか。大きな変化として、経済産業省を中心とした施策が本格化したことが考えられる。例えば、経済産業省は健康経営に関するガイドブックを2014年10月に初めて作成1したほか、日本再興戦略の規定に沿って、東京証券取引所と合同で2015年3月、従業員の健康づくりに取り組んでいる会社を認定する「健康経営銘柄」を初めて公表、これらの周知を図るイベントとして「健康経営アワード」も始めた。

さらに、官民一体で健康づくりに取り組む組織である「日本健康会議」が2015年7月に発足し、ここで採択された「健康なまち・職場づくり宣言2020」では、健康経営に取り組む企業を500社以上とする方針などを定めた2

以上の経緯を踏まえると、「健康経営」という言葉が政策論議で使われ始めたのは2014~2015年頃であり、経済産業省を中心とした動きと理解して良いであろう。

言い換えると、健康経営は厚生労働省からスタートした政策ではない。この点については、厚生労働省を中心に進めている「健康日本21」の動向を見ても理解できる。例えば、健康づくりに向けて関係者の役割などを盛り込む形で、2013年4月に改定された「健康日本21」3では「国民、企業、民間団体等の多様な主体が自発的に健康づくりに取り組むことが重要」などと企業の役割に言及しているが、「健康経営」の文言は出ておらず、厚生労働省が主導しようとした形跡は見受けられない。その意味では、健康経営は社会保障政策ではなく、産業政策としての側面が強い。
 
1 2014年10月作成の「企業の『健康投資』ガイドブック」。
2 ここでは詳しく述べないが、健康経営銘柄とは別に、日本健康会議が2016年度にスタートさせた「健康経営優良法人認定制度」では、対象を大企業だけでなく、未上場企業や中小企業に拡大し、健康経営に取り組む法人を認定している。各健康保険組合の取り組みをスコア化する「健康スコアリングレポート」も2018年度から始まった。
3 正式名称は「国民の健康の増進の総合的な推進を図るための基本的な方針」。2008年に初めて策定された。
2新聞記事に見る社会の関心
では、健康経営に対する社会の関心はどのように推移したのだろうか。結論を先取りすると、骨太方針に初めて規定された2015年前後と思われる。それを理解できるのが図1である。

これは『日本経済新聞』『朝日新聞』『読売新聞』のデータベースを用い、「健康経営」という単語の登場回数を分析した結果であり、ここから分かる点は3つある。

第1に、『日本経済新聞』の動きから言える点である。データベースの検索及び図1の作成に際しては、『日本経済新聞』を2つに分けて示している、具体的には、一般読者の目に触れやすい『日本経済新聞』の朝刊と夕刊、そして地域面を合計した「日経新聞」と、これらに加えて企業経営に特化した『日経産業新聞』『日経MJ』など専門紙も加味した「日経全体」に区分した。

その結果、図1の通りに「日経全体」が「日経新聞」よりも先行して増えている様子が分かる。これは産業界向け専門紙の『日経産業新聞』が「健康経営ココロとカラダ」という連載を2009年10月から2012年12月まで掲載し、1回1社ずつ健康経営の取り組みを紹介したことが影響している。
図1:新聞各社における「健康経営」の登場回数(2008年以降) つまり、健康経営に対する関心は産業界で先行的に高まり、その後に人口に膾炙するようになったと考えられる。

実際、研究者による一般書4が2010年10月に発刊されており、2012年6月に東京大学で「健康経営ユニット」が発足していることも考慮すると、産業界や研究者の間では先行して話題になり始め、少し遅れて2014~2015年頃から社会に広がった可能性を指摘できる。

第2に、日経産業新聞などの影響を除いた「日経新聞」と、『朝日新聞』『読売新聞』は2015年から伸びている点である。この点については、先に触れた通り、経済産業省を中心とした政策論議に「健康経営」の言葉が使われ始めたことが反映している。

第3に、『朝日新聞』『読売新聞』と日経産業新聞などの影響を除いた「日経新聞」を比べると、圧倒的に「日経新聞」の伸び幅が大きい点である。これは経済に力点を置く『日本経済新聞』と、一般読者を想定した『朝日新聞』『読売新聞』の読者層の差であり、健康経営に対して関心を持っているのは、『日本経済新聞』を頻繁に手に取る企業経営者や勤め人である可能性を指摘できる。
 
4 田中滋・川渕孝一・河野敏鑑編著(2010)『会社と社会を幸せにする健康経営』勁草書房。
3政策の動向、新聞記事の動向から言えること
以上、健康経営を巡る政策の行動、新聞記事の登場回数を分析してきたが、(1)「健康経営」という言葉は2014~2015年頃から政策論議で使われ始めた、(2)その中心は厚生労働省ではなく、経済産業省だった、(3)研究者や経済界では2009~2010年頃から先行的に論じられていた、(4)「健康経営」の関心は経営者や勤め人から高まり始めた――といった点を指摘できる。
4健康経営に対する関心が高まっている理由
では、なぜ健康経営に対する関心が高まったのだろうか。旗振り役の経済産業省の資料を見ると、健康経営の目的として、「公的保険外の予防・健康管理サービスの活用(セルフメディケーションの推進)を通じて、生活習慣の改善や受診勧奨等を促すことにより、(1)国民の健康寿命の延伸、(2)新産業の創出、(3)あるべき医療費・介護費の実現」を挙げている5

この文言を文字通りに理解すると、(1)は健康づくり政策、(2)は産業政策、(3)は医療・介護費の適正化策という側面を持っていることになる。いずれの点も社会的に必要なことであり、健康経営に対する関心が高まっている背景と言えるかもしれない。

しかし、3つの目的を1つの政策に内在させると、政策の目的をあいまいにする危険性がある。例えば、「健康経営で言われている『健康』とは誰のためか」という視点で見ると、(1)は主に従業員の満足度を引き上げるため、(2)は経済あるいは関連産業の発展のため、(3)は医療費や介護費用を抑制するため、という論理になる。

このように異なる目的が併存することは政策の曖昧さに繋がる可能性がある。以下、健康経営の定義を踏まえつつ、健康経営で求められる視点を再考したい。
 
5 経済産業省資料「健康経営の推進について」参照。
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/downloadfiles/180710kenkoukeiei-gaiyou.pdf
 

3――健康経営で求められる視点の再考

3――健康経営で求められる視点の再考

1健康経営の定義と論理構造
NPO法人健康経営研究会の定義によると、「『企業が従業員の健康に配慮することによって、経営面においても大きな成果が期待できる』との基盤に立って、健康管理を経営的視点から考え、 戦略的に実践することを意味しています。 従業員の健康管理・健康づくりの推進は、単に医療費という経費の節減のみならず、生産性の向上、従業員の創造性の向上、企業イメージの向上等の効果が得られ、かつ、企業におけるリスクマネジメントとしても重要です」としている6

一方、経済産業省の定義は「従業員等の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践することです」としており、「企業理念に基づき、従業員等への健康投資を行うことは、従業員の活力向上や生産性の向上等の組織の活性化をもたらし、結果的に業績向上や株価向上につながると期待されます」と強調している7。2つは微妙に表現が異なるが、その論理構造を要約すると、「会社が経営戦略の一環として健康づくりに取り組む→従業員の活力向上→会社の生産性向上や組織の活性化→業績向上や株価上昇」と整理できる。

これを先に言及した経済産業省の3つの目的、つまり「(1)国民の健康寿命の延伸、(2)新産業の創出、(3)あるべき医療費・介護費の実現」と整合させると、食い違いが発生することにならないだろうか。健康経営研究会や経済産業省の定義には医療・介護費の適正化や新産業の創出といった目的は入っていないためである。

では、どちらを重視すべきだろうか。筆者個人の意見としては、「会社が経営戦略の一環として健康づくりに取り組む→従業員の活力向上→会社の生産性向上や組織の活性化→業績向上や株価上昇」という論理構造が望ましいと考える。この点については、英語で健康経営が「Health and Productivity Management」(直訳すると「健康と生産性の管理」)と表記されている点からも理解できる。言い換えると、健康経営が「投資」と考えられていることが重要である。

この点については、政府の「働き方改革」と符合する部分がある。例えば、2017年3月に決定された「働き方改革実行計画」では、日本企業の付加価値や生産性を向上させる方策として、「誰もが生きがいを持って、その能力を最大限発揮できる社会を創ることが必要」と指摘している。

以上のように考えると、医療費適正化や新産業の創出といった目的は「副産物」に過ぎず、従業員の健康づくりと生産性向上が中心に据えられなければならない。
 
6 健康経営研究会ウエブサイト参照。
http://kenkokeiei.jp/whats
7 経済産業省ウエブサイト参照。
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/kenko_keiei.html
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

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