2018年10月31日

健康経営の論点を探る-政策・制度的な視点で関係者の役割を再整理する

保険研究部 准主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任   三原 岳

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2「健康」の定義
では、ここで言う「健康」とは何だろうか。健康の定義は曖昧であり、感染症が疾病の中心だった頃と比べると、「健康」「不健康」の線引きは不鮮明である8。健康とは単に「病気がない状態」ではないし、健康論の古典的な書籍を引用すると、「完全で積極的な健康という考えは、人間のこころのユートピア的な創造物である。人間の生活に、闘い、失敗、あるいは苦悩が入りこまないというまでに、人間がその環境に完全に適応し切ることは決しておこらないだろうから、この考えが現実のものとなることはありえない」のである9

つまり、健康経営で求められる「健康」とは単に「病気のない状態」を目指す健康づくりだけでなく、従業員を取り巻く勤務環境を整備したり、働きやすい職場づくりを進めたりすることではないだろうか。さらに、心身に不具合を感じている人や、病気や障害のある人を排除する「健康づくり」であってはならない。

具体的には、従業員の健康や会社の生産性を損なっている「プレゼンティーズム(presenteeism)」という概念がカギを握ると考えている。以下、東京大学政策研究ビジョンセンターの研究成果10などを用いつつ、その重要性を論じていく。
 
8 詳細は拙稿レポート2018年9月30日「健康とは何か、誰のために健康づくりか」を参照。
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=59710?site=nli
9 Renē Dubos(1965)“Man Adapting”〔木原弘二訳(1970)『人間と適応』みすず書房p275〕。
10 東京大学政策ビジョン研究センター健康経営研究ユニットのウエブサイト参照。
http://pari.u-tokyo.ac.jp/unit/hpm.html
3健康関連総コストの可視化
プレゼンティーズムとは、従業員の病欠を指す「アブセンティーズム(absenteeism)」から作られた造語である。その意味は「精勤ぶりの誇示」「フルタイムよりもパートタイムで働くことに消極的になること」など9つの異なる文脈で使われている11というが、ここでは東京大学政策研究ビジョンセンターの研究内容に従って、「何らかの疾患や症状を抱えながら出勤し、業務遂行能力や生産性が低下している状態」という定義で議論を進めたい。

そして、いくつかの研究ではプレゼンティーズムが従業員の健康状態と会社の生産性を下げていると指摘している。その一例として、東京大学政策研究ビジョンセンターが2016年2月に公表した試算を挙げることができる12。試算によると、医療費、健康保険の傷病手当金、労働災害保険の補償費(労災給付金)など直接的なコストに加えて、アブセンティーズム、プレゼンティーズムなどの間接的なコストを総称して「健康関連総コスト」と位置付けつつ、その割合を可視化したところ、プレゼンティーズムが約8割を占めたという。

具体的には、従業員1人当たりの医療費は2014年度平均で11万3,928円、傷病手当金の平均は7,328円、労災給付金の平均は6,870円となったほか、アンケートベースで把握した病欠日数に総報酬日額を乗じた額をアブセンティーズムの平均損失額と見なしたところ、3万1,178円となったという。
図2:健康関連総コストの割合 しかし、最も大きい割合となったのは「相対的プレゼンティーズム」である。この試算ではWHO(世界保健機関)の計算方法を基に、従業員に対して「過去4週間で自分の業務処理能力は最も優れた同僚と比較してどの程度だったか」などの点を聞き、同様の仕事に携わっている人とのパフォーマンスの差を示すことで、損失額を弾き出しており。その結果として平均56万4,963円となったという。

その上で、上記の試算を集計、可視化したのが図2であり、医療費は15.7%、労災補償費と傷病手当金は1%前後、アブセンティーズムが4.4%にとどまった一方、相対的プレゼンティーズムが8割近くを占めたという。

こうしたホワイトカラーの不健康による損失の測定には困難が多い。例えば、損失額を従業員や職場の生産性低下で測るのか、それとも医療費を重視して計算するのかという論点があるほか、医療費などの直接的なコストとプレゼンティーズム、アブセンティーズムの関係性など不明確な点も多く、一層の検証や議論が必要である13

しかし、同様の結果はいくつかの研究14でも示されており、プレゼンティーズム対策の重要性という点で共通している。

つまり、「健康経営」という言葉から想起する健康づくりとしては、生活習慣病を防ぐ運動を想起するかもしれないが、医療費適正化に繋がるような対策だけでは限定的であり、プレゼンティーズムを解消する取り組み、あるいは全体の円グラフを小さくするような取り組みが求められることになる。
 
11 Gary Johns(2010)“Presenteeism in the workplace”Journal of Organizational Behavior Vol.31 No.4,pp519-542.
12 東京大学政策ビジョン研究センター健康経営研究ユニット(2016)「健康経営評価指標の策定・活用事業成果報告書」(2015年度健康寿命延伸産業創出推進事業)。図2のサンプル数は3組織、3,429件。
13 実際、政府の資料などで頻繁に引用されている健康関連総コストの図の原典には「Unpublished data from a large big  financial services corporation」と出ており、プレゼンティーズムによる損失の計算方法を含めて、健康と生産性の関係については一層の検証を要する。
14 例えば、Tomohisa Nagata et.al(2018)”Total Health-Related Costs Due to Absenteeism, Presenteeism, and Medical and Pharmaceutical Expenses in Japanese Employers”Journal of Occupational and Environmental Medicine,Vol.60 No.5,pp273-280では、製薬メーカー4社についてデータを収集・分析し、プレゼンティーズムが64%、アブセンティーズムが11%、外来医療が13%、外来薬剤費が8%、入院医療費・薬剤費が4%と算出している。
プレゼンティーズムとメンタルヘルスの関係性
では、どのような対策が求められるのだろうか。プレゼンティーズムが生まれるプロセスについて、アメリカでは「隠れたコスト」として問題視する記事が早くから出ていた15ほか、過去に様々な研究が公表されており、従業員の勤務態度や性格、ストレスなど個人的な要因に加えて、職務上の要請や給与体系など職場の環境も影響すると考えられている16

特に従業員の健康づくりや会社の生産性という視点で、関心が高いのはメンタルヘルスであろう。海外ではメンタルヘルスを重視しつつ、プレゼンティーズムの削減が必要という議論が出ている17ほか、「不十分なメンタルヘルスが生産性低下の最も大きな理由になりつつある」と結論付ける研究が見られる18

日本でも厚生労働省の2017年版「労働安全衛生調査」によると、過去1年間にメンタルヘルスの不調で連続1カ月以上休業した労働者の割合は0.4%、退職に至った人は0.3%に上るという。こうした労働者は上記の分類に沿うと、アブセンティーズムに該当しており、休業や退職という事態に至っていないものの、メンタルの不調でプレゼンティーズムの状態になっている労働者は多いと考えられる。
 
15 例えば、Paul Hemp(2004)"Presenteeism" Harvard Business Review[スコフィールド素子訳(2006)「プレゼンティーズムの罠」『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・デビュー』2006年12月号]。
16 例えば、Eric Gosselin et.al(2013)“Presenteeism and Absenteeism”Journal of Occupational Health Psychology, Vol.18 No.1, pp75-86では、組織的な要因、個人的な要因、人口動態などが影響し、プレゼンティーズムとアブセンティーズムが生み出されるとしている。一方、Gary Johns(2010)“Presenteeism in the workplace”Journal of Organizational Behavior Vol.31 No.4,pp519-542では、ストレスや個性、個人的要因、病気を生み出す悪い要因に加えて、職務上の要請や給与体系、欠勤や出勤に関する会社の文化、交代要員の有無などが影響し、プレゼンティーズムとアブセンティーズムを作り出すと論じている。
17 Centre for Mental Health(2011)“Managing presenteeism” A discussion paper.
18 Marco Hafner et al.(2015)“Health, wellbeing and productivity in the workplace” RAND Corporation.
5関係者が連携する必要性
では、プレゼンティーズム対策を含めて、健康経営を進める上で、どんな対応策が必要なのだろうか。企業内の健康増進と生産性向上について、(1)ヘルスケア領域、(2)労働安全衛生、(3)健康管理(予防とウエルネス)、(4)人的資源開発――という4つの領域があるとして、相互に連携させる必要性を指摘する意見が出ている19通り、会社の関係部署の連携、さらに従業員を含めた企業内外の関係者との連携が求められる。

その上で一つのヒントになるのがイギリスの「BITCワークウェルモデル」(BITC Workwell Model)である20。その概要は図3の通りであり、中央の4つのパーツは取り組みの方向性を示しており、幸福に働ける環境づくりを意味する「Better Work」、関係者との対話や社会との接点を構築する「Better Relationships」、健康でより良い生活を維持するための専門的な介入を意味する「Better Specialist Support」、健康な行動を促す環境づくりを図る「Better Physical & Psychological Health」を挙げており、それぞれに取り組むべきベンチマークも掲げている。
図3:BITCワークウェルモデルの枠組み さらに、外側の円では経営サイドのメリットとして、「より良い関係性(Better Engagement)→より良い参加(Better Attendance)→より良い従業員の確保と採用(Better Retention&Recruitment)→より良いブランドイメージ(Better Brand Image)→より高い生産性(Higher Productivity)」の好循環が生まれると論じられており、ねずみ色の円は推奨される従業員の役割として、「他者との接点→ボランティア活動→自覚→活動的になること→学習の継続」を列挙している。

つまり、アブセンティーズム対策を含めて、健康経営の取り組みを進める上では、社会との接点を持ちつつ、従業員の主体的な参加や専門職の関与が重要と論じている。

それでは、日本の健康経営に関しては、どういった関係者が想定され、どんな役割が関係者に期待されるのだろうか。関連する政策・制度の考え方に依拠しつつ考えることとしたい。
 
19 Robert H.Rosen(1991)“The Healthy Company”[宗像恒次監訳(1994)『ヘルシー・カンパニー』産能大学出版部]を参照。
20 BITCとは「Business in the Community」の略であり、約850社で構成するイギリスの民間組織である。
 

4――健康経営を巡る関係者の役割

4――健康経営を巡る関係者の役割

1|健康保険法と労働安全衛生法の枠組み
健康経営には様々な法律や制度が絡むが、代表的な制度を整理すると、「保険」と「保健」に大別され、前者は健康保険法や高齢者医療安定確保法、後者は労働安全衛生法を挙げることができる。

このうち、健康保険法は医療保険に関する基幹的な法律として、医療保険の骨格を定めており、高齢者医療安定確保法は40~74歳を対象に腹囲などを測定する「特定健康診査(いわゆるメタボ健診)」の根拠となっている。

以下、主に健康保険法で想定している仕組みを述べることとしよう。健康保険法の枠組みでは、常時従業員700人以上の会社は健康保険組合(以下、健保組合)を設置できる21としているほか、常時従業員5人以上の事業所は協会けんぽへの加入を義務付けている。そして多くの場合、保険料は会社、従業員が折半しており、会社の負担は福利厚生の側面を持っている22

もう1つの労働安全衛生法は労働者の安全と健康保持、労働災害の防止を目的としており、労働災害を防ぐ具体的な措置として、機械設備や作業方法の安全化、健康診断の実施などを会社に義務付けている。さらに、従業員50人以上の事業場については、産業医を配置する義務があるほか、2015年12月施行の改正労働安全衛生法でも従業員が感じているストレスの状況などを簡易的に把握する「ストレスチェック」が義務付けられた。
図4:事業主、被保険者と健康保険組合の関係 両者に共通しているのは従業員の参画を意識している点である。具体的には、図4の通り、健保組合は経営者(事業主)と従業員(被保険者)の代表で構成する「組合会」が保険料の水準などの方針を決定し、原則として保険料を労使で折半する枠組みになっている。言い換えると、経営者と従業員による自治を仕組みとして内在している23
表1:安全委員会、衛生委員会の構成や内容 労働安全衛生法についても、労使協力の枠組みを想定しており、表1の通りに安全対策などを話し合う「安全委員会」、衛生環境の改善策などを協議する「衛生委員会」を組織する際、従業員と経営者の代表で構成するよう求めている24。労働安全衛生法の場合、実施義務は経営者サイドに課されるため、経営者と従業員の自治をベースとした健保組合と違う面があるが、制度の基本的な考え方として労使協力を想定している点を指摘できる。

このほか、保険者、産業医などの専門職、金融機関なども重要な関係者であり、健康経営の取り組みを充実させる上では、こうした関係者との連携が重要になってくると思われる。

以下、関係する制度・政策を踏まえつつ、経営者、従業員など関係者ごとに役割や留意点を整理する25。そのことを通じて、経営者が健康経営を進める際の論点が浮き彫りになると考えている。
 
21 同じ業種で3,000人以上の従業員で構成する「総合健保組合」という仕組みがある。
22 実際、健康保険組合連合会の調査では表1の通り、「健保組合の設立・加入の効果」として「健康増進と福利厚生を一体的に取り組むことができている」という回答項目に対し、「非常にそう思う」「そう思う」と答えた健保組合は計83.8%に達しており、他の回答項目と比較しても、「非常にそう思う」「そう思う」という合計では最多となっている。出典:高橋圭一郎(2010)「『医療政策と医療保険者に関するアンケート調査』結果からみた健保組合の姿」『健康保険』2010年7月号を参照。アンケートは複数回答可、「健康増進と福利厚生を一体的に取り組むことができている」という設問項目に答えたのは1,303組合。
23 このほか、事業主や従業員、医師などの専門職が保健事業の在り方などを話し合う「健康管理事業推進委員会」、保健事業の周知などを図る「健康管理委員」という枠組みがある。なお、仕組みとして自治が成り立ったとしても、これらの実施率を含めて、「健保組合の意思決定など運用面でどこまで従業員の参加が担保されているか」という点は別途、検証する必要がある。
24 安全委員会と衛生委員会は統合することが可能。
25 健康保険法では「事業主」「被保険者」、労働安全衛生法では「事業者」「労働者」といった言葉が使われるが、以下では原則として「経営者」「従業員」で統一する。
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保険研究部   准主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

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