2018年09月28日

健康とは何か、誰のための健康づくりなのか~医療社会学など学際的な視点からの一考察~

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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2|「不健康」な歴史からの示唆
ここで社会保障制度を巡る「不健康」な歴史を蒸し返したのは、国家が健康づくりに過度に介入するリスクを指摘するのが目的である。つまり「国民の健康づくりを進める」という外見が同じだったとしても、その目的や優先順位を取り違えると、国家による健康づくり政策は全体主義的な性格を持つ危険性を伴うのである。

具体的には、健康を単に「病気がないこと」とした場合、先天的に病気や障害がある人や、人生の過程で病気や障害がある状態になった人たちを社会から除外するリスクが高まる。さらに、健康づくりを「個人の健康」ひいては「個人の幸せ」ではなく、全体の利益を優先した場合、個人の健康を全体の利益に従わせようとした戦前の発想に近付く。世界最高水準のがん対策を実施した国が1930年代のドイツだった25事実を知ると、国家による健康づくり政策に諸手を挙げて賛成できなくなる。
 
25 Robert Proctor(1999)“The Nazi War on Cancer”〔宮崎尊訳(2015)『健康帝国ナチス』草思社文庫〕を参照。
 

6――メタボ健診をどう考えるべきか

6――メタボ健診をどう考えるべきか

1単純に「正常」「異常」を区分する問題点
その観点で見ると、40~74歳の人を対象に2008年度からスタートした特定健診・特定保健指導(以下、メタボ健診)は極めて問題が多い。そもそもの問題として、費用対効果は疑わしい点26は別にしても、今回は「健康とは何か」「誰のための健康か」という点で議論を進める。

メタボ健診は腹囲などのデータを調べ、一律かつ単純に「正常(健康)」と「異常(不健康)」を判断し、異常と判断された人に対して、栄養指導などを実施する枠組みである。生活習慣病になりそうな人に対する保健指導は重要だが、腹囲などのデータだけで「健康」または「不健康」を判断している考え方は乱暴ではないだろうか。前半で述べた定義に沿うと、健康とは生活習慣病に気を付けるだけでなく、メンタル面や周囲の環境改善も含めて、もっと幅広い概念で捉えられるべきだが、このように「健康」「不健康」を単純に線引きする考え方が度を越すと、先天的に病気や障害のある人を排除する「不健康」な社会になる危険性さえはらんでいる27
 
26 ここでは主題として取り上げないが、メタボ健診を含む健康づくりがマクロの医療費を減らしたというエビデンスは見当たらない。二木立(2015)『地域包括ケアと地域医療連携』勁草書房を参照。実際、メタボ健診は実施後10年を過ぎたが、マクロの医療費を減らしたという結果は報告されていない。例えば、2017年11月24日に開催された経済財政一体改革推進委員会第5回評価・分析ワーキンググループに提出された厚生労働省の資料を見ると、メタボ健診を通じて年間1人当たり約6,000円の医療費適正化効果があったとしているが、全体の1人当たり国民医療費(約33万円)から比べれば微々たる金額であり、栄養指導などに対する国庫補助の単価が約1万8,000円であることを踏まえると、コストだけ見れば全く割に合っていない。それにもかかわらず、メタボ健診が導入された背景には当時の政治情勢が影響している。小泉純一郎政権期に医療制度改革を議論した際、GDPに医療費を連動させる医療費総額管理論が浮上したことで、これに対抗するために厚生労働省が窮余の一策として出した対案であり、厚生労働省OBの堤修三は「従来の腰だめ的な対策で対応せざるを得ないことをカモフラージュする必要があった」と論じている。堤修三(2007)『社会保障改革の立法政策的批判』社会保険研究所p55。このほか、メタボ健診のようにリスクの高い人を抽出して介入する「ハイリスク戦略」に対する疑問が出ている。近藤克則(2010)『「健康格差社会」を生き抜く』朝日新書p188によると、ハイリスク戦略が成功するには、(1)ハイリスクの対象者が特定の少数に限られている、(2)ハイリスクの対象者を診断する方法が確立している、(3)ハイリスクの対象者に対し、長期間にわたって有効な予防・治療法が確立している、(4)ほとんど全てのハイリスクの対象者に予防・治療法を提供できる――の4点を満たす必要があるが、メタボ健診は②しか満たしていないという。
27 この点は筆者の指摘だけでなく、堤前掲書p211は「不健康な者・健康の保持に向けて自己管理ができない者は、文字通りに穀潰し(穀=経済)ということになる」「『健康』の観念がより多くの生きづらさを齎す(筆者注:もたらす)ことを恐れずにはいられない」と論じている。
2|健康は医療費を減らすためにあるのか?
メタボ健診の法的な論理構成も問題含みである。法的根拠は高齢者医療確保法に置かれており、国と都道府県が策定する医療費適正化計画に位置付けられている。言い換えれば、「生活習慣病の健診と結果に基づく保健指導→生活習慣病の抑制→国民の健康保持増進→平均在院日数の削減→高齢者医療費の適正化」というロジックに立っている。つまり、「医療費適正化のための健康づくり」を国家が国民に強いていることになる。

しかし、少し立ち止まって考えると、この論理のおかしさに気付かないだろうか。例えば、夜中まで深酒したり、ストレス解消のために暴飲暴食したりする「愚行」は誰しも経験しているだろう。その後、我々が後悔するのはなぜだろうか。ひとえに自分自身の健康悪化を心配するためであり、「数十年後の医療費を増やすことになるので、他人様に迷惑を掛けてしまう」と思えるほど人間は利他的かつ合理的ではない。医療費抑制は重要な課題だが、私たちが「健康を維持したい」と考えるのは自らの健康を第一に考えるためであり、医療費を減らすという全体の利益のためではないはずである。
3|誰のためのメタボ健診なのか?
さらに、メタボ健診にはカラクリがある。健診率や指導率を引き上げない場合、大企業の従業員が加入する健康保険組合(以下、健保組合)が「罰金」を支払う仕組みである。具体的には、75歳以上の高齢者が加入する後期高齢者医療制度に対し、健保組合を含む74歳以下の人をカバーする他の保険者(保険制度を運営する主体)は「後期高齢者医療制度支援金」(以下、支援金)として約40%の費用を拠出している。そして、健保組合に課される支援金についてはメタボ健診の実施状況に応じて最大10%増減する仕組みとなっている。言い換えると、健保組合はメタボ健診を実施しなければ、支援金の加算という「罰金」を取られるのである。

同じような仕組みは他の保険者にも導入されている。例えば、中小企業の従業員を想定した協会けんぽについては、被保険者と事業主の取り組みに関する評価結果を都道府県支部ごとの保険料率に反映する仕組みになっているほか、国保の「保険者努力支援制度」や後期高齢者医療制度の「調整交付金」もメタボ健診の実施率次第で国の補助金が増減する仕組みとなっている。

こうしたインセンティブの下で、各保険者が被保険者に対し、メタボ健診の受診を働き掛けるのは当然の行動である。しかし、それは一体、誰のための働き掛けなのだろうか。もし被保険者の幸せではなく、会社の保険料負担を減らす、あるいは国の財政支援を増やす目的だとすると、その場合の健康とは一体、誰のための、何のための健康なのだろうか。個人の健康や幸福よりも、「保険料を抑えたい」あるいは「国からの予算を増やしたい」という保険者の利益が優先されるのであれば、その健康づくりは主客が逆転していることになる。こうしたインセンティブ構造を内在している制度は問題である。
 

7――望ましい健康づくり政策のスタンス

7――望ましい健康づくり政策のスタンス

もちろん、国家が健康づくりに乗り出す意義を全て否定しない。実際、1947年のWHO憲章も健康づくりに関する国家と個人の協力に言及しているし、所得や教育水準の問題で必要な情報や医療資源にアクセスできない人に対する配慮は欠かせない。

この観点で近年、注目されているのが「健康の社会的決定要因」(Social Determinants of health)である。WHOの定義28によると、「人々が生まれ、成長し、働き、暮らし、そして年を取る条件であり、日常生活の条件を形成するより広範な力とシステム」であり、政治・経済システムや社会規範、開発政策なども含むとしている。つまり、個人の健康づくりだけでなく、個人を取り巻く生活環境が個人の健康に影響を与える点を重視している。

実際、健康の社会的決定要因に着目した調査結果が数多く公表されており、▽経済的貧困とは無関係な公務員でさえ、階層が死亡率に影響する、▽貧しい世帯に育った人の死亡率が高い、▽子ども時代の豊かさが栄養摂取や身体状況に影響を与える――といった研究結果が蓄積されつつある29ほか、「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本、Social Capital)」と呼ばれる地域の繋がりが強いと、住民の健康度や満足度が改善するという研究がある30

このほか、東京都足立区が実施している「子どもの健康・生活実態調査」では年収300万円未満などに該当する生活困難世帯の子どもはそれ以外の世帯に比べると、▽虫歯が多い、▽予防接種を受けていない、▽お菓子やジュースの摂取量が多い――などの傾向が見られる。さらに、2015年公表の「国民健康・栄養調査」では「低所得者は高所得者と比べて穀類の摂取量が多く、野菜類や肉類の摂取量が少ない」との結果が出ている。

こうした低所得者に対する情報提供や生活支援を含め、個人では解決しにくい「健康の社会的決定要因」を解消する上で、国や自治体しかできない分野は多い。民間企業、市民団体など関係団体と連携しつつ、国や自治体が今後、重点的に取り組むべきテーマである。

そして、ここでの健康づくりとは病気がある人を排除してはならないし、医療費適正化を期待するとしても「副産物」程度に考え、個人の幸福を中心に考えるべきである。
 
28 WHOウエブサイト“Social determinants of health”を参照。
http://www.who.int/social_determinants/sdh_definition/en/
29 近藤克則(2017)『健康格差社会への処方箋』医学書院、同(2005)『健康格差社会』医学書院、NHKスペシャル取材班(2017)『健康格差』講談社現代新書、Michael Marmot(2015)“The Health Gap”〔栗林寛幸監訳(2017)『健康格差』日本評論社〕、川上憲人・橋本英樹・近藤尚己編著(2015)『社会と健康』東京大学出版会などを参照。
30 例えば、Ichiro Kawachi et.al(2013)“Global Perspectives on Social Capital and Health”[高尾総司ほか監訳(2013)『ソーシャル・キャピタルと健康政策』日本評論社]などを参照。
 

8――おわりに~『智恵子抄』の一節に見る「健康」~

8――おわりに~『智恵子抄』の一節に見る「健康」~

「百を以て数へる枚数の彼女の作つた切絵は、まつたくゆたかな詩であり、生活記録であり、たのしい造型であり、色階和音であり、ユウモアであり、また微妙な哀憐の情けの訴でもある。彼女は此処に実に健康に生きてゐる」――。これは詩人で彫刻家の高村光太郎が妻・智恵子のために書いた詩集『智恵子抄』の一節である31。ここで光太郎は智恵子を「健康」と形容している。

しかし、晩年の智恵子は精神を病んでおり、客観的に見れば「不健康」だった。それでも精神病棟で美しい切絵を一心不乱に作り続け、生来の芸術センスを発揮した智恵子の切絵を見た瞬間、光太郎は「健康」と形容したのである。

この一文は「健康とは何か」という問いの難しさを示していると言えないだろうか。つまり、健康とは当事者にしか分からない曖昧さを持つのである。健康づくりの取り組み自体、意義深いが、専門職や国家が一律に健康、不健康を判断する弊害は認識される必要がある。

さらに、健康づくりの目的も慎重に考える必要がある。確かに高齢化で医療費が増える中、医療費適正化は重要な課題だが、美しく正しく映る健康づくり政策も、政策の優先順位を間違えたり、個人の自由との兼ね合いを逸したりした場合、全体主義に繋がる危険性を持つ。

あくまでも中心に据えるべきは個人の幸福であり、今後は「健康の社会的決定要因」に着目した健康づくり政策が求められる。
 
31 高村光太郎(1956)『智恵子抄』新潮文庫p146。
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

(2018年09月28日「基礎研レポート」)

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