2018年08月02日

精神医療の現状 (後編)-「治療同盟」のもとで、時間をかけた治療が行われる

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

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(5) マインドフルネス
1970年代に、アメリカの生物学者ジョン・カバット・ジンにより、マインドフルネスストレス低減法が体系化された。1990年代のはじめにマインドフルネス認知療法として、うつ病、不安障害、摂食障害などの患者の治療法がつくられた。その後、2000年代にイギリスでうつ病の治療に応用されて、治療法としての体系化が図られた。日本では、2010年頃より治療に取り入れられている。

マインドフルネスは、仏教の瞑想をヒントにしているが、宗教的な色彩は一切ないとされている。患者は、座禅や瞑想のポーズをとり、リラックスした状態で、呼吸に意識を集中させる。瞑想中に思い浮かぶ雑念や身体の痛み・かゆみに対して、「苦痛」、「かゆみ」などと名前をつけていく。これは、「ラベリング」と呼ばれる。そして、その過程を通じて、こうした雑念等に気づき、これを受け入れていく。つまり、ラベリングを通じて、不安や症状の軽減を図ることとなる。

(6) 森田療法
1920年頃、医学者である森田正馬(まさたけ)氏が編み出した治療法。不安障害などの治療に用いられる。ある感覚に対して過度に注意が集中すると、その感覚はより一層鋭敏になり固着する。感覚と注意は相互に影響しあって、ますますその感覚が拡大する悪循環に陥る。森田氏は、このような注意と感覚の悪循環の仕組みを「精神交互作用」と名付けた。この精神交互作用から脱するために、「あるがまま」のこころの姿勢を得ようとするものが森田療法とされる。

森田療法では、4つの期を設けて、各期の患者の行動内容を指定する。患者は、行動を通じて、不安や悩みなどを、あるがままに受け入れる。これにより、人が本来備えている自己治癒力を引き出す。そして、自己治癒力を高めることで不安や悩みなどに対処していく。
図表6. 森田療法の4つの期
3|表現療法として、芸術療法や箱庭療法がある
患者の持つ過去の葛藤や情緒的体験を自由に表現してもらうことで、ストレスの除去や低減を図る。芸術療法と箱庭療法が、代表的な表現療法といえる。

(1) 芸術療法
絵画、造形(陶芸など)、音楽といったさまざまな芸術により、表現活動を行い精神療法を進める。患者の表現欲の充足が図られるとともに、言葉では表現できないこころの葛藤を表すことも可能となる。また、芸術療法には、言語による表現が苦手な患者(子どもなど)でも、自分のこころを表現することができるという利点がある。

ただし、表現活動を拒否する人や、幻覚・妄想の強い人の場合、芸術療法により、かえって症状が悪化する恐れがある。このため、医師等による、治療効果の見極めが重要とされている。
図表7. 芸術療法の表現活動の形式 (主なもの)
(2) 箱庭療法
1929年に、イギリスの小児科医ローエンフェルトが考案した「世界技法」という子どものための治療法を、スイスのカルフ女史がユング心理学をもとに発展させて、大人の治療にも用いることができようにしたもの。患者は、砂の入った木の箱の中で、山や川を砂で作ったり、建物、乗り物、人形、動植物、柵などのミニチュアを置いたりして、自由に箱庭の世界をつくる5。医師等はその様子を観察する。箱庭が完成したら、患者に説明してもらう。ただし、医師等が箱庭の細部にこだわって患者に質問したり、感想を述べたりすることは、患者との良好な関係を損なう恐れがあるため行われない6

箱庭をつくる体験を通じて、患者の自己治癒力によって、心理的な葛藤の解決が図られるとされる。箱庭療法は、統合失調症や子どもの不安障害などに用いられる。
 
5 箱の大きさは、横72cm×縦57cm×深さ7cm。砂を掘ったときに水が出てくるイメージを表すため、箱の内側は青く塗る。
6 なお、箱庭療法は、芸術療法の表現活動の一つの形式ともいえる。


4|洞察療法には、精神分析療法や来談者中心療法がある
患者が抱える葛藤や、性格・考え方の偏りについて、患者自身が気づき洞察してもらい、人格構造の変化を促す。洞察療法の主なものとして、精神分析療法と来談者中心療法がある。

(1) 精神分析療法
オーストリア生まれの精神科医フロイトは、人間の行動や思考は、無意識に左右される部分が大きいとして無意識の研究を進めた。精神分析療法は、無意識を表層に呼び起こすための治療法で、彼が創始した精神分析学がベースとされている。精神科医の中で、特に精神分析のトレーニングを積んだ精神分析医によって行われる。この治療法は、かつては神経症と呼ばれていた不安障害や解離性障害などの患者に対して行われる。具体的な精神分析療法として、自由連想法や夢判断が挙げられる。

1) 自由連想法
患者に長椅子に仰向けに寝てもらい、思い浮かぶことを自由に話してもらう。医師等は、患者の頭のほうの患者から見えない位置に座り、患者が発した内容を書きとめて分析する。

2) 夢判断
スイスの精神科医ユングが考案したもの。睡眠時に患者がみる夢こそ、無意識の表出であると考えて夢の内容を分析する。患者は、寝ている間にみた夢の内容を、治療を行う人に報告する。

フロイトの研究は精神分析療法のみならず、心理学をはじめ、社会、思想、文化など多方面に大きな影響を与えた。一方、精神分析の解釈は治療者の独断や空想にすぎず非科学的である、といった指摘もなされてきた7。20世紀になるとアメリカでは、客観的証拠にもとづく科学的な心理学の確立を目指して、行動心理学の研究が盛んになった。
 
7 「最新図解 やさしくわかる精神医学」上島国利 監修(ナツメ社, 2017年)より。


(2) 来談者中心療法
1940年代に、アメリカの臨床心理学者ロジャースが始めた精神療法。来談者8への指示、批判、説得を排除して、ひたすら話に傾聴して受容することに努める。治療を行う人には、自己一致、無条件の肯定的関心、共感的理解という3つの原則的な態度が求められる。従来の精神療法が「指示的精神療法」と呼ばれるのに対し、この治療法は「非指示的精神療法」とも呼ばれている。
図表8. 来談者中心療法で治療をする人に求められる3つの態度
来談者中心療法では、来談者の言葉や態度をただ観察するのではなく、治療を行う人が自ら体験するかのように努力して来談者の感情表現を受け止め、それを伝え返していく「感情の反射」という技法が用いられることが特徴的といえる。

以上、代表的な精神療法を概観していった。先述の通り、精神療法には、ここでみてきた以外にも、多くの方法がある。精神医療においては、治療同盟のもとで、患者の病状に合わせて、医師と患者がコミュニケーションをとりながら、具体的な方法を選択することが必要となる。
 
8 通常、精神医療では診療の対象者を「患者」と呼ぶが、精神療法においては相談に来る人を「来談者」と呼ぶことがある。
 

3――薬物療法 (総論的)

3――薬物療法 (総論的)

精神医療において、精神療法と双璧をなす治療法が薬物療法である。薬物療法として用いられる薬剤には、さまざまなものがある。ただし、それらを細かく取り上げることは、筆者の能力を超える。

本稿は、精神医療における薬物療法のアウトラインをつかむことを目的とし、詳細な薬剤の説明は他の書籍等に譲ることとしたい。この章では、薬物療法の概要をみていく。そして次章で、気分障害(うつ病と双極性障害等)、統合失調症、不安障害、認知症で用いられる薬剤について概観していく。

1|精神医療での薬物療法は戦後に本格化した
そもそも精神医療に限らず、薬による治療は、自然界にある動植物や鉱物を採集して使用することから始まった。精神医療では、セイヨウオトギリソウ9や、コカ10などの植物が用いられてきた。

1949年、オーストラリアの精神科医ジョン・ケイドは躁病患者に炭酸リチウムを投与して、その鎮静作用を確認した。これが、脳に作用して精神活動を改善させる薬剤のはじまりとみられる。

神経伝達物質に作用する化学製剤として最初に作られた薬剤は、クロルプロマジンとされる。この化学製剤は、神経伝達物質の1つであるドーパミンの受容体をブロックして、その過剰な働きをとめる抗精神病薬である。この薬剤の鎮静効果は、1952年に、フランスの外科医で生化学者のアンリ・ラボリが発見した。彼は、人工冬眠の研究を進める中で、この薬剤の効果に気づいたという。その後、この薬剤は、統合失調症患者の急性期興奮状態の鎮静化に用いられてきた11。ただし、クロルプロマジンの薬理作用が解明されたのは、鎮静効果の発見から30年以上も後のことであった12

これ以降、こころの病気を適応症とする医薬品が、数多く開発されてきた。
 
9 オトギリソウ科オトギリソウ属の多年草。セイヨウオトギリソウの効果と副作用については、これまでにさまざまな見解が示されてきた。健康食品として用いている国がある一方、毒草としてリストに挙げている国もある。
10 コカノキ科コカ属の常緑低木樹。コカの葉自体はコカイン濃度が薄く、精神作用や依存性は弱いとされる。しかし、コカを精製して作られたコカインには、中枢神経を刺激して精神を興奮させる作用があり、局所麻酔薬として利用される。
11 日本では、1954年から精神科で使われるようになった。それまでは制がん剤(現在の抗がん剤の先駆的のもの)の副作用抑制剤として、精神作用は知られないまま使用されていた。
12 1988年に、スウェーデンの神経精神薬理学者カールソンらよって「視床フィルター機能不全仮説」として示された。


2|精神医療で用いられる薬物は効果が現れるまでに時間がかかることが一般的
一般に、精神医療で用いられる薬剤は、少量から開始して、繰り返して投与される。通常、薬剤の効果が現れるまでには、投与開始から数週間程度かかる。

投与した薬剤は体内に吸収され、体内で分布し、代謝され、排泄される。薬剤成分の血中濃度は投与後上昇し、ピークを迎え、その後低下していく。投与を繰り返すことで、血中濃度が低下しきる前につぎの薬剤投与による上昇が起こる。おおむね5回の反復投与を行うことで、吸収と排泄がバランスして、血中濃度が定常状態となり安定する。

精神医療で用いられる薬剤の効果は定常状態に達した後の血中濃度の最低値(トラフ濃度)と相関する。このため、発現までに時間がかかる。一方、副作用は、血中濃度のピーク値(ピーク濃度)に相関する。そこで、トラフ濃度は治療効果が発現する濃度以上に維持しつつ、ピーク濃度は副作用を発現する濃度未満に抑えることが、投薬の計画をつくる際のポイントとなる13。なお、もし定常状態に達する前に投与量を増量すると、急激な血中濃度の上昇により、思わぬ副作用が生じることがある。
図表9. 薬物の反復投与と血中濃度の推移 (イメージ)
 
13 薬剤の吸収、分布、代謝、排泄は個人ごとに異なる。このため、薬剤の血中濃度の上昇や低下には患者ごとの個人差がある。そこで、薬剤を投与した後には、効果や副作用などを確認して、必要な場合には投薬の計画の見直しが行われる。


3|複数の種類の薬を投与すると、相互作用が生じることがある
また、複数の種類の薬を投与する場合、相互作用が生じることがある。相互作用には、薬物動態学的相互作用と、薬力学的相互作用がある。
図表10. 薬の相互作用
薬物の相互作用が理解できれば、患者が副作用などで苦しむ問題について、軽減が図れる可能性がある。ただし、実際には相互作用を完全に解明することは困難であり、予期せぬ問題が生じる恐れがある。このため、可能であれば薬剤の併用は避けて、単剤で使用することが望ましいとされている。
 
14 NSAIDsは、Non-Steroidal Anti-Inflammatory Drugsの略。
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保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

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