2018年06月25日

190兆円の社会保障費をどのようにとらえるか-「2025年問題」の虚像と実像

上智大学 経済学部 中里 透

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4――社会保障費はなぜ「急増」しないのか?:人口動態の考慮

1社会保障費における「2025年問題」
社会保障給付費のこのような推移は、社会保障費の動向について一般にもたれている印象を大きく覆すものだ。たとえば2018年5月28日開催の経済財政諮問会議に提出された民間議員ペーパー(「PB黒字化目標年とその実現に向けた考え方について」)には、毎年度の予算編成に関して「2022年度以降については、団塊の世代が後期高齢者入りして社会保障関係費が急増することを踏まえ」とあるが、この記述は「2025年問題」について一般に広く流布している見方の典型例といえる。

このような見方の背景には、高齢化のなお一層の進展によって医療・介護の費用が大幅に増加していくのではないかとの懸念がある。たしかに最近時点(15年)における1人当たり医療費・介護費の動向をみると、65~74歳については医療費が56.8万円、介護費が5.5万円となっているのに対し、75歳以上については医療費が92.9万円、介護費が53.1万円となっており、75歳以上の1人当たり医療費・介護費は65~74歳の2倍以上(2.34倍)にのぼる9。こうしたもとで、22年から24年にかけては75歳以上人口が年間80万人という既往最高のペースで増加することから、単純に考えると22年以降に社会保障費が「急増」するというイメージができあがることになる。
 
9 1人当たりの医療費・介護費の計数は「日本の財政関係資料(平成30年3月)」(財務省)による。
図表3 65歳以上人口の推移(実績値・推計値) 2人口動態の考慮
だが、2020年代半ばにかけて社会保障費が急増するという見方は、この間に65~74歳人口が大幅な純減となることを見落としたために生じた錯覚である。すなわち、22年から24年にかけて75歳以上人口は年間80万人のペースで増加するが、この間に65~74歳人口は年間70万人のペースで減少することから、65歳以上人口は年間10万人程度の増加にとどまることになる(図表3)。もちろん、医療費・介護費の嵩む75歳以上人口が大幅に増えることから社会保障費は増加していくが、この3年間(22年~24年)の65歳以上人口の増加数は、12年から15年までの3年間の10分の1にとどまっており、こうしたことから20年代半ばにかけての社会保障費の増加のペースは従来とそれほど大きな変化のない範囲に収まることになる。
3「中長期試算」による確認
「団塊の世代が後期高齢者入りして社会保障関係費が急増する」(経済財政諮問会議)との見方が実際のデータからは支持されないことは、今年(2018年)の1月23日に経済財政諮問会議に提出された「中長期の経済財政に関する試算」(中長期試算)の結果からも容易にみてとることができる。同試算をもとに一般会計ベースの社会保障関係費の推移をみると、21年度から27年度までの社会保障関係費の増加幅は年間5千億円ないし7千億円程度にとどまることが確認できる(図表4)。
図表4 社会保障関係費の推移(実績値・推計値) これに対し、19年度と20年度にはそれぞれ1.3兆円と2.2兆円の大幅増が生じることが見込まれているが、これは高齢化の進展などによってやむなく「増える」ものではなく、「人づくり革命」の実行などのために政策的に「増やす」ものだ。すなわち、消費税率の10%引き上げ時に予定されている社会保障の充実分と人づくり革命にかかる財政措置などを反映する形でこの2年間に社会保障関係費の大幅な増加が生じることになる。したがって、社会保障費の先行きを懸念するということであれば、錯覚に過ぎない20年代半ばの「急増」ではなく、消費税率引き上げに伴う19年度・20年度の「急増」を懸念するほうが理にかなった対応ということになる。経済財政諮問会議などにおける検討においても、社会保障費の今後の推移についての正確な理解のもとで、制度改正や負担のあり方などについて冷静な議論が積み重ねられていくことが望まれる。
 

5――「190兆円」ははたして「実像」なのか?:推計誤差の問題

5――「190兆円」ははたして「実像」なのか?:推計誤差の問題

このような試算が公表されると、試算の前提条件が置き去りにされたまま、結果の数字だけがひとり歩きするということがしばしば起こる。今回の試算結果についても、2040年度における成長実現ケースの社会保障給付費とベースラインケースの社会保障給付費の数字を単純に比較して「高い経済成長が実現したとしても、その分だけ年金給付などが増加するため、結局のところ社会保障費は低成長の場合よりもむしろ増えてしまう。したがって成長頼みはうまくいかない」といったコメントがなされているが、年金、医療、介護などの給付費は経済成長率や物価・賃金の上昇率に依存して増加するよう推計されているため、成長実現ケースにおいてベースラインケースよりも社会保障給付費の総額が大きくなるのは極めて自然な話ということになる(したがって、単純に両者の試算結果の数値(名目額)を比較して、その大小関係について議論することは実質的な意味を持ち得ない)10
 
10 実額(名目値)でみるか対GDP比でみるかによって、成長実現ケースとベースラインにおける社会保障給付費の大小関係は異なったものとなる。この点については脚注4を参照のこと。
「成長実現ケース」における留意点
そこで、今回の試算(18年5月推計)の前提条件についてみると、成長実現ケースに即した試算では27年度までと28年度以降の経済前提に大きな段差が生じている。すなわち、名目経済成長率については27年度までおおむね3%台半ばで推移した後、28年度に大幅に低下して1.6%となり、この成長率が40年度まで続くものと想定されている。また、物価上昇率については27年度までおおむね2%台で推移した後、28年度に大幅に低下して1.2%となり、この上昇率が40年度まで続くものと想定されている。このように、成長実現ケースにおける経済成長率と物価上昇率の推移はかなり不自然なものとなっており、40年度を対象とした試算結果については相当な注意深さをもってその妥当性を冷静に判断することが必要となる。
2「ベースラインケース」における留意点
ベースラインケースについては前提条件の設定にここまでの不自然さはないが、試算結果には大きな振れがある可能性があることに留意が必要である。今回の試算結果にどのようなバイアスがあるのか(ないのか)は現時点では判断できないが、前回の試算(12年3月推計)についてみると、試算から3年後の15年度についての推計値(119.8兆円)においてすでに実績値(114.9兆円)より5兆円近い上振れが生じていること、12年3月推計と18年5月推計における25年度の推計値に8兆円を超える乖離があること(148.9兆円と140.4兆円)などを踏まえると(図表5)、今回の試算結果についても十分な幅を持ってみる必要があるということになる11
図表5 2025年度の社会保障給付費(12年3月試算と18年5月試算の比較
とりわけ40年度の推計値は現時点から22年先のものであり、しかも前提条件にやや不自然なところがある(28年度以降名目経済成長率が低下するにもかかわらず、物価はむしろ上振れすることが見込まれている)ことを踏まえると、「190兆円」に言及する際には誤解を生じさせることのないよう留意して、くれぐれも慎重に対応することが必要ということになる。
 
 
11 もちろん、医療費と介護費における乖離幅(18年5月推計においては12年3月推計よりも6.2兆円と4.5兆円の下振れが発生(図表5))の中には制度改革などによる効率化の成果も含まれているとみることもできるが、そうなると高齢化の進展に伴う社会保障給付費の増加は抑制基調にあるということになる。こうしたもとで今後の社会保障費の増加において上振れが生じるおそれがあるのは、高齢化に伴ってやむを得ず増えてしまう年金・医療・介護の経費というよりは、「全世代型の社会保障」の実現に向けて政策的に増やす子ども・子育ての経費ということになるから、社会保障費の動向に対するこれまでの認識を大幅に変更する必要が生じることになる。
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